. . . N o v e l s. . .

    勿忘草
愛することは罪なこと。
それでも愛してしまったならば、
私はそっと忘れましょう。




張遼の瞳はある人物を追っていた。
勇猛果敢、習練と言え決して手を抜かない。
方天戟で軽々と向かって行く兵をなぎ倒している。
その様子は人々の言うとおり戦神のようだと思う。
何者にも負けない武。
それを持っているのは呂布だけであり、
その呂布の側に仕えられることは張遼にとって、
喜びであった。
しかし、その喜びがいつからだろう
つらいと感じるようになったのは。
何気なく呂布にしてみれば、本当に何気ない優しさが
張遼の胸を締め付ける。
ただ、側にいられればよかったのに、
一度知ってしまった喜びは、
普通には忘れることなどできない。

「どうかしたのか?」
とっくに習練を終えていた呂布が気がつけばすぐそばに立っていた。
「何をぼーっとしている?熱でもあるのか?」
大きな手が張遼の額に当てられる。
呂布のぬくもりが薄い肌を通して伝わる。
「熱はないようだが、顔が赤い。
 今日はもう休め」
「いえ…大丈夫です」
毎日の習練は武将の務め。
そう思っている張遼は無理やり武器を手に習練場の中心に行こうとする。
しかし、その足は呂布によって止められた。
力強い手が張遼の腕を掴んでいる。
「お前に倒れられては困る。
 いいから、休め」
呂布の真剣な表情から本気で心配しているらしいことがわかった。
「わかりました。本日はお休みをいただきます」
返事を聞いて呂布はその手を離す。
張遼はそっと下を向くと呂布の顔を見ないようにして、
その場を後にした。


誰もいない廊下を歩きながら、
張遼は自分の不甲斐なさを悔やんでいた。
呂布の側に仕えるものとして武を磨くことは
しなくてはならないことなのに、
それができていない自分に腹が立つ。
側に仕えられればそれでいいと思っているのに、
このままではそれすらも無理なのではないか。
張遼は小走りに自室に戻り、
そのまま寝台に横になる。
小さく丸くなると色々なことが頭に浮かぶ。
しかし、それらはやがて消え、
張遼が惹かれてやまないものへと変わる。
『愛してます』
心の中で呟くもそれは幻だからできること。
決して表に出すことのできない想い。
届くはずもない想い。
あの人には必要のない想い。
そして、邪魔になるだけの想い。
今を維持することを阻む想い。
ならば、この想い消してしまえばいいのにと、
そっと張遼は涙した。



そして次の日。
張遼の元には呂布よりの使いがやってきた。
「張遼殿は本日も休暇をとれとの殿のお言葉でございます」
きっと大事を取ってということなのだろうが、
そのことは張遼を追い詰める。
「了解いたしました」
と答える声は固く乾いていた。
使者が帰った後、張遼は何かに導かれるように外へと出て行った。



ふらふらと当てもなく道を歩く。
人通りも少ない道のせいか、
すれ違う者もいない。
そんな中、張遼は声をかけられた。
「もし、そこのお方、お暇でしたら見ていきなされ」
道端で者を売る老人だった。
特に行くところもない張遼が売り物を覗き込む。
そこには怪しげな瓶が並んでいた。
中には液体が入っている。
「薬…か?」
「ただの薬じゃない。これは惚れ薬。
 これはしびれ薬。そしてこれは忘れ薬じゃ」
「忘れ薬?」
老人の指差した青い瓶に張遼の瞳は釘付けになる。
「そう、何でも忘れてしまう薬じゃ。
 ただし、本当に全てを忘れるからの。
 己が何者だったかさえも忘れる」
「全て…か…・」
深く考え込む張遼を見て、
老人は微笑みながら瓶を差し出した。
「これはあんたにやろう。
 何か忘れたいことがあるんだろう?」
無理やり張遼の手に瓶をもたせると、
辺りに強い風が吹いた。
とっさに張遼は目をつぶる。
再び目を開けたとき、
そこに老人の姿は無かった。


自室に戻り青い瓶を眺めてみる。
全てを忘れる薬。
自分の想いも、名前も全てを失う薬。
使うことは恐ろしいと思う。
しかし、この苦しみからこのつらさから
逃れられるならば…。
張遼は静かに瓶に手を伸ばし、
中の液体を一気に煽った。





「元気がございませんね。
 張遼殿がいらっしゃらないからですか?」
政務中ため息をつく呂布に陳宮は笑顔で軽口を叩く。
『そんなことはない!!』と顔を赤くして怒りをあらわにする呂布だが、
その様子を見て、陳宮は更に笑った。
「殿は本当に張遼殿が大事であられるのですね」
呂布は具合の悪そうな張遼に習練を休ませ、
更に大事を取って今日も休ませている。
他の武将でも休みは与えるだろうが、
ここまでは心配しないだろう。
「張遼自身は大丈夫だとおっしゃっているのですから
 そんなに気にされなくても問題ありませんよ。
 もしも、気になるようでしたら後ほどお見舞いに行ってはいかがですか?」
「そうだな…」
陳宮に『張遼がいないので元気ない』と言われ怒った呂布だが、
実のところ、今日は何故かやる気がでなかった。
気分転換に習練しても気が晴れない。
やはり張遼がいない所為なのだろうか。
それを見極めるには会うのが一番だろう。
呂布は徐に立ち上がる。
「見舞いに行く。それはお前がやっておけ」
それだけ言うと駆け出してしまった。
陳宮は呆れたような表情を浮かべるが、
元気のない呂布を見るのよりはいいだろうと、
再び書簡を手に取った。




張遼の屋敷につくと、何やら騒がしい。
右往左往している家人を捕まえ話を聞く。
すると、思いもがけない答えが返ってきた。
「実は…・張遼様の様子がおかしいのでございます」
おかしいと言うのは病でというのではないらしい。
とにかく会って欲しいと懇願され、
呂布は張遼の部屋に通された。
窓のそばに椅子に腰掛けた人影が見える。
しかし逆光で顔は確認できない。
「張遼?」
呂布が声をかけるが反応はない。
仕方なく近寄りその顔を確認する。
よく見知った顔。
しかし、何かが違う。
「張遼?どうしたのだ?」
肩を掴んで揺すってみる。
それでも張遼は何も言わない。
気がつくと先ほどの家人が部屋の外に立っていた。
大声でこっちに来いと呂布が叫ぶ。
「呂布殿でもだめでしたか…」
沈んだ面持ちの家人は、
昼飯の準備ができたと呼びに行った時から既にこの状態だったと説明した。
ふと呂布は張遼の目の前の卓に見慣れない瓶が置いてあるのに気づく。
「これは何だ?」
「お出かけされた時に持って帰られたそうです。
 中身は誰も存じておりません」
青い瓶は逆さにしても何も出てこない。
中に何が入っていたのかを知ることはできなかった。
「医者には見せたのか?」
「はい。しかしどこにも異常はないそうです」
「異常だらけではないか!!
 これのどこか正常だと言うんだ!!」
呂布が激昂する。
医者に見せてもわからない。
どうすればいいのかと頭が混乱する。
「陳宮を呼んでこい」
自分にはわからないことを陳宮ならば知っているかもしれない。
呂布は家人にそう言いつけた。
しばらしくして陳宮がやってきた。
張遼の様子をしばらく見ると、
今度は青い瓶をまじまじと眺め始めた。
焦れた呂布は陳宮に詰め寄る。
「何かわかったのか!!」
「わかりません。ですが…
 噂に聞いたことがございます。
 不思議な薬を売る者がいると」
陳宮が言うにはその不思議な薬を売る者は
突然現れ、瓶に入った薬をくれるのだという。
「この瓶はもしかしたらその者が張遼殿に渡したのかもしれません」
「その薬の所為で張遼はこうなったのだな!!
 どうすれば治るんだ!!」
「私にもわかりかねます。
 作った人間にしかわからないのではないでしょうか?」
「そいつを探し出すしかないのだな。
 探しに行く」
呂布は人を集めその者を探せと号令をかけようとした。
しかし、陳宮は『お待ちください』とそれを止めた。
「薬を飲んだのは張遼殿の意思だと思われます。
 こうなることを知っていてあえて薬を飲まれたのでしたら、
 それを治すのは…・」
「俺の我侭だとでも言うのか?」
「そうとはいいません。しかし…・」
陳宮はそういったまま口をつぐみ、下を向く。
「席を外せ、張遼と話がしたい」
「わかりました」
一礼をして陳宮が部屋から出て行く。
残されたのは張遼と呂布だけとなった。
二人きりになっても張遼は椅子に座ったまま、
動くことはない。
まるで人形のようだと呂布は思った。
手を額に伸ばす。
その体温は昨日とまったく同じだ。
それなのに、張遼は動かない。
話すこともしない。
呂布を見ない。話も聞かない。
陳宮が言うとおりそれを張遼が望んだのだろうか。
呂布はその時、自分の気持ちの変化を感じた。
ここに来るまで呂布を支配していたやる気のなさがまったく無くなっていた。
『張遼が側にいないので元気がない』と言った陳宮の言葉は当たっていたらしい。
呂布は張遼の瞳を見ながら、一息に宣告した。
「張遼よ…・。俺は我侭な人間だ。
 別に何もしなくてもよい。
 俺にはお前が必要だ。側にいろ」
別に何もしなくてもいい、
ただ側にいるだけで自分は自分らしくいることができる。
しかし、呂布は思う。
側にいるのなら、
自分の話を聞いて欲しい、話をして欲しい。
自分のことを見ていてほしい。
それは我侭だろう。しかし、それは理解した上でのことだ。
今まで通り張遼には側にいて欲しいと願うのだ。
張遼を元に戻し、先ほどの言葉をきちんと伝える。
そう決意した呂布はそのまま部屋の外に出る。
外には陳宮が控えていた。
「例の者を探し出せ、何人使っていい。
 俺も探しにいく」
「了解いたしました」
今度は陳宮も何も言わなかった。
呂布が張遼に対する想いに気づいたことを理解したのだろう。
そのまま陳宮は人を集めに屋敷を後にした。



呂布も張遼の屋敷を出て、薬売りを探す。
怪しい者を見れば話しかけ確かめる。
しかし、時間は過ぎるばかりで一向に見つかる様子はなかった。
時間が過ぎれば発見できる可能性は下がっていく。
張遼が薬売りと出会ったのは今日。
まだきっとこの辺りにいるだろうという推測で探している。
しかし、明日になっても見つからなければ、
薬売りは移動してしまうかもしれない。
焦る呂布は気がつくと人の姿の全くない道に来ていた。
こんな道にはいないだろうと思い、来た道を引き返そうとした時、
ふと妙な感覚に襲われた。
よく見ると道の片隅に老人が店を開いている。
もしやと思い近づくとそこには妙な瓶が並んでいた。
呂布は掴みかからん勢いで老人に尋ねる。
「今日、青い瓶の薬を売ったのはお前か!!」
「青い瓶…ああ…売ったんじゃない。
 上げました、忘れ薬をね」
「忘れ薬…だと」
呟くように呂布が言う。
「わしの作る忘れ薬は全てを忘れる。
 己が誰だったかも、感情や、言葉、身体の動かし方すら忘れるのじゃ」
その薬を使った結果が今の張遼の様子なのだった。
「それを治す薬はあるか!」
老人がひょいっと眉を上げる。
「ないこともない。しかし、薬を飲んだのはあの方が、
 何か忘れたいことがあったからじゃないのかい?」
「そうかもしれん。しかし俺にはあいつが必要だ。
 一度元に戻して話がしたい。それでも忘れていた方がいいのなら、
 もう一度薬を飲ませる」
語気盛んな呂布の口調に老人はにやりと笑う。
「だったら、これが薬の効果をなくす薬だ。
 それとこっちは忘れ薬だよ」
老人から赤い瓶と青い瓶を受け取った。
「使いたいのなら使えと伝えておいてくれ」
「わかった」
短く言うと呂布は再び張遼の屋敷へと急いだ。







陳宮に人払いをさせ、張遼の部屋に入る。
数刻の時が過ぎてもなお、張遼はその場所にいた。
呂布を見ることのないその瞳が物悲しい。
早く自分を見て欲しい。
口をきいて欲しい。
呂布はためらいなく赤い瓶を開けると、
中身を口に含む。
そして、張遼に口付けた。
合わされた口から液体を張遼に注ぎ込む。
『こくり』
張遼の喉から飲み込んだ音がした。
虚ろだった張遼の瞳に光が戻る。
逸る気持ちを抑えきれず呂布は、
張遼を抱きしめた。
「戻ったのか!!」
「と…殿っ!!」
先ほどまで聞くことすらできなかった張遼の声が呂布の耳に入る。
「元の張遼だな!!」
「お…お放しくださいっ」
張遼の切羽詰ったような声で呂布はその身体を放した。
元に戻ったというのに張遼は呂布の方を見ようとせずに、
目を顕著に逸らしている。
「……何故…忘れていないのでしょうか…・」
張遼が呟いた言葉は自ら例の薬を飲んだことを告白していた。
「忘れていた方がよいのか?
 私の側にはいたくないのか?」
張遼は何も言わない。
呂布は去る者は追わず、来る者は拒まずという人間であると
自分は今まで思っていた。
しかし、張遼に関しては去ろうとするのを追ってしまう。
自分の気持ちに戸惑いつつも、
呂布は自らの想いを口にする。
「ここに例の薬がある。
 お前も見覚えがあるだろうこの瓶に」
張遼が振り返った。
呂布の手にある青い瓶をただ見つめている。
「これを飲めばお前は何もかも忘れる。
 お前が本当に忘れてしまいたいことがあるならこれをやれと
 薬売りに言われた。
 その前に、俺の話を聞け。いや…聞いて欲しい」
命令を言い直して、願いに変える。
「わかりました…」
小さい声で張遼が同意した。
いざ、思っていることを言おうとするのは照れくさい。
しかし、きちんと言う機会は今しかない。
この機会を逃してはならないのだ。
呂布はそれをまるで戦機を知るかのように、
直感で感じた。
すうと小さく息を吸い込み、吐き出す。
戦とは違う緊張感が呂布を包み込んでいる。
「今日、陳宮に元気がないと言われた」
呂布の言葉は前置きもなく始まった。
しかし、張遼は真剣な眼差しで聞いている。
「お前が側にいないからだろうと言われたんだ。
 俺はそんなはずはないと思った。
 だが、ここに来てわかった」
そこまで言うと再びゆっくりと息を吸う。
張遼は焦ることなく呂布が口を開くのを待っていた。
「何もできなくても、何をしなくても、
 それでも、お前がいるだけで俺は俺でいられる。
 だから、側にいて欲しい。
 例え、お前の両手足がなくなっても、
 それでも隣にはお前が必要だ」
「殿…・」
一気に言った呂布は張遼から目を逸らし、
若干赤面していた。
「別に俺はあの薬を飲むことは止めん。
 それがお前の意思ならばな。
 だが、どんなお前でも俺は側に置いておくから
 それを忘れるな」
どんと張遼の目の前に青い瓶を置いた。
張遼はそれを取り、床に投げつけた。
「張遼?」
張遼の意外な行動に呂布の瞳が丸くなる。
「主にそこまで言われて、
 仕えないとは言えませぬ」
きっぱりとした声で張遼が言う。
「ただ…一つだけ私事をお話してもよろしいでしょうか?」
「聞こう」
言いにくそうに張遼が言う。
「これから申し上げることは…私の戯言と思っていただいても構いません。
 ただ…これからも殿のお側に置いていただけるならば、
 今ここで表に出してしまいたいのです」
「わかった」
呂布の了解を得て張遼は口を開いた。
「私は、殿のことをお慕いもうしております。
 主としてではなく、
 愛しております…・殿のことを」
張遼は下を向き、それでもはっきりとそう言った。
「そんな思いを持っている部下は必要ないのでしたら、
 どうか切り捨てください」
しかし、切り捨てるかどうかには触れず、
呂布は張遼に尋ねる。
「それがお前の忘れたかったものなのか?」
「…・はい。想い焦がれるあまりに、
 部下としての役目にも支障がおりました」
「…・何故今まで言わなかった」
「言っても受け入れられるはずがございませんでしたので」
悲しそうに張遼は言う。
張遼が言った言葉は呂布にとって唐突で、
驚くべきことであった。
だがよく考えてみれば自分の側に置きたいと願うことも、
いなくなるのを止めようとしたのも、
張遼に対する愛情なのではないだろうか。
今はまだはっきりとはしない。
しかし、自分も張遼に対し男女のそれと同じ気持ちを抱く種はもっているような気がする。
「今はまだ全てを受け入れることはできない。
 だが、俺にとってお前は他の者とは違う。
 それははっきり言える」
「殿…」
「その思いを持ったまま俺に仕えろ」
「わかりました。これからもどうぞよろしくお願い致します」
下を向いていた張遼が顔を上げる。
その瞳には涙がうっすら浮かんでいる。
呂布は自分の頬が赤くなるのを感じた。
「お、俺は城に戻る。
 明日からはきちんと出て来い」
「はい」
張遼の高めの声がはっきりと返事をした。
呂布が自分の気持ちに本当に気づくのは
もう少し先のことである。

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