そこから、よく覚えていない。
 コレット。俺の幼なじみ。大切な人。一番好きな女性。再生の神子。天使。守りたいもの。なくしたくないもの。何よりも大事にしたいもの。
 なのに。
 気がついたら俺はコレットの頭を押さえ込んでいて。
「んん、んぅ……!」
 苦しげなコレットのくぐもった悲鳴をぼんやり聞き流していて。
「っはごほっ、あっ……!」
 息苦しさに強引に抜け出したコレットの顔に、白い飛沫を飛び散らせて。
「ぁ……」
 ぼんやりと荒い呼吸を繰り返すコレットを今すぐ組み敷いてやろうと手を伸ばす。
 コレット。
 俺の大事なコレット。
 俺のコレット。
「ロイド……? あ、わ、えっ?」
 床にぺたんと座り込んでいたコレットの手首を掴んで、無言のまま引っ張り上げる。俺に覆い被さるようになったコレットを抱きこむと、くるんと体勢を反転させた。
「ろい、っきゃ?!」
 どさり、とシーツに沈む細い体に、迷うことなく手を伸ばす。
「っん!」
 ふにゃりという感触。胸元を掴む手がそれを伝えてくる。小ぶりながらも柔らかく、弾力性を持ったそれはひどく魅力的だった。
 知らず力がこもる。
「やっ、ロイド、いた……」
 甘さなんか含んでない正真正銘の悲鳴ですらも、自分勝手に変換して聞きとった。もっとそうしてやりたい、と囁く声。それは自分の声だと気付いていたけれど、だからどうだというのだろう。
 そうだ、俺はコレットが好きで、コレットも俺のことを大好きだと言ってくれていて、うん私ロイドの言う通りにするねとか普通に言ってくれちゃうのがコレットで、俺はコレットを俺のものにしたいと思っていて。
「ロイド、んっ、やめ」
 だから、俺は俺のしたいようにすればいい。
 白く霞んだ思考の中、当たり前のようにメイド服のスカートの中へ手を差し入れた瞬間、
「――やぁっ!」
 ばちん、というよりはばしん、という衝撃と共に、俺の体はベッドからメイドさんが入ってきたドアまで吹っ飛ばされた。
 受身を取る間もなく背中を強打して、痛みをこらえながら詰まった呼吸を繰り返す。
「あ……ろ、ロイド! だいじょぶ!?」
 天使の力。
 エクスフィア探しの旅に出るならその力を抑えておくより有効活用するべきだ、というリフィル先生の意見で、コレットの怪力は抑制を解かれていた。
 旅はすぐ終わるわけじゃない、天使の象徴たる力を持ったままで本当にいいのか、と聞いたとき。
 ロイドの役に立てる方が嬉しいもん、といつもの笑顔を浮かべたコレット。
 ――守ってやらなきゃって思った。この笑顔が歪むようなことはさせたりしないって。
 なのに。
「ロイド!」
 コレット(メイド仕様)は、ベッドから降りるだけで転びそうになりながら慌ててこちらに駆け寄ってきた。俺は無意識に、乱れたズボンを直す。
「ロイド、ごめんなさい、私……」
「っごほ、……コレットが、謝ることじゃない」
 当たり前に伸びてきたコレットの手を避けるように、俺は体を起こした。その優しさが今は辛い。
「謝るのは俺の方だ。ごめん、コレット」
「でも、痛かったでしょ? 湿布とかもらってきた方がいいかな」
「いいや、大丈夫だ。どってことない」
「だって……」
 泣きそうな顔になったコレットが俯く。沈みがちになった頭に手を乗せようとして、ためらう。
 三秒ほど間を置いて、結局乗せた。
「俺が、悪いんだ。コレットは悪くない。それより……嫌な思いさせちまった。ごめん。本当にごめん」
 座り込んだまま大きく頭を下げた俺に、今度はコレットが顔を上げる。
「そんなこと……そんなこと、ないよ」
 弱く否定するコレットにもう一度ごめんと呟く。コレットがまた俯いたのがわかった。
 途切れた会話は気まずい空気を呼び込み、俺たちはしばらく動けずにいた。
「……」
 しかしさすがに五分以上そうしていると気まずさもピークに達して、俺はちらりと顔を上げてみる。すると同じようなタイミングで顔を上げたコレットと目が合って、戸惑ったまま見つめ合う。
 やがて俺は覚悟を決めた。
「コレット。……聞いて、いいかな」
「うん」
 コレットが頷く間に一つ息を吐き出して、俺は口を開いた。
「さっきの……その、何で、あんなこと」
「私、最近ロイド疲れがたまってるみたいで、心配になって」
 その心配が何でメイドとか、あんなことにつながるのかわからない。コレットはぽつぽつと続ける。
「どうしたら疲れが取れるのかなって考えてたら、ゼロスがいい方法があるって」
「……ちょっと待った」
「え?」
「何でそこでゼロスが出てくるんだ? ここ最近、ずっと会ってなかったよな」
「ほら、この前ロイドが洞窟の奥探ってくるって行ったときだよ。私あのとき疲れちゃってて、救いの小屋で待ってたでしょ? そのとき偶然、ゼロスが救いの小屋に寄って」

 つまり、話をまとめると。

 鬼の居ぬ間に何とか――だったっけ――言葉巧みにコレットから色々聞き出したゼロスが、例によって余計な世話を焼いてくれたということ、らしい。
 資料の送り主がゼロスだったのも、しいながまとめてくれたエクスフィアの資料だけでなく、「そういう資料」を同梱して送り付けるためで。
 毎晩コレットが部屋にこもって読んでいたのはエクスフィアの資料だけじゃなく、その下世話な資料、というか本も、だったと。
「もしかして、そのメイド服も?」
「そうだよ。本にメモが挟まっててね、『普段と違う雰囲気作りも重要』って。たぶんゼロスの字だと思うんだけど」
 ほんの少し笑顔が戻ったコレットの口ぶりは、宿の女将さんに料理を教わったことを話しているのとさほど変わらない。
 そんな中聞こえてきた、どーよ俺さまのこの気配りっぷり、感謝したまえよロイド君?とかいう幻聴に俺は静かな怒りを覚えた。
「……あいつにはやっていいことと悪いことの境界を、しっっかりと教えてやらなくちゃな……」
 自然、ばきばきと手を鳴らす。
 すると少しして、気落ちしたような声がした。
「ロイド。……私、もしかして迷惑なことしちゃったのかな」
「え?」
 見るとまた、コレットの顔は不安げに歪んでいる。
「私、ロイドに喜んでもらおうって思って。でも、迷惑だった、かな……」
「そ、そんなことない! そんな――」
 ことは絶対にないと続けようとして、はたと気付く。ここで素直に迷惑なんかじゃなかったと言っていいものか。
 いきなりあんなことをされてびっくりはしたけれど、その、悪い気分じゃあなかった。それは認める。
 でもこういうのは……良かったとか言うべきものじゃないと思う。たぶん。
 俺は心の中で舌打ちして、毒づいた。
(……ゼロスの奴、絶対に覚えてろよ)
 とにかく、それよりも今はコレットだ。しかし続けるべき言葉が見つからない。
「……」
 再び訪れたしばしの沈黙。
 それを破ったのは俯いたままのコレットだった。
「私。……恥ずかしかったし、え、えっちなことだって、わかってたけど……でも、ロイドが喜ぶならって、だから、私」
 そこで一度言葉を切って、覚悟を決めたように、
「はしたないって思った……?」
 潤んだ瞳が俺を見上げた。
 吸い込まれそうな二つの蒼色に俺の体は硬直する。
「違うの私、そんなつもりじゃなくて……き、嫌いに、ならないで、ロイド……」 
 こちらが黙っているのを怒っているものと思ったらしい。
 コレットが今にも泣きそうになっているのに気付いて、俺は慌てて硬直を解いた。
「っき、嫌いになんかなるかよ! 俺……コレットにあんなひどいことしといて、こんなこと言うのは最低だって思うけど」
 続く言葉に一瞬だけ迷う。けれどコレットの瞳から涙が零れる前に、一気に言った。
「嬉しかった。コレットの、俺を思ってくれる気持ちも全部」
「ロイド、私……」
「ありがとな、コレット。俺は、コレットのことが大好きだからさ、だから迷惑だったとか、心配することない」
「ロイド……!」
 胸に飛び込んできた細い体を受け止めて、包み込むように、けれど強く抱きしめた。


 コレットの体は柔らかくて、いい匂いがして、――熱を帯びていて。
 今日はもうこれきり部屋に帰すんだって思ってたのに、俺の体は勝手に動いてた。

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