行く先 2







春の夜は、花冷えで昼間とは寒暖の差が激しい。
しかし昼間の霞がかったものとは異なり、
昼との気温差が空気を引き締め、桜が美しく見える。
更に今宵は満月であった。
それがまた一層桜の美しさを際立たせるものとなっていた。

満開にはまだ少し足りぬくらいが、一番美しいと思う。
未熟な面と、しかしあと少しで熟しそうな面と。
その完全に近い不完全さが、なんともいえないのだ。
自分は、”完全に近い不完全”ではなく”完全にはまだ程遠い”のだけれども。
今はまだ、生きることに精一杯だけれども、
いつかはこの目前の桜のように、内に秘めた強さや優しさを持ちたいと思う。
すこしだけ湿気を含んだ夜風が、桜の花びらを吹き飛ばす。
散ってしまう、と思いながらも、あの花びらのように自由に生きたいとも思う。
自分の身の上が不幸だとは思わない。
ここで働くことが囚われているとは思わないけれど。



少しだけ、心の温度が低くなったのを感じた、その時だった。


ふわりと肩に暖かさを感じる。



「?」



掛けられた藍色の着物。
ふと人の気配に気づいて後ろを見上げた。
満月の光に照らされた金色の髪。

「…あ。・・ムウ・・坊ちゃん…」

そこに立つのはここの次男坊ムウであった。
人のよさそうな笑みを浮かべている。


「風邪引くぞ」


耳に響く、低音。
それはとても心地の良いものだった。
そのあまりの心地良さに、言葉の意味が脳へ伝わらない。
はっと気づいた時には既に暗い廊下へと消えていこうとしていく、大きな背中。


「あ、あのっ!!」


こちらは向かずに、ひらひらと手だけが振られた。
そして、その姿は暗闇へと消えていく。
あ、そういえば。。次男坊は夜更けに出歩くとディアッカが言っていた。
着物からは、人のぬくもりが伝わる。
恐らくさっきまではムウが着ていたのだろう。


「…暖かい…」








翌日。時は午後の3時過ぎ。
キラはムウの部屋の前にいた。
ムウは午後にならないと起きて来ないらしいことを知っていた。
夕飯時は自分も支度で忙しく、といってまた今晩もムウに会えるとは限らない。
その為に、昨夜借りた着物を返しに来たのだ。
この屋敷に住み込みで働いてからもう一月近くが経とうとしているのに、
あまりムウと接する機会が無かった。
言葉を交わすことはもちろん、ムウの部屋に入ったことも無かったのだ。
ばくばくと鼓膜にも響く心臓の音。
数分悩んだ挙句、キラは意を決した。



「・・あ、あの、ムウ坊ちゃん・・キラです…」
障子越しにそう問いかけると、返事は直ぐに返ってきた。
「入れよ」


緊張のあまり、少し冷たくなった手で障子を開けた。
「!!」
初めて見た、ムウの部屋。
お世辞にも綺麗とはいえないものではあったが、そこには無数の本があった。
本棚に収まり切らなかった本が畳へと積み上げられ、それが幾つもの塔のようだ。
そしてその本たちの隙間に布団が敷いてあった。
きっと万年床なのだろう、最低限布団の空間を確保したという感じだ。
ムウはその布団に寝そべって書物を読んでいた。
「・・・」
「どうかしたのか?」
何も言葉を発しないキラに、ムウが問いかける。
「!!あっ・・そのっ・・これ…」
緊張とはじめて見る光景への衝撃で、
着物をぎゅうと抱きしめてしまった所為か、
持ち主に差し出したそれは少し皺になってしまっていた。
「別にいつでもよかったのに」
そうムウは言いながらキラから着物を受取る。


持ち主へ返すのに、自分の手からそれが離れていくのを
少し寂しく感じてしまう。

本当は離したくなかったぬくもり。



着物を受取るムウの手を、ただただ見つめていた所へ急に話しかけられ
些か反応が遅れる。




「なぁ・・キラ」

「・・・っは、はいっ」









「今晩もあそこにいるのか?」

































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