行く先 4
抑えられなかった自分がいた。
絡まない糸のような亜麻色の髪。
惹き付けてやまない吸い込まれるかのような双つの紫水晶。
水気を含んだ肌に己の唇で触れた。
キラに惹かれている事はとうに気づいていた。
相手が一介の召使だろうと。
一回りも年下である少年であろうと。
そんなことは何の枷にも障害にもならなかった。
毎晩廊下で夜空を眺めているのは知っていた。
月明かりの下に佇み静かに八分咲の桜を見つめる少年。
素直に綺麗だと感じた。
初めはただそれだけだったのに。
自分でも気づいていないのだろう涙を零す姿を見てしまった。
その時に気づいたのだ。
彼が見つめているのものは桜でも、夜空でも月でもない。
そのずっと先にある何かだということに。
彼の求める何かを、与えてやりたいと思う。
彼の纏うどこか寂しさに似たものを拭い去ってやりたいと思う。
自分が打ち込める『何か』を見つけたと---そう思った。
「・・・」
時刻は恐らくもう零時を廻ったのだろう。
それなのにキラは眠ることが出来なかった。
その原因は、額のうずき。
相手は一回りも年上のご主人様で。
きっと自分のことは子供だと思っているのだろう、何度もそう思おうとした。
…確かに子供だけれど、召使にあのようなことをするのだろうか。
嫌われているとは思わない。寧ろ好かれているということは判っている。
でも。
”好き”の意味を、あの口付けから読み取ろうとするのには
それはあまりにも不鮮明で、またキラも幼すぎた。
もしあの人も僕のことを好きでいてくれているのならば。
そう思えば、『相手はご主人様だぞ、ありえるわけが無い』と自分の考えを戒める。
アレは単なる感謝の意だったのならば。
そう思えば『それは当然だ』という自身のもう一つの声に落胆する。
何度も仮定と否定を繰り返し、
意識がまどろむ頃には、既に空が白み始めていた。
気づいた時には既に恋に落ちていた。
二人の挟間にある障害は、恋の炎を更に燃え上がらせる薪でしかなかった。
「こんばんは、ムウさん」
「おう」
お決まりの挨拶。
どちらが先に来ていようとも、いつもこの挨拶であった。
「なぁ、キラ」
これも、別段いつもと変わりのない言葉。
ただここから先がいつもと違った。
「俺、ここを出ようと思う」
今まで自分の未来についてムウが話すことは決してなかった。
キラも聞かなかったし、もちろんムウが聞いてくることも無かった。
突然の告白にキラは思考回路が停止する。
ムウさんがいなくなる…
考えたことも無いことだった。
それは考えたくなかったからなのかもしれない。
時が止まってしまったかのように思えたが、
それは違うと、一陣の春風が頬をさらうことで気づかされる。
桜は満開で、その春風もここに来た頃に比べ暖かくなったのに。
随分と冷たく感じた。
「なぁ、キラ」
呼びかけられても怖くてその方を見ることが出来ない。
視界にあるのは、膝の上で拳を作る震えた自分の手だけ。
「こっち向けよ」
嫌だと首をぶんぶんと振ったが、それは叶わなかった。
グイと顎を引かれ、否が応でもその青い瞳を見つめねばならない。
「キラ」
何度聞いても、とても心地良い声音。
その声で自分の名前を呼ばれるのがすごく好きで。
でも、その声で、別れを告げられるのがとても辛くて。
ぼやけた視界では、ムウの表情をうかがうことは出来なかった。
「一緒に、行かないか?」
思っても見なかった言葉。
「好きなんだ、キラ」
これは。桜が惑わす幻ではないかと思った。
自分に都合の良い夢。
それでも良かった。
そんな夢ならばずっと覚めないで欲しいと思った。
キラの返事は、嬉し涙で濡れた唇に溶けて消えた。
←前頁
次頁→
|
|