呆れた、と言いそうになって、私は慌てて咳払いで誤魔化す。
彼は頭の悪い人間ではない――異性の扱いに関することなら特に――はずなのに、どうしてそのような頭の痛くなるようなことしか思いつかなかったのだろう。
「役得込みのナイスアイディアだと思ったのになあ」
「女性の太腿と男性のそれが同じだと何故思えるの」
「野朗の膝枕なんかされたこともされたくもないっつーの」
もしかしたら気持ちいいかもとか思っちまったんだよ、とまるで悪戯を咎められて言い訳する子供みたいに言われて。
さっきまでの余裕はどこに行ってしまったのかと、何だかおかしくなってしまった。
「呆れた」
私は飲み込んだはずの素直な感想を、苦笑と共に送っておく。
悪うござんした、そう情けなく毒づいたあと、彼はすっと姿勢を正した。
そこにあったのは情けない表情でも、へらへらとにやけた表情でもなく、ただ真剣な眼差しを伴った、シリアスな表情で。
「悪かったな」
(え……?)
これはそこまでして謝ることなんだろうか。きょとんと私は問い返すしかない。
「クロエが眠れないかと思ってやったはいいけど、結局怒らせたり呆れさせただけだったから」
今夜会ったときの会話から即座に、ここへ連れ込む計画を立てたということだろうか。それにしては用意周到すぎた気がしないでもないが――
(……いえ、違うわ)
私が不眠症だということは、――夢を操る神話獣が現れて以来――彼だけでなく仲間の大半に周知されている事実だ。ソフィア先生にも相談済みだし、二軍の子からラベンダーのポプリを貰ったりもした。
だからむしろ、以前から仕組まれていたのだと考える方が納得がいく。
もしかすると今夜会ったことすらも、彼の算段のうちだったのかもしれない。
「……気持ちは、有り難いけれど」
私は慎重に言葉を選んだ。
胸奥でざわめくこの気持ちが滲まないように。
ここで気持ちを開放することは――ひどく危険であると、私の理性が警告している。
「これ、手強いのよ、なかなか。付け焼刃でどうにかできるものではなさそう」
「そっか」
演技としては会心の出来だったと思う。
なのに、呟いた彼の声が妙に沈んでいたように感じた途端、私は反射的に口走っていた。
「でも、嬉しかったから!」
言い終えてから気付く、まじまじと見つめてくる視線。しまったと思っても後の祭り。
真正面から受け止めたそれを逸らすことができず、私は混乱の渦に巻き込まれそうになったのを必死で踏ん張った。
「そ……その、ありがとう、ピエール」
どうにか笑顔に程近いものを表情筋で構築して礼を述べて、後はもう耐え切れなくて首を反対側に捻った。途端、筋が引きつる痛みが走ったけど、もうそんなことを気にしている余裕はなかった。
(――ああ、もう)
きっと、今日は眠れそうにない。
気を遣ってもらって。二人きりの時間を過ごして。
私のためだけに、彼は考えて実践して失敗して謝ってくれた。
(いいわ、眠れなくても)
だって、心はこんなにも温かく満たされているのだから。
「……クロエ」
至近距離で囁くような声がした。驚きで飛び退こうとした私の体は、何故かそこに留まっている。
続いて知覚したのは覚えのない熱で、それは左腕と右肩――違う、今は私の顎あたりを摘むように支えている――そこが発生源。
彼の手が私に触れている箇所。
「ちょ、ちょっとピエール、っ……!」
「あれクロエ、知らないのか?」
「な、何を!」
今やがっちりと固定され、あまつさえ距離を縮められている状況で、何を言われているかも理解できない。
そんな私を心の底から可笑しそうに眺めて、彼は自ら提示した謎を解明した。
「じゃあ教えてやるよ。可愛い女の子からお礼を言われたときの、礼の返し方ってやつをさ」
――あ、と間の抜けた声だけが、その空間に残った。
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