薄く開いた目の前に、ずしん、と何かが置かれた。白い――足。
ぼんやりした視界の中で、その足の持ち主は仁王立ちをして自分を見下ろしている。
「起きなさいよ」
無造作に飛んできたつま先は顔面を目指していて、反射的に腕で庇いながら逆方向へ転がる。その勢いで半身を起こしつつ、相手と一定の距離を取った。
「っがほ、げほっ……」
急に動いたせいか数回咳き込む。くそ。まだ頭がぼんやりする。
「……苦しかった?」
冷ややかな声が降ってきた。見上げたシルヴィアは窓からの月光を背にしており、影になった表情は読み取ることができない。声色だけで判断するならば、未だ怒りの真っ最中といったところか。
「どうなのアポロ? 苦しかった?」
二度目の「苦しかった」を一音ずつ区切りながら、シルヴィアは一歩、こちらに近寄った。有無を言わせぬ迫力に素でビビりそうだ。
「あ……あたりまえ、だろ」
素直に答えたのはその迫力に負けたからではない。本能だ。本能がそうしろでなければ死ぬと、そう告げてきたからだ。
声が一部イガラっぽくなってたのも、弱っている風に見せかけて油断を誘うためだ。本当は普通に発音したつもりだったんだが、きっと気のせいだ。
「そう……」
シルヴィアがもう一歩を詰めてきた。
素早く後ずさると壁に当たる。マジか。今度こそこんなとこで、こんなことで死ぬのか俺。
そうして――くずおれるように、シルヴィアはその場にへたりこんだ。
「な、え……?」
一体これはどういうことだどうしたんだ? 俺の目の前でくたりと座り込んだまま、シルヴィアは動きを見せない。
「し……シルヴィア?」
肩でも叩いてみるかと、恐る恐る手を伸ばしてみる。その途中で、唐突にシルヴィアが顔を上げた。
「ひいっ!」
「……何なのよその反応は」
低い声が恨みがましく告げてきた。けれど、トドメの攻撃はやってこない。
「苦しいの、わかった?」
「え、あ?」
「――っ、息ができないのがどんなに苦しいか、わかったって聞いてるの!」
「わっ、わかった苦しかった死ぬかと思った!」
またシャツをぎりぎりされそうになり、自棄になって本音を叫ぶ。伸びてきたシルヴィアの手は勢いを殺さずに、結局俺の胸元を掴み上げた。
……が、そこで終わりだった。シルヴィアは手の中にそれを捕えたまま、その手へ己の額を押し当てるようにして――俺の胸へしなだれかかってくる。
「し、シルヴィア?」
「……から」
よく聞こえない。
ただ声の質からして、また泣かれそうになっているのだと、今までの経験が告げてきている――
「おい、シルヴィ――」
「苦しかったんだからっ……わ、私だってさいしょはちょっとだけ気持ちいいかもとか思ったりしたけどでも苦しいしあんた止めてくれないしだいたい何でそうなのよいつもいつもあんたはぁっ!」
どす。げほっ。
胸が容赦なく叩かれ、俺は大いに咳き込んだ。
「なんでっ……」
どす。がほっ。
「なんであんたみたいなのっ……」
どすどす。げほげほ。
「少しくらいやさしくしてくれたっていいじゃないっ……!」
どすどすがすっ。がっ……、げほがほごっ、ほ。
「わ……わかったから、シルヴィア、ちょ」
「ばかあっ……!!」
ごすっ。
最後はまた頭突きかよ。
瞬間的に詰まった喉が回復するまで数十秒。
慌てて酸素を取り込みながら、俺は、胸んとこで泣き出したシルヴィアの頭をそっと撫でた。
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