ついてきて、の言葉に戸惑いながら従って、暗いから気をつけろよ、と差し出された手を躊躇してから重ね合わせて、普段踏み入らない未知の場所――暗いからわからないだけで、昼間ならば見知った場所だったのかもしれない――へと導かれる。
 次第に周囲の暗さに目が慣れてきて、どうやら山道のようなところを歩いているとわかった。方角などはさっぱりだったが。
 やがて彼が立ち止まる。ここが目的地なのかと周囲を窺ったが、どう見てもここは道の途中としか思えない。
「ねえ、ピエー……」
 呼びかけた瞬間、強く握られたままの手があっさり放された。
 手のひらに残る温もりがすっと外気に溶け込んで、そこから熱が奪われていくようで、私は意味もなく不安になってしまった。
 彼を捕まえようと伸ばした手は、しかし空を切って、
「ちょいと失礼」
 そう告げられながら抱き上げられた。それも、いわゆるお姫様抱っこという形で。
 慌てる私をしっかり掴まってろよと力強く、けれどどこか可笑しそうな声が遮った。
「行くぜぇ!」
 気合一喝、彼はその健脚から生み出される炎を、ジャンプの瞬間に足裏で暴発させた(らしい)。熱気とともに膨れ上がった爆風に乗り、高く高く飛び上がる。
 驚きのさなか下方に目を凝らすと、ぼろぼろの途切れた橋のようなものが見えた。向こう岸までの距離は確かに、ただの人が自力で飛び越えられる幅ではない。

 ――そうして気がついたときには、見知らぬ高台の上にいた。

 ようやく辿り着いたそこは、他には誰もいないはずなのに何故か騒がしかった。
 風に乗って街のざわめきが届いているのだと、眼窩を見下ろす彼に倣って気付いた。
「おかしな場所だろ」
「ええ……。辺りは静かなはずなのに、まるで雑踏の中にまぎれているようだわ」
「さすがに、風がない日は静かだけどな」
 今日みたいに風がある日は、こうやって騒がしいんだ、説明する瞳に伴うのは――望郷か、憐憫か。
「ここが、俺のとっておき」
 そうして彼は黙ってしまったので、やはり私もそれに倣う。
 ざわざわと、意味を聞き取れない、けれど確かな人の声。その塊。
「ここに来ると、何か落ち着くんだよな」
「騒がしいのに?」
「それがいいんだ」
 そうして、彼はどこまでも遠い所を見る目になって、
「俺の居たとこがこんな感じだったから、かもなあ」
 ぽつりと、そう呟いた。
 どんなところであるかは、資料で見て知っていた。特色を挙げるなら確かに、他地域に比べて楽天的な、明るい街。彼が属していたチームもまた、その特色を色濃く引き継いでいて――
「……」
 疑問が浮かんだ。
 どうして彼は私をここに連れて来たのだろう。
 どうして今ここに来たのだろう。
 落ち着きたかったのならばまだわかるのだ。つい先日、その故郷で起きた出来事――自分はアクエリオンから強制排出され意識を失っていたので、顛末は弟から聞いただけなのだが――から、もう立ち直ったのだとすれば、だが。
 では自分を同伴させた理由は?
 繰り返すが、落ち着きたかったのなら、一人で来ればいいだけの話なのだ。
 そこにわざわざ、赤の他人たる自分を介入させる意図がわからない。
「何でここに連れて来たんだ、……って思ってるな?」
「え、なっ」
「顔に書いてある」
 くくく、と少々意地の悪い笑みを浮かべて、彼は私の顔を覗き込んできた。
 ここまでバレていては隠す意味がない。そう悟った私は目をそらしながら、ええ、と頷いておいた。
「素直に考えてくれりゃいーのに、本当真面目だなクロエって」
 思わずむっとなる。
 真面目に考えて何が悪いのだ。
 そりゃあ、物事を真面目にしか考えられないのは、まあ融通が利かないという面で悪いかもしれないけれど。
「そんな、他人が都合よく勝手に考えて……決め付けていい場所じゃないでしょう、ここは」
 言い終えてから、――言い直す。足りない気がして。
 だって真面目な私としては、私の主張を過不足なく理解してもらわないと気が済まない。
「あなたにとっての「ここ」は、そうやってないがしろにしていい場所じゃないはずよ」
 ――正直な話、真面目に考えたくもなる。
 偶々見かけた誰か――女子を連れてくるにしては、ここは重過ぎる。そう思った。
 自分でなければならない理由がどうしても見つからない。
 そもそも、先ほど会ったのは偶然なのか否か――ますます混乱してくる。
 一体何がしたいのだろう。
 彼はもう例の依存症から回復して正気なはずだし、万が一その後遺症絡みの行動だとしても、もっと別な場所に連れ込めばいいわけで……
 クロエ、と名前を呼ばれる。その声はびっくりするくらい、優しい何かを含有していて。
「もうひとつとっておきがあるんだけど。……来るよな?」
 喉元まで出かかった質問の問いはひとまず置いた。
 事後承諾みたいな聞き方を咎めることもできず、私は戸惑いつつも頷いていた。

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