室内に沈黙が広がる。
 サユリは微動だにせず、ただ視線だけをこちらの背中に向けていた。俺も寝息を立てることなく真っ暗の視界を享受する。
 朝までそうしているつもりか? 少しくらいは眠れ、自分のベッドで。
 衣擦れの音一つしない時間は続いてゆく。

 そうして微かなまどろみを感じた頃、サユリがぽつりと呟いた。

「カタナ、疲れてるの?」
 疲れてはいる。だが、お前と居るならば話は別だ。お前がそこに居るだけで俺は癒される。
「あのね、カタナ。疲れてるときはね、その……」
 どんなに疲れていてもお前となら一緒にいたい。声を聞くだけでも、視線を感じるだけだっていい。
「……ると、いいんだって。聞いたの」
 それだけで俺は満たされる。今すぐに多くを求めなくとも、二人には時間がある。
「だからサユリ、頑張るね」
 この街は俺のもので、お前のものだ。邪魔する奴は全て消してやる。安心していい。
だから寝ろ。邪魔する奴はどこにもいない……ここには俺とお前、二人しかいないのだから。
 遠くに聞こえていた心地良い声が聞こえなくなった。寝たのだろう。
 そうだ、それでいい。お前はまだ――

「……っ?!」

 俺は異変を感じて飛び起きた。申し訳程度に体へかけていた毛布を払いのけると、驚いた表情のサユリと目が合う。
 サユリは俺の足下から毛布に潜り込んできたようだった。四つん這いになって俺の足の間を陣取り、そのたおやかな手をズボンにかけている。
「お前……何して」
 知らず声が上擦った。サユリはその頬を桃色に染めてはいるものの、きょとんとこちらを見上げている。
 瞳が持つ色があまりにも純粋で、この状況を見て何をしている、と問う自分が一番間が抜けている気がした。
「あのね、男の人が疲れてる時は、こうするのが一番いいって、聞いたの。カタナ、今日疲れてるみたいだったから……」
 自然、頭を抱えたくなったのを抑えながら、俺は小さくうめいた。
(……下種どもが)
 このナイトタウンでいい暮らしをするには、統治する者の恩恵を受けるのが手っ取り早い。能のない虫けらどもの考えそうなことだ。
 「将を射んと欲すればまず馬を射よ」――古臭い言い回しだが、奴らはそれに倣ったらしい。サユリを俺の懐柔役に仕立て上げようとしたのだろう。
 純粋かつ好奇心旺盛な少女に、男の扱い方を教えること。
 本来頼るべき男を自身の手の平で踊らせるという愉悦は、どんな麻薬よりも心を支配する。小賢しい虫けらどもは誰よりもそれを知っていた。
 出会った頃に比べれば幾分成長したものの、サユリの体は全体的に子供のそれを呈している。知識不足は確かに俺の責任かもしれない。
 だがこの街とサユリとを手に入れたとき、そう急くこともないと決めたのだ。
 もう望むものは全て手に入ったのだから。
 失うことを恐れるがあまり、少しくらい慎重になったとしてもバチは当たらないはずだ――と。
「サユリ、うまくできないかもしれないけど、頑張るから」
 沈黙を容認と受け取ったのか、サユリはジッパーを引き下げた。止める間もなく小さな指が布越しに触れてくる。
「っ――サユリ!」
 びくん、と肩を跳ね上げてサユリが顔を上げた。強い調子で名前を呼んだ俺を、泣きそうな顔が問うてくる。――怒ってるの?
 止めろと言うのか。止めたところで、どうすればいい。このまま部屋に帰すのか? 帰せるのか?
 次に言うべき言葉を見つけられず、俺はサユリの視線から顔を背けた。
 再度、部屋を沈黙が支配する。今度は気まずさを伴っている分、収拾のつけ方も思いつかない。
「……っ」
 ちいさく息を呑む声が聞こえたかと思うと、ぞくりと刺激が背中を走った。
「サユ……っ!」
 幼い手が器用に、それを服の中から解放していた。
 始まったのは、恐る恐るといった感じで、指の腹を触れさせてはすぐに離しまた触れるという、まるで焦らすのが目的であるような拙い愛撫。
 やがて指の密着時間は増していき、ついには両手で包み込むようにしてゆっくりと蠢き始めた。
「や、……め」
 情けないことに制止の声は掠れて発せられた。
 サユリは顔を真っ赤にして、ぼんやりした目を手の中のそれへ向けている。小さくも荒い息遣いが生々しく耳に響く。
「えっと……こうして、次は……」
 ぶつぶつと何かを呟きながら、サユリの手に徐々に力がこもっていく。
「く……」
 止めろ。止めさせるんだ今すぐに。俺は何をさせている……!
 自身を叱咤するも、視界に飛び込んでくるひどく卑猥な光景と、耳朶を叩く乱れた呼吸と、じわじわと快感を訴えてくるいたく正直な触感と。それらに俺は成す術もなく屈して、事態を呆然と見送る。
 まるで心にストッパーがかかってしまったようだった。
 今までぎっちり丸め込んできた欲望が、反撃とばかりに理性全てを押さえ込んでいる。身動きが取れない。サユリの艶めかしい表情が瞼に焼きつく。
 と、サユリが僅かに身を起こした。
 何故かスローモーに流れる視界の中で、小さな桃色の唇が開いたのを見た。

「……!」

 生々しい音がする。
 小さな舌が与えてくる刺激は予想以上のもので、今にも吐き出してしまいそうになり。
 必死で咥内に収めようとする姿に、俺は全てを捨てて狂ってしまいたかった。

「んふ、く……っは、ん、んん……」

 吹きかかる熱い吐息。水音にも似た断続的な音。ぬめっていく粘膜質の接触。

 それは熱に浮かされたかのように、ぼんやりとした視界の中。
 サユリはそこに居た。俺のすぐ側で、俺の――

「っく……!」

 俺は唐突な猛りを知覚した。咄嗟に、残った理性を総動員してサユリを引き剥がす。
 途端、愛らしくもなまめかしい顔に熱い飛沫が飛び散った。白いそれは重たく頬を滑り、サユリの顔を卑猥に仕立て上げる。
「はぁ、は……ぁっ……?」
 サユリの目は焦点が合っていない。
 ゆらりと手が上がり、顔についたそれを指ですくった。数秒間見つめた後に、口へ運ぼうと――
「やめろ!」
 細い手首を引っ張って固定してから、手近にあったタオルで乱暴気味に顔を拭いてやる。指もしっかり拭き取ってからサユリを見ると、ようやく気がついたらしい。
 困惑と羞恥とがないまぜになった表情で、怯えた目線が送られている。
「……カタナ、怒ってる?」
「……」
 本気で答えに窮していると、サユリは俯いてこんなことを言った。
「「きもちよく」なかったから、疲れが取れなかった?」
「違う」
 思わず即答して、サユリの上目遣いを真正面から受け止めてしまう。
 青色の潤んだ瞳は冷静な思考を掻き乱し、混沌の渦へと導いていく。自身の中の黒い闇の中へ、抵抗する間もなく飲み込まれて。
 ――やがて、俺は素直に匙を投げることにした。
 何故なら、この混沌から抜け出すよりも簡単な方法を知ってしまったから。

 サユリの頬を包むようにして手を添えて、顔を上向かせる。指先に絡む金糸が心を落ち着かせてくれた。
「怒ってなんかいない」
 そうだ、悪いのはお前であって、俺じゃない。
「ほんとうに?」
 事を急いだのはサユリ、お前なんだから。
「ああ」
 俺はただそれに応えてやるだけだ。
「よかった。「こういうのはケイケンがモノをいう」って言ってたから、うまくできるかわからなかったけど」
 俺の大事なお前の望みを叶えてやるだけのことだ。
「でも、カタナに喜んでもらいたかったから」
 だから怒ってなんかいない。むしろ歓迎している。
 ――さあ、サユリ。

「覚悟はいいな?」

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