「……は」
 ぼんやりした視界に、窓越しの月と、その反射光の影になっている彼の顔が見えた。
「嫌か?」
 眦に浮かんでいた涙を指で拭いながら、彼は今更なことを聞いてきた。
「……嫌と言っても、するんでしょう」
「ま、多分な」
「なら、何故聞くの」
「そりゃあ無理強いはしたくないし」
「……あなたにとって、今のこれは無理強いとは言わないのね」
 所詮は――そういうことなのだろう。
 彼は女好きの遊び人。
 私は真面目なお堅い女。
 根本的なところで認識にズレがあるのだ。噛み合わないにも程がある。
「だってクロエ、本気で嫌がってないだろ?」
「っな!」
 半ば諦念に囚われかけていた私は、あまりのことに大きく目を見開く。
 ピエールははっはーん、とにやにやした笑いを浮かべた。
「ほらな。それなら、俺は遠慮しない性質だし? 押すときはちゃーんと押さないと、な」
「い、嫌よ。嫌!」
「そんな反応見せられたあとでそう言われても」
「嫌だったら! そんな……そんな、誰でもいいみたいなのは!」
(――あ)
 しまった。
 これじゃ、彼の言うことが図星だと認めたようなものだ。それも、一番知られてはならない部分を晒してしまった――
「ち……違っ、今のは違うの。でも嫌。絶対に嫌」
(だ、だって……)
 彼は確かに私のことを考えて、ここに連れ込んでくれたのだろう。
 けれどそれは、彼が私を――性別が女である、不特定多数のうちの一人ではなく――特定の個人として選んでくれたことと、イコールにはならない。
 先刻、弟から聞かされた内容が頭をよぎる。
 あの弟が止めといた方がいいと幾度も繰り返すほどに、彼は根っからの女好きで遊び人でお調子者なのだ。
 軽々しく信じたらきっと後悔する。
 もし「誰とでも良かった」としても、キスくらいならまだ、挨拶だったとでも思えばいい。
 けれどそれ以上は、――真面目に生きてきた私の常識からしても――事故だとか犬に噛まれたとか、そんな風に自分を誤魔化すことはきっと、できない。
「……クロエってさあ」
 トーンが一段くらい落とされた、呆れたような声。
 私の主張を無視して覆い被さろうとしている彼の表情が、濃い影に覆われて判別できない。
「思った以上に鈍いのな」
「な……んですって!?」
「今の俺、そんな風に見える?」
「み、見えるに決まってるでしょう!」
「……正面切って言われると傷つくなあ」
 ぎし、とソファのスプリングが音をたてる。彼が両肘をついたせいだ。
 大きな手のひらが私の頬をそっと包んだ。
「俺は好きな娘としかこういうことするつもりないぜ?」
「う、嘘おっしゃい」
「本当だって。まあ、ここに連れてくるまでは確信持ってなかったから、当たらずとも遠からず、かもしれねぇけど」
「え……?」
「まあそれはこっちの話。さっきも言ったけど、本当にここは俺一人しか知らない、俺の居城だったんだ」
 それこそ嘘だわ――そう言いたいのに言わせない何かが、今の彼にはあった。
 言葉で表現するなら、真摯な雰囲気とでも言えばいいのか。普段の調子の良さはどこにも見えない。
「連れて来る気になったのはついさっきのことでさ。クロエなら、連れて来てもいいって思った」
「……っ」
「まあそのへんの色々は追々説明するとして、……おかげで俺はクロエに惚れちまったわけなんだけど」
 それでも嫌か?
 なんて、唇が触れ合うほどの至近距離で言われて。
 どう答えろというのこの人は。
「ば、……馬鹿、ね。私、真面目だから、本当に……信じるわよ」
「信じてくれないと困る」
「後で冗談でしたとか言われても、撤回に応じられないかもしれないわよっ」
「それこそ冗談だろ?」
 こつり、と額がぶつけられる。
 反射的に瞑った目を薄く開いてみると、
「閉じて」
 触れる直前――すかさず囁かれたその声に、私は素直に従った。

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