3、春の日差し
空白のページに文字を刻んでゆく。
音のない声を、映像のない風景を、そして形のない人の気持ちを織り込んでゆく。
何もないところから時間を、空間を作り上げてゆく。
さて・・・この先、声のない吟遊詩人と汚れを知らぬ少女・・・この二人はどうなってゆくのだろう・・・。
今の私、この世界を作り上げている自分にも・・・先など分からない・・・。
そう、未来なんてモノは人が分かるものではない。
人は、未来を知ってはいけない。
それが、例えどんなに輝かしいモノでも。
どんなに、辛くて苦しいことでも。
「はぁ・・・」
ベットに転がり、明は深々とため息を付いた。
風呂にも入り、今はパジャマ姿である。
「参ったなぁ、あんなに大泣きしちゃうなんて・・・。」
彼女は自身の小ぶりな胸に手を当てる。
いつもより、鼓動が激しい。
今日会ったばかりだというのに、いや、初めて会ったからこそ彼のことが忘れられない。
カーッ、と顔が熱くなる。
「これって・・・一目惚れ、ってやつかな・・・」
はにかみながら言う。周りには誰もいないというのに。
「わかんない・・・もう、寝よ」
ばふっ、と布団をかぶる。
(ミズキあたりに相談してみようかな・・・)
今まで味わったことのない感覚に困惑しながらも、彼女は夢の世界へと堕ちていった。
夢にも、零が出てくればいいな。
そんなことを考えつつ。
闇の中で、ふと零は目を覚ました。
誰かが自分を呼んでいる・・・そんな感覚を覚えたからだ。
ベットから下り、紺色のフード付きマントを身につける。
壁に立てかけてあるリュートを背負い、準備完了。
彼は外に出た。
「危険ではないのですか?!直接あの男と接触なんかして!」
いつもの落ち着いた雰囲気を失い、叫ぶように白い男が言う。
彼の目には明らかな狼狽と焦り、怒りと微かな恐怖の色があった。
「大丈夫だ。別に勝負しようって訳じゃねぇ。少し忠告するだけだ」
「しかし・・・」
「安心しろ。万が一奴が逆上して襲ってきたとしても、奴は力の源である『声』がねぇ。前とは違う・・・圧倒的に俺達が有利だ」
勝ち誇った笑みを見せながら、黒い男は言う。
その時、ビルの屋上のドアが重々しい音を立てながら開いた。
中から零の姿があらわになる。
プラチナの髪が風に揺られ、闇の中に映える。
「やっと来たな。」
「・・・」
笑みを浮かべる男に対し、零は厳しい表情を崩さない。
静かに、背負ったリュートに手を伸ばす。
「そう構えんなって。別にお前とやり合う気はねぇ、今の所はな。第一、声が無いお前じゃ張り合っても面白くねぇ」
「・・・」
男の言葉を肯定する様に零はリュートにかけた手を離す。
「俺はただ、忠告がしたかっただけだ。」
「?」
「正直、今お前がやろうとしていることは、わからん。だがな、これだけは言っておく。同じ事を、私利私欲の為だけに人を傷付けるようならば・・・俺達は容赦しない」
「っ・・・!」
「一月待とう。一ヶ月後にここに来い、その時に審判を下す。」
そう言って、黒い男は月を仰ぐ。
先程まであった明るい雰囲気は微塵もなく、彼の目には炎のような『怒り』だけが宿っていた。
陽光が眩しい。
気温も昨日より高く、小春日和といえるだろう。
夜のうちに降った雪はあたりに白い化粧を施し、うっすらと積もった雪は日の光が反射して輝いていた。
昼時のせいか、大学のキャンパス内を行き交う人も多い。
その中に楽しそうに喋りながら歩く明の姿があった。
明の脇を歩いているのは彼女の友人、相馬 瑞希(そうま みずき)。
明が大学に入り、初めて出来た友達だ。
腰まで届きそうな黒髪をうなじあたりで縛り、柔和そうな顔つきをしている女性である。
「でね、本当に吟遊詩人だったの!」
いささか興奮した様子で明は言う。
「へぇ、それは今時珍しいね」
多少驚いた顔で、瑞希が返す。
「『歌を歌って』って言って、歌ってもらったんだけど・・・それが凄い綺麗な歌でね、それでね・・・」
「アキラ」
突然、話を遮るように瑞希が口を開いた。
その様子に明はきょとんとなる。
「何、ミズキ?」
「楽しそうね」
笑いを含んだ口調で瑞希は言う。笑いと言うより、ニヤニヤ顔だ。
「そう?いつも通りだと思うけど」
「ふぅん・・・ねぇアキラ、そのレイって人に恋でもした?」
「えっ?!」
ボッ、とアキラの顔が一瞬で赤くなる。
「どうなの?」
「え・・と、だってレイと会ったのは一週間ぐらい前だし、この一週間一緒にご飯食べたり、買い物行ったりしかしてないし・・・」
しどろもどろに、慌てながら明は言う。
顔を茹で蛸のようにし、暑くもないのに汗をかき始めている。
面白い。
そう思った瑞希はさらに追い打ちをかけた。
「そうかぁー、一目惚れかぁ。明もやっとだね」
「ううっ」
「違う?」
「・・・」
俯いて、フルフル。素直な肯定だ。
それっきり、黙りこくってしまう。
(まぁ、初めてじゃしょうがないか)
心の中で瑞希は半ば呆れた様に言った。
聞いた話では明は今まで恋愛経験が全く無いという。
人を疑うことも妬むことも、人を嫌うことも。何も汚れを知らない女、それが明だと彼女は思っていた。
(娘を嫁に出す父親って、こんな心境なのかなぁ)
「ほらアキラ、食堂行くよ。何かあったらすぐに相談に乗るから、今はお昼ご飯食べよ」
心の中でくだらないことを考えながら、瑞希は明を促す。
「うん。ありがと、ミズキ!」
いつもの明るさを取り戻した明と共に、瑞希は食堂へと歩いてゆく。
良い話のネタが出来たな。
心の中ではそんなことを思いつつ。
いつもと同じ時間に明は地下鉄のホームにいた。
彼女のアパートはS市にある大学から地下鉄で約十分の所にある。
地下鉄を使うとは言え、アパートが同じS市内にあるというのはS市が広い証拠だろう。
一週間前に買った小説を読みながら、電車が来る時間を待つ。
幸い、電車はすぐに到着した。
夕方のせいか、人通りは多く、明は立つ羽目になった。
(まぁ、別に十分だから良いか・・・)
静かにまた本を読み始める。
(その時、彼は思った。せめてもの罪滅ぼしに、私はこれから人々の笑顔を守ろう、と・・・)
『声の無いラヴ・ソング』はファンタジー小説だった。
私利私欲のために人を殺め続けた魔法使いが声を失い、それでも何とか生きようとする話。
『人を殺め続けたから、その罪滅ぼしに』
何とも自己満足な話だ、と瑞希ならば言うだろう。
しかし、明はそう思わなかった。
(過去にどんな罪や過ちを犯しても、『罪滅ぼしをしたい、やり直したい』と思える人は、大丈夫。いつか心に光が射すはず・・・)
これは明の母親の口癖だった。
そして、
(それと、人を恨んでは駄目。妬んでは駄目。どんな性格でも、どんな容姿でも・・・みんな同じ人間なんだから・・・)
そう、雪はいつも明に笑顔で言っていた。
(さて、次のページっと・・・)
明がページを捲ろうとしたその時、
『えー、間もなくN町、N町です。お忘れ物の無いように・・・』
「あ、そろそろだ。」
降りる駅が近付き、明は本をバックの中にしまう。
故に、その次のページに何が書いてあるかを・・・この時は知る由もなかった。
(その街で、男はアキラという少女に出会った・・・)