(……うわ)
 ぷに。そんな擬音に相応しい感触が手のひら全体に伝わる。
 触れているのはシルヴィアの頬で、一番柔らかそうなとこを探したらここにたどり着いただけのことだ。
 まあ、二の腕とか腿とかをやろうとしたら全力で断られただけなのだが。
「はによ」
「やーらけー」
「ふるはいっ」
 むにむにと両の頬を掴んでというか摘んでというか、まあそんな状態なのでシルヴィアの発音がおかしなことになっている。
「はんはひみはいへほ……」
 あんまり見ないでよ、と言ったらしい。
 そう言われても真正面から頬を触りまくっているんだから見るなとかいう方が無理だ。シルヴィアの頬が次第に熱を帯びて、見た目にも赤くなる。
 最初は頬だけをいじりまわしていたのだがふと、他はどうなんだろうと素朴な疑問が沸き起こった。少しずつ少しずつ、指先で接触範囲を広げていく。
 お、目元とか柔らかいな。鼻はそーでもないけど。額も普通。あ、瞼やらけー。
 でもさすがに目っつーのは慎重にやらないとだろう。じゃあ指先で瞼をつんつん触ってみようと思い、片側の頬から手を放した。
「ひ、ひょーひに乗らないでよっ」
 触っていいっつっといて文句かよ。少しくらいいいじゃねえかケチくせえ。お前こそ少し黙ってろよな。
 ごく当たり前のようにそう思って、頬に当てたままだった方の手、その指先をシルヴィアの唇に触れさせた。
「ちょ、ぅむっ」
(……あ)
 なんだ。一番柔らかいのがここにあった。
 軽く押すと押し返される、心地よい弾力性。瑞々しさ。
 何で最初に気が付かなかったんだ、さっきさんざん触ってたのに。唇で。柔らかかったから離せなくて――
「……シルヴィア」
「なに……ぇ、ちょ、アポ」
 くらりとした眩暈にも似た、何か。
 勝手に体が動いた。動かしてんのは、その何かだ。俺じゃない。多分。よくわかんねえけど。
「ん、っ……!」
 くぐもった声が聞こえる。だがそんなことは些細なことだ。何故ならここはこんなにも柔らかい――もっと、触ってみたい。
 押し付けるように体を前に進めると、しっかりと閉じていたそこがずれた。そういうつもりはなかったが、気が付くと舌で触れている。
 柔らかいというよりはぬるぬるした、熱い何か。自分のそれと同じものだと理解するまで少しかかった。理解したところで何も変わらなかったが――そう、触れることを止めたりはしない。
 逃げようとするシルヴィアの腕を掴んで引き寄せる。
 柔らかな肢体はあっさりと腕の中に収まって、苦しそうな息遣いを耳に届かせる。苦しい――そういえば自分も苦しい気がする。でも離せない。離すということまで思考が辿り付かない。酸素が足りなくなってさらに頭が動かない。
 ――だって、これはあまりにも気持ちがいい。
(あー……)
「――っぶは!!」
 完全に頭が真っ白になりかけたところで、生存本能が働いてくれたらしい。
 ぜはぜはと吸って吐いてを何度も何度も繰り返して、それでようやく、目の前のぐったりした存在に気が付いた。
「お、おいシルヴィア!」
 慌てて抱き起こすようにして、揺さぶってみる。すぐに反応があった。
 シルヴィアが小刻みに震えているのは、咳き込んでいたからだった。良かった生きてる。何せ顔を上げたからな。それに真っ赤な顔してめちゃくちゃ怒っ――
「っの、バカぁぁあああ!!」
 がつーんと、来た。顎に。頭突きが。それも確実に渾身っぽいのが。
 外れたんじゃないのかこれ。そう思わせるほど、顎付近がじんじんして熱く、それでいて痺れたように感覚がない。
 苦しみ悶えながら犯人を見やると、向こうも頭を押さえて震えていた。アホかお前は。そうツッコんでやりたいがツッコめない。
 しばらく二人で動けないまま時を過ごす。
 最初に動けるようになったのは、犯人の方だった。
「……あ、あんたねえっ……!!」
「な、なんらよ……」
 まだうまく動かせない口で、どうにか返事をする。
「誰がそこまでしていいって言ったのよっ!!」
「言ってねえけど」
「じゃあ何でしたりするわけあんたは――!!」
 びゅおっ、とシャレにならない威力の拳が打ち付けられる。
 苦しみのあまりベッドに転がった俺の顔の、すぐ真横に。言い換えると、さっきまで俺の頭があった場所に。
「っこ、殺す気かお前?!」
「こんな一撃で死んでもらっちゃ困るわよ!!」
 さらにもう一発。今度は体を下方に滑らせてぎりぎりでかわした。衝撃に揺れるベッドの上、殺人鬼と化したシルヴィアと目が合う。
 ぎらり。血に飢えた瞳が俺を捕えて離さない――
「っし、仕方ねーだろ勝手に体が動いてってゆーか、気持ち良かっ……!」
 言い訳は最後まで言わせてもらえなかった。
 掴まれた胸倉が物凄い力で引っ張り上げられて、シルヴィアの目の前まで浮かされる。喉が締まって息ができない。シルヴィアの手を振り解こうにも、酸素不足は既に、体に力が入らない域まで達していた。
「っか、は……」
 目の前が白くなる。あー。俺ここで死ぬのか。思えば短いようで長いようなわけわかんねえ人生だったな。
 もう何も思い出せない。色々たくさん大事なものがあったはずなのに、何も浮かんでこない。
 確かこういうときって、一生の思い出がぐるぐる回ったりするんじゃなかったか。ソーマトーとかいうやつ。あれいっぺん見てみたかったのにな。何だ、つまんねえの……
 そうして意識を手放す瞬間、
「っがは……っ?!」
 この上なく乱暴に粗暴に乱雑に、まるでごみくずみたいに床へ叩きつけられた。

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