2005年7月30日の土曜日は、遠藤周作さんの憩われた山荘で語りの会を無事に終えることができました。
私にとっては、本当に感激の一日でした。
前日の29日から私と何人かのお手伝いしてくださる方が現地に入りました。
去年の9月1日、浅間山が大爆発した日に遠藤順子さんにお招きをいただいて来て以来、久し振りの軽井沢です。すがすがしい空気、さわやかな風、都会では聞けない澄んだ鳥の声、自然がおおきく腕を広げて歓迎してくれてるみたいに感じました。
当日の30日は朝からさわやかな日でした。
昨夜の天気予報では雨と言われていたので心配でしたが、これなら大丈夫と安心しました。
でも、私にはもう一つ心配がありました。
実はこっちの方が私には大問題でした。というのは、私としたことが予定にもなかったことですが、風邪の症状が出始め、慌てて出発直前に耳鼻科に飛び込み、かかりつけの先生に「どうしても明日は変な声になっちゃ困るんです」と無理なことを言って、薬を貰って軽井沢に向かったのでした。前夜はみんなが美味しそうに飲んでるビールをじっと我慢し、暑いのに喉もタオルで巻いて冷やさないようにして寝ました。冷房もなく汗かいているのに、とにかく喉は暖めなきゃと。寝る時はちょっと喉が痛かったから、朝どんな声になってるかがとても心配でした。私は風邪を引くと、治るまで毎日症状に合わせて声がいろいろに変わってしまうんですよね。これは自分でもどうしようもないんです。自分のせいなんだけれど、仕方がないんです。
でも、朝起きてほっとしました。
痛いのは大分治まっていたし、少し枯れているけど、まぁ、これなら大丈夫と思えたからです。
会は朝の11時からでした。
一つ目のお話(あまんきみこ作「花を買う日」)を無事に終え、短い休憩の後、遠藤周作さんの「集団就職」を語り始めました。語りながら、だんだん声が枯れてくるのが自分でも分かりました。それでも、どうしようもない。「周作先生、どうぞ守ってください!」と祈る思いで語りました。ここまで導かれて今日の日を迎えられたのも周作先生のおかげに違いない。だったら、今も助けて守ってくださるはずだという思いもありました。私は心配し過ぎないで、恐れないで、今やれることをやればいいんだという気持もありました。そして、最後まで無事に守られたのです。私の力ではありません。正に守られて支えられて語れたというのが実感でした。
「集団就職」は遠藤周作さんの短編小説ですが、周作先生と順子奥様をありありと身近に近く感じられるお話と思い選びました。それを、周作先生が憩われ最も愛された場所で、周作先生を大好きな方々と共にその世界を味わう時が与えられたこと、本当に幸せでした。そして、その輪の真中に周作先生が笑いながらいらっしゃるのを感じました。
バースデーケーキが用意されていました。
順子先生の8月3日のお誕生日のお祝いのためです。ケーキを切り分けてもらい、それぞれに頂きながら、また、声を合わせて「ハッピーバースデー」の歌を歌いながら、順子先生のお誕生日を天上の周作先生と共に、また集まった私たちみんなでお祝いしました。
歌手の竹下ユキさんがいらしてくださり、バルコニーでアカペラで歌ってくださったのも、本当に素敵でした。
会が終わって帰り支度を始めた頃、雷が鳴り出しました。
周作先生がお天気も会が終わるまで守ってくださったんだと思います。帰りの車の中で、私は心からほっとしました。すべてが無事に備えられて守られたこと、地上の人の働き、そして、天上からの助け、すべてに守られて無事にやれたこと、すべてに感謝でした。ほっとしたせいか、私の声はますます枯れてかすかすになってきましたが、心はとっても満ち足りていました。必要な時に必要なものが与えられて備えられる。本当にその通りなのだなぁとしみじみ思いました。
川島昭恵
竹下ユキさん と
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