「ん、っ……」
 久しぶりに深く合わせた唇は柔らかくて、ぎこちなく触れてくる舌を驚かせないようゆっくり絡めた。
 何気なく後ろの首筋に手をやって、長い髪の毛を編んでいたことを思い出す。手の甲や指の間を滑る金糸の感触は結構気に入っていて、ほんの少しだけ物足りなさを感じた。
 うなじに残る後れ毛をなでると、ぴくんと反応が返る。何となく繰り返していると、くすぐったいのかコレットが身をよじった。それと一緒になって舌が逃げ出したのでつい、強引に絡め直してしまう。
「っふ、んぅ、……んく……!」
 コレットから力が抜けかけてきたのに気付いてようやく、俺は急いで唇を離した。
 荒い呼吸を繰り返すコレットの眦には涙が浮かんでいて、ごめん、と呟く。足りなくて、もう一度。やがて喉が詰まったのか咳を始めたことにプラス三回、計五回のごめんを言い終えてうなだれたところで、コレットの腕が伸びてきた。
 きゅう、と俺の頭が閉じ込められる。
「謝らないで、ロイド。私は、だいじょぶだから」
「……ほんとに、ごめん」
「うん」
 やがてコレットの細腕の檻が緩んで、視線の高さが同じになった。どちらからともなく――でもたぶんコレットから先に――唇を合わせる。ただ触れるだけのそれを、息が苦しくなるまで続けていた。
 はあ、と熱っぽい吐息をはいたコレットに、俺は小声で聞く。
「その……いいのか?」
「……うん」
 こくり。頬を染めて頷くその様に、俺の心はまた平静を失いかけた。もちろん、今度はすぐに自制したけれど。



 メイドさんを両腕に抱えて、ベッドまで戻る。
 乱れたシーツが先程の情景――というよりは想像を思い出させて、それを隠すようにメイドさんを下ろした。
 そのまま横たえようとすると、待ってと制止がかかる。
「くつ、脱がないと……」
 倒されかけた体勢的に手が届かないので言ってきたらしい。わかったと呟いて、両足の革靴を脱がしてやる。ベッドの側に揃えて置いて、さっきから頬が赤いままのメイドさんに向き直った。
 その、不安定に揺れる蒼の瞳が落ち着かなくて、俺は頭を掻いた。
「なんか、変な感じだな」
「え?」
「だって、部屋にメイドさんが居るんだぜ? お金持ちでもなきゃ、そんなことありえないだろ。だから……」
 言葉はまたしても続かなかった。
 ここまで来ておいて、わざわざ場を和ますべく会話をする必要はない。了承だってさっきもらったばかりだ。それはわかっていた。
 それでもすぐに行動に出れなかったのは、また自分を忘れてひどいことをしてしまうのではないか、という恐れ。一番大事にしたいものを、自らの手で台無しにしてしまうかもしれない怯え、そのふたつ。
 でもそれは、コレットの前では何の意味も持たなかった。
「ロイドがいいなら、また着るよ?」
 「天然メイデン」――このメイド服を頂戴したとき、コレットが授与された称号。
 その名にふさわしく、コレットはこちらの恐怖も立ち向かおうとする必死の努力も、いっしょくたにしてぶっ飛ばしてしまった。
「……は、はは」
 しばし呆然とした後に、話していても行動を始めてもさほど変わらないという事実を理解した俺は、力なく笑った。そうするより他に、どうしろというんだろう。
「? ロイド、どうかした? えっと、私またおかしなこと言ったかな」
「言ってない。じゃあ、また気が向いたら……お願いするかも、な」
「うん。いつでもいいよ」
 それは「何を」「どう」いつでもいいのだろう。
 でも俺はそれを聞かずにおいた。
 聞いたところでまたズレた回答が返って来るに違いなかったし、たぶん――コレットはいいよと言うのだろうから。
 ベッドの上でちょこんと座るコレットを囲うようにシーツの上へ両手をついた。今日何度目かのキスをする。
「ん……っはぁ、んく、ぅ……」
 最初はただ触れ合わすだけ。息継ぎ代わりに一瞬離れた隙をついて、角度を変えて重ね合わせ、ずれたその隙間から舌を差し入れる。
 互いの舌を絡め合わせたときには、コレットの体はベッドに押し付けられていた。もう逃げられないそこで、コレットは苦しげにキスを享受する。
 薄い糸を引かせながら顔を上げた。頬を染めたコレットがふにゃりと笑う。途端、ぐらつく理性のバランスを取りつつ、甘い視線から逃れるように耳元へ唇を落とした。
「んっ、ぁ、ロイド……くすぐったぃ、よぅ」
 耳たぶを甘噛みすると、コレットの肌がぞわりと震えた。弱いわけではないのだろうけど、強いわけでもないのだろう。
 そうして何となしに舌で輪郭をなぞると、んにゃっ、とかよくわからない悲鳴が聞こえた。
 試しにもう一度繰り返すと、ひにゃう、とさらに意味不明な単語に発展した。
「コレット?」
「っはう……ロイド、み、耳元でそうするの、やめよう?」
「何で」
「あうぅ。だから……く、くすぐったいから、ねっ」
 俺はすかさずベッドに肘をついた。それは、さり気なく頭の位置を遠ざけているコレットの逃げ道を塞ぐような形になる。
 ごちん、とコレットの頭が俺の腕で塞き止められた。
「ろ、ロイド? ……えっ、や、ひぅっ!」
 今度は耳の穴まで舌先を滑らせた。逃げ場のないコレットが俺の腕の中で小動物よろしく震える。舌を動かした回数分、びくびくと。
「ロイっ……ど、っんぅ、いじわるしないで……っ」
 そうは言われても、言葉の内容とはうらはらに、もっといじめてくださいとお願いされてるような心地になる。俺はかなり努力して顔を上げた。
 いじめるつもりは毛頭なかったし、ひとまず気を紛らわそうと疑問を投げる。
「そんなに、くすぐったいのか?」
「くすぐったいっていうか……、おと、が」
「音?」
「ロイドの、舐める……音が。なんか、恥ずかしいっていうか、ぞくぞくするっていうか……」
 後半を尻すぼみにさせながらコレットが告白する。
 ダメだ、これは。
 コレットの前で誤魔化して逃げようとすると、逃げ道を塞がれた挙句にズルもいいとこな近道を用意されている。そんな気がしてならない。
 努力を一蹴される気持ちというのは、こんなにも複雑なものだったろうか。
「……わかった。やめる」
「うん、そうして。ありがと、ロイド」
 いやそこで礼を言われるのもどうなんだろう。
 俺はしばらく妙な逡巡を繰り返して、コレットから名前を呼ばれるまで動けずにいた。

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