Part3 餌付け編 |
||||||
「哀ちゃん、哀ちゃん、哀ちゃんっっ」 翌日、連絡を受けて既にセカンドハウスと化しているお隣を訪ねた見た目小学生の化学者は、玄関のドアを閉め終るなり突進してきた見た目高校生な怪盗に飛びつかれた。 (こうして見ると、鳥というより大型犬ね) と、冷静に感想を述べている場合ではない。双方のウェイト差は約40キロ+加速度付きとなれば… ドンガラガッチャーン 「やるんじゃねーかと思ったぜ」 一人リビングでくつろいでいた家主は、こちらも冷静に感想を述べていた。 「で、この状況の原因はあれかしら」 「哀ちゃ〜ん、灰原女史っ、指差さないでお願いしますっ」 まぁ、自分は転んだだけで怪我もなかったし、ひっくり返った花瓶の始末は何も言わないうちに本人がやってくれたし。おまけにお茶請けに出されたクッキーも自分好みのさっぱりした甘さだった(レーズン入りなのは家主へのささやかな反抗だろう)ので許してやろうかと、部屋の隅で窓に目一杯背を向けている相手に声をかけてやる。 「情けないわね。天下の大怪盗さんが、たかが鯉のぼりに監禁されてるなんて」 そう、窓の外に広げられているのは全長15mはあろうかという特大の真鯉。この様子では隣室や二階の窓からもばっちり見えるのだろう。ちなみに先ほど通ってきた玄関先には、職人技が光る、見事な鱗の青鯉が干されていた。 「……哀ちゃ〜ん」 それは許すのではなくトドメです。言葉だけでも聞きたくない、とぎゅーっと耳を抑えて涙目で見上げてくる快斗に、失敗したわ、と哀は口元を抑えた。工藤くんがついいじめたくなる気もわかるけど、今日は私まで乗るわけにはいかないしね、と我関せずで推理小説を読みふけってる家主に向き直る。 「今更工藤くんに一般常識を問う気はないけど」 「おい」 「私が暦を見間違えているのでなければ、端午の節句はほぼ一週間前だったはずよね。何で当日にもなかったものが今になって泳いでいるわけかしら」 「たまには虫干しもしてやんねーとな」 去年も一昨年も出してなかったし、と抜け抜けとのたまう新一を睨…もうとして慌てて視線を逸らす快斗。いっそ窓側に居れば見ずに済むのだろうが、恐怖の物体に近づくのも嫌らしい。 (それでも出て行く気ならどうにでもなるでしょうに……ほんと、工藤くんには甘いんだから) お互いどこまで無意識なのか今度実験してみたいものね。口先でこの二人を相手にするのは面倒だし、一服盛ってみようかしら。冷戦中とは絶対言わせない光景に削られた気力を八つ当たり気味に不穏な計画を立てることで奮い起こし、哀はここへ訪れた目的を果たすべく口を開いた。 「虫干しだけなら午前中だけでも十分でしょう。すぐに片付けて頂戴、工藤くん」 救いの言葉に一気に表情の明るくなる今は黒い羽の鳥。それとは対照的に、珍しく良かった家主の機嫌は急降下したようだ。 「あんでオメーがそんな事を言い出すんだ。うちの庭で干してるだけだし、そっちには影響ないだろう。」 「いいえ、関係あるのよ」 観察の邪魔なの、あんなに大きな目玉が庭にあると。 「目玉?」 「えぇ、目玉模様があると鳥が怯えて近づかないでしょう。折角餌台も作ったのに」 「……ひょっとして帝丹小学校って、愛鳥週間が恒例行事?」 どこか遠い目をした黒い鳥に、元&現役小学生は揃って頷いた。 「だから仕舞ってちょうだい」 「ちっ、しゃーねーな」 哀に睨まれた新一が渋々立ち上がって出て行くと、入れ替わるように部屋の隅で怯えていたはずのもう一人が近寄ってくる。 (まだそこにあるのに、やっぱり平気じゃないの) 「ありがと、哀ちゃん。日が暮れるまでこのままだったらどうしようかと思ったよ〜」 口調は黒い鳥のまま、夜に舞う白い鳥の優雅な仕草で小さな手をとり、口付ける。気障な感謝の印に、たまにはこういうのも悪くないわね、と思いながら哀は言葉を継いだ。 「じゃ、まだ今夜のお仕事までには時間があるのね。それなら暫く付き合ってもらえるかしら」 「なんなりと、姫君」 今はその背にはない翼を広げるように一礼。 「博士も根を詰めすぎてるみたいだし、向こうでお茶にしましょう。折角のいいお天気に屋内に篭ってたいらしい誰かさんは置いておいて、ね」 年に一度の愛鳥週間に、世界でただ一羽しかいない、大切な大切な鳥を傷つけることは許さないわよ。 あなたの代わりになれるものなんて、どこにもいないんだから。 滅多にお目にかかれない皮肉の欠片すらない哀の微笑みと共に渡された優しい言葉に、鳥は照れたようにやはり笑って。 そして風が冷たくなるまで、隣家の庭先では、甘いミルクティとお茶菓子で隣から誘い出した鳥を愛でる会が開かれることになった。 最後までその席に、隣家の悪魔は参加出来なかったようである。 (合掌) |
||||||
|