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その日。 漫画家を目指し、上京してきた一人の女が、ある家の前で佇んでいた。 パートタイム マネージャー 〜前編〜 「ここだ…ここだわ……ついに来ちゃったんだ……」 ごくりと唾を飲み込み、インターフォンに震える手を伸ばす。 きっかり二秒後、奥からピンポーンと軽快な音が聞こえてきたが、女は手を伸ばしたまま固まっている。 玄関が開き、中から男の姿が見えてもそれは変わらなかった。 「えーっと……君が君かな?」 出てきた男は、少し寝不足そうな目をして、に小さく声をかける。 「……はっ、はい!そうです!よろしくお願いしますっ!許斐先生っ!!」 漫画家志望の、奇妙なアシスタント生活の始まりであった。 「う〜ん……女の子なんだよねえ」 を仕事場に招き、許斐は首を捻った。 まだ若い外見だが、彼こそ押しも押されぬ人気漫画家、許斐剛である。 腐女子狙いだとか爬虫類顔だとか作画ミスが目立つとか設定を忘れるだとか、そういうこともかなり取り沙汰されているが、それでも彼の手によって生み出されてきた作品が多くの人々の心を惹き付けたことには違いあるまい。 その許斐先生が、を前に何やら悩んでいる様子なのだ。 「あの、先生!私体力には自信ありますし、アシスタント経験だってある程度ありますし…頑張りますから!大丈夫ですっ!」 「……いや、そうじゃないんだ。君をアシスタントにしたくないわけじゃないんだよ」 「じゃあ、何をそんなに悩んでおられるので……?」 不安げには聞いた。 彼の言い方から、もしかすると女性というだけで解雇されるかもしれない、と思ってしまったのだ。アシスタントの募集要項には性別についての記述は無かったはずだし、尊敬する許斐先生の所で手伝わせてもらえるならと思いきって応募したのに、それはない。 だが、彼は悩み顔から一転、にやりと口端をあげると立ち上がっての方へと歩き始めた。 「実はね、今後の展開のことを考えていたんだけど……」 「担当さんとお話とか、されないんですか?」 許斐がの問いに答えることはなかった。 かわりに手を伸ばせば触れるくらいにまで近づくと、許斐は後ろ手に持った何かの紙をに見せるように掲げた。 「それなんだけどね、もう少し恋愛の要素を入れた方がいいんじゃないかと思って」 「ああ、それはいいですね!この間の寿葉の回、大反響だったって聞きましたよ!」 「だろう?そこでだ」 笑顔を貼り付けて、許斐はの眼前に例の紙をつきつけた。 それは完成目前の生原稿だった。 「君にあっちの世界に行ってもらって、それを参考に書こうと思うんで、よろしく!」 「え?あっちって何のこ……」 が全てを吐き切る前に。 ばさっ。 の顔面に、原稿が叩きつけられる。 瞬間目の前が真っ暗になり、は気が遠くなる感覚を覚えた。 「あ、連絡取りたくなったら大声で僕を呼んでくれればいいから」 最後に聞こえたのは、今日からアシスタントをするはずの人気漫画家のそんな声だった。 「…………おい!」 もやがかかったような感覚からだんだんと覚醒してくる。 「起きろっつってんだろ。ジローかてめえは」 傲慢不遜、どこかで聞いたような名前、そして諏訪部順一そっくりの声だとぼーっと聞いていたが、突然視界に入ってきた見慣れた、しかしあんまり認識したくなかった顔にそれまでの眠気は瞬時に吹き飛ぶ。 「……たく。やっと起きたか」 「…………跡部って、やっぱり声は諏訪部さんなんだ」 いまだ自分がいる場所を現実のものとして理解できないの、『その世界』での第一声であった。 「せ、先生ぇ〜っ!?許斐せんせ〜!こ、これっ、どーなっちゃってるんですかーっ!?」 『うん?大丈夫大丈夫、ちょっと僕の描いた漫画の中に入ってもらっただけだから』 「大丈夫じゃないですよ!だいたい、何で私が氷帝の生徒になってるんですか!先生私をいくつだと思ってんですかー!?」 『ははっ、まあ気にしない気にしない』 「気にしますって!」 幸運なことに、がいたのは防音設備の整ったテニス部部室。 だが、その中にいるものには、彼女の絶叫がうるさいくらい耳に響いている。 「のやつ、何を一人で騒いでるんだ?」 「ストレスたまっとんのかも知れへんなぁ…マネージャー一人しかおらへんよって」 「先輩……大丈夫なんでしょうかね…少し落ち着かせてあげた方が……」 彼女にとって不運だったのは、会話の相手である許斐剛……すなわちこの世界の創造主たる人物の声は、いち登場人物に過ぎない彼らには聞こえていないことだった。 中にいた氷帝テニス部レギュラー陣は、どこかネジが飛んでしまったんじゃないかというようなをそっと見守っていた。 『とにかく、この世界は君がヒロインの恋愛漫画、ってことになるから。まあてきとーにやってみてよ。時間になったら呼び戻すからさ』 「て、てきとーに……ですか……」 そう言ったきり、許斐の声は聞こえなくなった。おそらく原稿にでも取り掛かったのだろう。 思い切り脱力しただったが、肩を叩かれて思わずはっとする。 「……お前大丈夫か?疲れてんなら今日は休むか?」 そこにはやけに心配そうな表情の跡部がいた。こんな表情はついぞ原作でもお目にかかったことはない。 そしてそれは跡部だけではなかった。 さきほど『ちょっと人としてどうよ』というような醜態を晒してしまったにもかかわらず、を白い目で見るものは一人もいなかった。 とても心配そうに──しかし決して『かわいそうな人』を見る目ではなく──みんなしてを気遣っているのが見て取れた。 レギュラー陣全てがに近づいてくる。それはもう、わらわらと。 「保健室行って休んだ方がいいぜー?俺が連れてってやるよ」 「俺が膝枕したげるから一緒に寝よー?」 「先輩歩けますか?俺、抱えて行きますよ」 「しょーがねーやつだな……ほら、疲れてんなら正直に言えよ」 「テメェら寄ってくんな!空気が薄くなんだろうが!」 「ウス……」 あまりの展開に、の脳は一瞬ついていけなくなった。 これは俗にいう『逆ハーレム』というやつか。 そう理解した時既に遅し。 をほっぽって、彼らは「誰がを保健室まで連れて行くか」で激しい争いを繰り広げていた。 「あ、あー大丈夫だから!別に具合とか悪くないから!うん!」 慌てては立ち上がり、拳を作って元気さをアピールした。人だかりは一瞬静まり、徐々に引いていく。 「無理すんなよ。駄目だと思ったら早めに言え」 跡部に頭をぽんと叩かれ、それが合図であるかのように皆それぞれに練習のため部室を後にする。 もちろん、部屋を出る際への一言は忘れない。 そして最後の一人(と、それに付き従う一人)が出ようとした時、はぽつりと漏らした。 「……私って、マネージャー?……だよね?」 「あぁ?いまさら何言ってやがる」 やっぱりか。 いくらなんでもお約束過ぎる。 「先生……恨みます…………」 そう言い残して、もまたマネージャー業のためコートへと出て行った。 後編へ続く |
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掟破りのトリップ+逆ハー+BL+原作者登場な前編。 でも例によってやっぱり一度やってみたかったネタです(コノミン登場含) |