8、笑顔を守るために
あの怖い夢の中に、私はいた。
暗い街の中で、ただ独り泣きじゃくる私。
人は、一人もいない・・・。
本当に私は孤独になってしまった・・・。
「零、 俺と戦え」
黒い男は言い放つ。
「今のお前なら剣を作り出すことくらい簡単なことだろう。剣で俺と戦え」
「それが・・・あなたの下した審判だというのですか?」
零は多少困惑したまま言う。
「ああ。お前のこれから行く末と、俺の命を懸けた真剣勝負だ」
「・・・やむを得ませんね」
零はそう言うと、リュートを手に取り、何かを呟いた。
それに呼応するがごとく、リュートは光を帯び、瞬く間に一振りの『剣』へと姿を変えた。
黒い男も腰に携えた長剣を引き抜く。
夜の黒より濃い漆黒が冬の夜に映える。
「じゃあ・・・行くぜっ・・・!!」
空気が揺れる。
ただの人間が見たら、彼の姿が忽然と消えたようにしか見えないだろう。
黒い男は一瞬で零との距離を縮めていた。
―ヴォンッ・・・!
空気がうねりを上げ、剣が振り下ろされる。
それを零はかろうじて受け止めた。
ギィンッ、という音がこだまする。
「くっ・・・」
手が痺れる。
何とかつばぜり合いを続けているものの、黒い男の一撃はそれほどまでに重いものだった。
続けざまに何度も攻撃を放ってくる。零は受けるだけで精一杯だった。
「どうした?!受けるだけじゃ、俺を倒せねぇ・・・ぜっ!!」
手に込めていた力を抜き、つばぜり合いを中止。
力の行き所を失い、前のめりになった零の腹部に柄で一撃を入れた。
「っ?!ぐぅっ・・・!」
倒れ込み、もがく零。
その姿を彼は悠然と見下ろした。
「なぁ、零よ」
黒い男が不意に口を開く。
「お前は何のためにあの嬢ちゃんに近づいた?あいつの母親が死ぬことは俺等にも、お前にも分かっていたはずだ・・・。何故?!」
彼の目に怒りが宿る。
「無意味に人を殺めていた過去のあるお前だ・・・もし、また人を殺そうとするのなら・・・」
「わ・・・たしは・・・」
よろよろと剣を杖にして立ち上がる零。
「私は、彼女の・・・アキラの笑顔を守りたいだけっ・・・!」
「?!」
不必要に距離を詰めていたことが災いした。
零の剣はちょうど黒い男に届くくらいの長さがあったのだ。
黒い男の喉をめがけて薙払われる剣。
それを男は寸前の所で受け止めていた。
しかし・・・
ガキッ・・・・!カラン・・・
男の、剣が折れた。
あのフェンリルの首さえ一刀両断したあの剣が。
「くっ・・・!」
身を引き、ギリギリの所でかわす。
幸い、零の剣は男の首を皮一枚かすっただけだった。
「がっ・・・!」
自らの力に圧倒され、再び地面に倒れ込む零。
ぜぇぜぇと荒い呼吸を繰り返す。先程の攻撃は思ったよりダメージが大きかったらしい。
「くっくっく・・・はっはっは・・・・・!!!」
額に手を当て、大声で笑う男。
「まさか『スルト』が折られるとはな・・・。零、強くなったじゃねぇか」
笑顔で言う。
「負けたよ。この勝負、お前の勝ちだ。」
どかっ、と床に腰を下ろし、男は言う。
「何故・・・?」
「ん?」
「あなたは何故、私に止めを刺さなかったんです?」
言いながら、零は剣に手を当てる。
剣は再び光を帯び、元の古ぼけたリュートに戻った。
「・・・別にお前の考えを聞きたい、と思ったらこうなっただけさ。」
黒い男はやれやれのポーズをとる。
先程までの怒りは消え失せ、いつもの黒瞳に零が映る。
「しかし・・・」
「いいじゃないですか、勝負に勝ったのはあなたなんだし。さあ、早くお行きなさい。」
背後から白い男が歩み寄ってくる。
彼がめったに見せることの無い、暖かく、優しい笑顔を貼り付けて。
「あの娘には、あなたが必要です。笑顔を守るんでしょう?今は自分の出来ることをやるべきです」
近づいてくる足音に、私は目を開けた。
眠っていたのかもしれないし、違うかもしれない。
目を閉じてからちょっとしか経っていないかもしれないし、何時間もそうしていたのかもしれない。
もう、分からなかった。
ただ一つ分かっているのは、胸の内をえぐる深い悲しみ。
そっか、母さん・・・死んじゃったんだっけ・・・。
―コツ、コツ・・・
静かに、足音は近づいてくる。
人影が私の目に映った。
「・・だれ?」
薄暗い中、私は人影に言葉をかける。
「私ですよ、アキラ」
「レイ・・・」
視界がはっきりし始め、その人物の顔が見えた。
それは紛れも無く、私のそばにいてくれた吟遊零という人物・・・。
私が初めて好きになった男性あった。
「あ、はは・・・母さん、死んじゃったよ・・・」
分からない。
涙ではなく、笑いがこみ上げた。
乾いた、それでいて生気の無い笑い声。
「もう、私は独りぼっちだね・・・」
視線を下に戻し、言う。
「帰りましょう・・・。あなたの世界へ」
優しく言う零・・・視線を再び彼に合わせ、見えたのはいつもの優しい笑顔・・・。
私がいつも一緒にいたいと願った、あの笑顔だった。
でも・・・
「もうやだよ・・・。母さん、もういないんだよ?」
忘れていた涙が、頬を伝い、流れてゆく。
止まらない。このしずくは。
「独りぼっちじゃ、私生きていけないよ!そんなに・・・私はそんなに強くない!!」
叫ぶ。
喉が痛かった。
急に出した大声が喉の奥を焼き、ひりひりする。
「大丈夫。あなたは強い」
「嘘!優しい顔で嘘つかないでよ・・・!私は・・・私は弱いんだよ・・・!」
半狂乱で泣き叫ぶ。
本当に、私は弱い存在だと思った。
ずっと、心の奥で燻っていた闇・・・それが全て表に出る。
血のつながりも無い、言葉だけの家族という関係。
もしかして、母さんは私のことを本当は愛してくれていなかったんじゃないかと思ったこともあった。
同情だけで私を引き取り、育ててくれていたんじゃないか・・・。
幼いころから抱き続けてきた、久遠の灯火の様な小さな疑念。
考えないようにはしていたけど、そう思うこともあった
「・・・ひっく・・・ひっく・・・」
激しく私はしゃくりあげる。
母さんが死んで悲しい。
母さんはどうあれ、私は母さんを心から愛していた。
いつも優しく、時には厳しく・・・人の大切さを教えてくれた人・・・。
でも今は、それだけが悲しいんじゃないと思う。
自分の弱さ、レイに対する態度、彼に対する罪の意識が私を泣かせていた。
「本当に、あなたは一人だと思っているんですか?」
束の間の沈黙を破る、透き通るような声音。
「え・・・?」
私は涙に顔を歪ませながら、彼を視線で捉える。
「大学に行けば友達もいるだろうし・・・それに、私だって」
「レイ・・・」
「それに、思い出して下さい。あなたの母が何を思っていたのかを」
彼はリュートを手に取ると、軽く爪弾く。
―揺りかごの歌を・・・花びらが歌うよ・・・
それは懐かしい音色だった。
幼いころよく聞いた・・・懐かしい曲。
次第に私の視界はぼやけ、一面の白のみが私を出迎えた。