声の無いラヴ・ソング
―『 Midwinter Night Dream 』―
1、少女と吟遊詩人
身を切るような冷風が街を行き交う人々の間を駆け抜けてゆく。
厚い雲は星や月を覆い隠す。まるで漆黒のカーテンを閉めたように。
多分、今夜は雪になるだろう・・・。
ここはM県、S市。
政令指定都市に任命され、都心ほどではないが、人々の賑わいを見せている。
が、しかし、不景気の影が人々の心に影を落としているせいか、人々の表情は少しばかり暗い。
そんな中を少しでも彩るように軽快なギターの音色が響いてゆく。
道行く人々は立ち止まり、音色の根源を探すように視線を巡らせる。
駅前の植え込みの前に腰を下ろす人影。
歌っていた。
雲雀のような美しさとは違うが、雀のような明るさと身近さを備えた声で。
まるで、この不景気な夜の中の夜明けを告げるように。
「Fly・・・and、High・・・」
声が、止まる。
それを合図にするかのように、いくつかの拍手がわき起こる。
声の主は女性だった。
名を明(あきら)。姓は天宮(あまみや)。今年大学に入学した学生だ。
美人・・・と言うよりは、幼さが顔に残るものの、整った顔立ちをしている。
「あははっ、どうも」
照れたようにぺこり、とお辞儀をする。
(だいぶ、多くの人に聞いてもらえるようになったなぁ)
ギターをソフトケースにしまいながら、彼女は心の中で呟いた。
実際、初めての頃より人は多い。人気が出ている証拠と言えよう。
散ってゆく人々。
そんな後ろ姿を見送りながら、明は軽く手を振って見せた。
が、ふとその手が止まる。
茶褐色の視線と重なった銀色の瞳。
プラチナがふと、細まる。
笑った。
「あっ」
彼女は我に返った。
銀色の瞳はもう何処かへと消えてしまっている。
「おかしいなぁ・・・」
独り言のようにぶつぶつと呟く。
確かに、彼女は見た。現代の人間とは思えぬ格好の者を。
紺色のフードの下から覗いた銀色の髪と瞳。
マントのような服、所々についた装飾品。
そして、微かに見えたもの。
背負われていた、古ぼけたリュートを。
まるで・・・
「そんな事、あるわけないよね」
呟き、自身を納得させる。
と、その時
『ぐぅぅぅっ』
「うっ」
忘れかけていた感触、空腹が明を襲った。
体の力が抜け、足下がふらつく。
「帰ろ・・・」
ギターを背負い、その場を後にする。
ゆっくり、溶け込むように・・・彼女も灰色の街の雑踏に紛れていった。
某Eビルの屋上から自分のことを見下ろす、二つの視線に気付くことなく。
「M県、S市か・・・。都とはまた違った賑わいだな。」
ぼやくように、男は言った。
すらりとした長身に、彫りの深い顔立ち。
それだけでもすでに日本人離れしているというのに、彼の格好はさらに人の目を引くだろう。
ロングコートのような上着、ハイネックのセーター。
ここまでは良いとしても、腰に下げた『剣』が彼の格好をファンタジックなものにしていた。
剣は剣先から柄の先まで全て黒一色である。
それだけではない。
彼は瞳や髪、そして服装に至るまで全て黒一色だった。
「全く、あいつも何考えてるんだか・・・」
「それが分からないから、私たちがここにいるんでしょう?」
背後から声。
黒い男はゆっくりと振り返り、声の主を見据える。
『かつ、かつ』という靴音をビルの屋上に響かせながら、もう一人の人物が歩いてくる。
その人物も男だった。
顔のつくりや、身長が黒い男と全く同じの。
こちらは剣を下げていず、服装は全て白に統一されていた。
それだけではない。
髪と瞳までも真っ白だった。
「まぁな。いずれにせよ、俺たちの仕事は変わらない。」
「ええ。彼がもし、同じ事を繰り返すようなら・・・彼を消すだけです。」
冷気を帯びたような声が無表情に告げる。
「今は待機だ。奴を見張るとしようぜ。」
灰色の街はすっかりクリスマス気分だ。
至る所にきらびやかなクリスマスツリーが設けられ、ショーウィンドウもイルミネーションで彩られている。
スピーカーからは聞き覚えのあるクリスマスソングが流れ、耳をくすぐる。
上空から見下ろせば、S市は七色に輝いていると言っても過言ではない。
なのに。
「はぁ」
明は浮かない顔をしていた。
何故か、彼女の目にはS市が灰色に映る。
道を行き交う人々は仮面をかぶっているように見え、クリスマスソングなど風の音と変わりはない。
孤独、寂しさ・・・そして、虚無感。
いくつかの感情が渦を巻き、心に影を落としてゆく。
(本でも買ってこう・・・)
心中で独り呟く。
読書は彼女の日課になっていた。
部屋に戻り、寝る間までの短い時間に本を読む。
その間だけ、彼女は孤独になる。
しん、と静まりかえった空間に取り残され、不安にならぬ人間などいない。
その不安を紛らわすために、孤独から逃れるために彼女は本を読む。
ガーッ・・・。
自動ドアが開き、外の空気とは異質な暖かさが顔を撫でる。
インクの匂いが充満した空間を、誰に促されるわけでもなく、歩き始める。客は思ったよりも少ない。
雑誌コーナーを抜け、文芸書、参考書、実用書と表紙や背表紙を眺めてゆく。
ふと、明の小さな足音が止まった。
そこは小説コーナー。彼女の視線は一つのハードカバーに集中していた。
棚からスッ、と本を引き出し、手に取る。少しばかり重みのある本だ。
紺色のカバーに銀色の筋で装飾が施されている。それは西洋の飾り扉を連想させる。
表紙のちょうど真ん中に、銀色で『声の無いラヴ・ソング』との文字が刻んであった。
カバーに手を掛け、本を開く。無声のタイトルコールが聞こえた。
『声が無くとも、想いは伝わるでしょうか・・・。そして、あなたには声の無いラヴ・ソングが聞こえるでしょうか・・・?』
プロローグはこのたったの二文だけ。次のページからは本編が始まっていた。
パタンッ。
明は、本を閉じた。
「これにしよっ」
S市から少し離れた町のアパートに明は住んでいた。
時刻はすでに八時半。
辺りは闇に包まれ、いずれ静寂が支配する時間がやってくるだろう。
「あ、雪・・・」
彼女は目を細め、上空に手をかざした。
暗い空からゆっくり、そして少しずつ結晶が舞い降りてきていた。
「積もればいいな」
取るに足らぬ、ささやかな願いを口にする。
明は少しだけ笑顔になった。
彼女は雪が好きだった。
寒いのは苦手だったが,雪を肌で感じる事は好きだった。
それに、『雪』は明の母親の名前だから。
(母さん、元気かな…)
明はこちらの大学に進学するため、母親の下を離れ、独りで暮らしている。
独りで暮らす事に不安もあったが、彼女は夢を叶えるために行動に出た。
それは小学校の先生になる事。物心ついた頃からの、彼女の夢だった。
「着いた…」
白いアパート…『さくらば』の名前が目に映る。
「あれ…何だろ…」
目前まで来て彼女はアパートの前に誰かが腰掛けているのに気がついた。
暗くてよく見えないが、何かを抱えているようにも見える。
酔っ払っているのだろうか?といった多少の疑問を感じつつも、彼女はその人影に近づいて行った。
近づくにつれてその容貌が明らかになってゆく。
紺色のフードにマントのような服、所々には数々の装飾が施されている。
抱えているのは…古ぼけたリュートだった。
(あれ、この人って…)
その人影に彼女は見覚えがあった。
今日の帰りに雑踏に紛れ,見失った人。
美しい銀色の瞳で明に笑いかけてきた、あの人物だった。
その人影も明に気が付いたらしく、ゆっくりとこちらを向く。
そして先刻と同じように明に微笑んだ。女性と見違えるほど美しい顔立ちをした、男だった。
「あの、ここで何してるんですか?」
「?」
明の問いに彼は少しばかり首を傾げただけだった。
プラチナの瞳が明を見つめている。明は言葉を失った。
吸い込まれるような、心の奥を見透かされているような感覚を覚える。
「あの、だから…どうしてここに、いるんですか…?」
出来るだけ視線を合わせない様にし、彼女は再び問う。
それに対し、男は口を開き、何かを言おうとした。だが…
『ぐうぅぅっ』
動物の呻き声のような音が聞こえた。
それを合図に、彼は自分の腹を抑える。どうやら空腹のようだ。
「おなか,減ってるんですか?」
「…」
こくり。
声を出さず、彼は頷く。
「ぷっ…」
思わず彼女は吹き出していた。
見た目は大人なのに、今こんな風に空腹を知られ,顔を赤くしているという言動のギャップに彼女は笑わずには居られなかったのだ。
腹部を押え、必死に笑いを堪えようとする明。
「くくくっ…ごめんね、可笑しくって…」
目に涙を浮かべ、明は彼に言う。
男は訳の分からないといった表情をしている。
「あ、もしよかったら私の家で一緒に御飯食べませんか?」
「?」
「独りで私も寂しかったんです…。どうです?」
「…」
声に出さずとも、彼の言いたい事は分かる。
『いいの?』
瞳に映る遠慮の色や仕草がそう物語っていた。
「構いませんよ。さ、どうぞ。」
「♪」