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タイトルモンゴル旅行記
投稿日: 2004/12/25(Sat) 17:25
投稿者M78 (山椒庵より転載)
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[931] モンゴル旅行記、その一 投稿者:M78 投稿日:2004/06/05(Sat) 09:28

なんとか無事、帰国することができました。

モンゴル旅行記

日本を出発するときの空港では、くつまでレントゲンを通すように指示され、サンダルを履かされた。アメリカに対するアルカイダのテロの危機が、取りざたされているためか、ほとんどの人に金属探知機が鳴り、再検査でものすごく滞っている。なんとか日本脱出。夜中零時過ぎに、ウランバートル郊外の空港に到着。immigrationはすぐに通れたが、社会主義時代の名残か、荷物がなかなか出てこない。一時間以上無意味に待たされる。モンゴルを案内してくれるガイドの日本人は、これがモンゴルですよ。去年より少し早くなった。とのんきにかまえている。時間にうるさい日本人は、モンゴルではイライラすること間違いなしだ。出迎えのロビーに出ると、他国に出稼ぎに出て、二三年帰ってこない家族を出迎えるために、ものすごい数のモンゴル人がぎっしりと待っているので、びっくりした。午前二時ごろにホテル到着。途中、市内にはモンゴル人がうろうろしている。子供もいる。真夜中なのになぜなのか??モンゴルの学校は、三ヶ月も夏休みがあるとのこと?冬は極寒の国なのに、夏休みが長過ぎる。冬休みを長くすべきではないのか?大学生は卒業時期だそうだ。到着したホテルは、モンゴルでは超一流で、小泉さんも泊まったところらしいが、エアコンは壊れているし、お湯を出すと鉄さび臭い。ほんとうにひどいもんだ。テレビはケーブルで、英語、日本語、中国語、韓国語、フランス語、イタリア語、ロシア語、モンゴル語のチャンネルあり。NHKを見る。民主化後、国営放送以外に何局も民間局ができた。NHKは、大相撲の放送があると、モンゴル中の人が見るため、ウランバートル市内の車の台数が減るとのこと。どこに行っても、相撲協会のカレンダーや、モンゴル出身力士の手形などがある。

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[933] モンゴル旅行記、その二 投稿者:M78 投稿日:2004/06/05(Sat) 14:41

朝食はビュフェスタイルの洋食だった。ロシア人のおじさんのコックが、目玉焼き(目ん玉二個)を焼いてくれる。フロントの人は少し日本語がわかるようだ。
6/1はこどもの日で、祭日とのこと。町に出ると子供連れの家族でごった返している。モンゴル人は子供を大事にするようだ。こどもの日は、みんなこどもを遊園地で遊ばせるので、遊園地は大混雑になるらしい。今日は、目的のモンゴル国立大学の教授も休みのため、観光。郊外の草原でモンゴル馬に乗る。初めてだったのでこわかった。馬がわたしを馬鹿にして、草ばっかり食べて、手綱を引っ張っても動かない。モンゴル馬は背が低いので、なんとか乗ることができた。サラブレッドは背が高いのでもっと恐そうだ。モンゴル犬が、モンゴル伝統のテント、ゲルの周りを駆け回っている。伝統的な塩入のホットミルク(快晴で暑い天気だったのに、火傷しそうに熱い)と、マトンの石焼をふるまわれる。マトンは殺したてと言うことで、それほど臭くない。なんとか食べられたが、時間が経って冷えると、臭みが出てくる。さっきのモンゴル犬が、ゲルの入り口の前で、よだれをだらだらたらして、尻尾を振りながら待っているが、中には入ってこない。よく鍛えられているし、頭もいいのだろう。
行き帰りの道は最悪。ヒュンダイの11人乗りのバンに乗っていったのだが、コンクリート舗装のあちこちがはがれていて、迂回したり、ものすごく揺れたりで、頭を何回天井にぶつけたことか。途中見かけたビルも、つい最近までの社会主義時代の建物は、派手ではないが、頑丈な作りだ。しかし、メンテナンス代がなく、使えないビル、壁がはがれ落ちたビルが多数。日本、中国、ロシア、韓国が競って、それぞれの建築会社が、マンションやいろんなビルを建てているようだ(中国は日本から金をもらっていながら、他国に援助して恩を売っているのである)。新しい建物はしゃれたのが多く、きれいだ。最大の援助国は、日本だとのこと。韓国はビジネスマンがやってきて、もうけようと躍起になっている。町のあちこちに韓国系の会社のポスターが出て、ハングル文字の看板も多い。町を走っている車は中古車が非常に多く(民主化後自動車が急に増え、タクシーはほとんどいなかったということだが、人口を考えれば、多すぎるくらいになった。ぼろぼろの昔からのバス、トロリーバスも走っている)、うちわけは新旧の韓国車、ヒュンダイ、デーウなどで、50%弱、(運転が想像を絶するほど荒く、事故も多いようだ。何度も見かけた。一度はヤギをひき殺した事故も見かけた)その次が日本の中古車で、40%近く走っている。道が悪いので、ランドクルーザー、パジェロなどの4WD車の人気が高い。ベンツ、BMW、フォルクスワーゲン、フォードなどのアメ車も少しは走っている。トラックなどは、ヒュンダイが多いが、昔のロシア製?のトラックも現役だ。(モンゴル経済が韓流に飲み込まれる危険がある。中国と比べてリスクが高いのか?、日本企業の進出はあまり多くないようだ。トヨタは出て来ているとのことである。賃金を中国と比べるような知識はないが、大学教授で月給一万、なんとか生きていけるのは、月6,000円くらい必要とのことなので、十分低いのではないか)
ただ、町行く人の服装はわりとおしゃれで、社会主義国とは違っていた。モンゴル人は、おしゃれにうるさいのかもしれない。日本人からみると、あまり上品なセンスではないように見える。ちょっと大阪のケバさに近いか?お年寄りは、モンゴル伝統の服を着ていることが多い。伝統服を着ていなくても、皮の帽子をかぶっている。日差しが強く、紫外線がきついので、帽子、サングラスは必須である。迷彩服に、真っ黒なサングラスの男性がうろうろしていて、恐い。軍人か?公共のところには、警官も含め、制服の人が多い。社会主義時代の名残だろう。
夜はモンゴル伝統の歌舞団を見学。リズムは速いが、ちょっともの悲しい調べも多い。日本の民謡にメロディーが似ている。ルーツが非常に近いということか?ただ踊りは、肩と手を素早く動かすもので、日本とは大違い。背中の関節がぐにゃっと曲がる曲芸の少女もいた。ホーミーという高低二重に声を出すのもすごい。朝、ホテルにいた日本人とここでも再会。団体さんの視察団か。
外に出ると、ストリートチルドレンがたむろしていて、外国人を見ると金をくれと言って、手を出してくる。栄養不良でゲッソリしているが、財布を出すと財布ごと盗み、ものすごい逃げ足で逃げるので、捕まえられないとのこと。モンゴル人が買いにくる市場、ザハでは、すりとか、ストリートチルドレン数人に囲まれて、お金を盗られるという事態が、よくあるらしい。日本人はすぐに同情して、財布を出すし、セキュリティー感覚が鈍く、カモにされているようだ。

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[934] モンゴル旅行記、その三 投稿者:M78 投稿日:2004/06/05(Sat) 21:28

今日は、目的の大学教授と会合。わたしより若く、36、7才とのことだった。共同研究の話をするが、あまりにも研究設備が老朽化、メンテナンス不足で使えなくなっている。日本政府の援助で、かなり機械などを更新しているが、ミゼラブルな状態。モンゴルの文部大臣と会えないか、最後まで調整するも、今月の下旬にモンゴル国会議員選挙があるため、地方を飛び回っているので会えず。代わりに文部省ナンバー4と会う。日本からの援助に感謝の言葉をもらったが、まだまだインフラが壊滅状態なので、もっと多くの援助が欲しいとのこと。こっちは政府ではないので、答えようがない。個人的には、中国へのODAはもう不要、日本を仮想敵国とする中国に金を恵んでやる必要はなく、それよりも「民主化後」(中共、北朝鮮は民主化していない)、窮地に陥っているモンゴル国に、その分のお金をまわせばよい。中国の古い歴史の本にも、「近攻遠交」策が載っている。近くの国だから仲よくしようというのは、あまりものを考えないやり方だ。モンゴルに援助して、中共を挟み撃ちにするのがよかろう。モンゴルの古い諺に、「苦しい時の友だちが、本当の友だちだ」というのがあると、文部省高官から言われた。どこにも似たような諺があるものである。
六月の気候としては、昼は二十何度まであがるが、湿度は低く、からっとしているので、日本の秋晴れのときに似ている。朝晩は気温が下がり、十度以下になるので、ゲルというテント内では、薪で暖めないといけない。初冬のようだ。五月末は零度以下まで下がり、雪が降ったとのこと。夏時間になっているので、日本と時差がなくなり、朝は五時半頃に日の出、日の入りは10時半頃。どうも夕方から夜の感じが出ない。飲みにいっても、一次会がすんで、九時になっているのに、まだ日本の四時頃の明るさである。
モンゴル人通訳に、個人的にロシア人、中国人について尋ねたところ、ロシア人は民主化前は、モンゴル人のお兄さんであると教わった。今ではモンゴルの真の歴史を知っているので、モンゴル人はもうロシア人とはつきあいたくないと考えているとのこと。中国人については、一番嫌いな民族。ロシア人よりも嫌い。モンゴルの諺に、モンゴル人が一番嫌いなのは、中国人と猫であるというのがあるそうだ(モンゴルでは猫はかわいがられておらず、野良猫も飼い猫もほとんど見かけない。猫は飼い主の死を待つという言い伝えがあるそうで、犬好きの彼らには、忠誠心のない猫は、嫌な恐ろしい存在であるとのこと。特に黒猫が横切った道は絶対通らず、遠回りする)。

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[936] モンゴル旅行記、その四 投稿者:M78 投稿日:2004/06/06(Sun) 08:13

今日は他の大学を見て回る。どこもひどい状況。地方の大学はもっとひどいとのこと。ちょうど日本の明治初期くらいなのだろうか。日本の大使館は、二階建ての建物から、新築の立派な四階建てに移ったらしい。モンゴルで一番大きな大使館になったと言われた。前の建物にはジャイカが入っているらしい。日本政府の援助で、火力発電所の設備の再生、VIP専用病院の設備更新、新しい病院ビルの建設などが行われている。ジャイカからは、日本の古いバン、日産ホーミーをリサイクルで、救急車にしてもらったとのこと。確かに町を走る救急車には、ジャイカのマークがついていた。
元国立デパートで、お土産を購入。半年前まではエレベーターがなく、五階まで階段だったが、Nominという民間資本が買ってからは、階段をのぼらなくてもよくなった。デパートはまだ大幅改装中だった。(どこの大学、文部省でも、階段を何階までも、のぼらされた。社会主義時代のビルには、エレベーターはないことが多いようだ。モンゴル唯一のエスカレーターは、泊まっているホテルとつながっているモールに、一機あるのみで、開業当時は子供が乗って遊びに来たとのこと)デパートの周りにも、ストリートチルドレンがいるし、双眼鏡を恐い顔で押し売りするおっさんもいる。なぜ双眼鏡を売りつけるのか??
ラマ教の寺を見る。社会主義時代は、お坊さんはどんどん殺され、山の岩の中に逃げ込んだという歴史を、教えてくれた。マルクス主義は、一種のカルト宗教だ。巨大な銅製の大仏があったが、それも社会主義時代には、ソ連に接収され、最近ようやく返してもらったとのこと。熱心なラマ教、チベット仏教の信者が多いようだ。お寺には、ダライ・ラマが来蒙したときに触った木の棒が大事に保存されていた。リチャード・ギアもラマ教徒で、モンゴルに何度か来ているとのこと。
歓迎パーティーに出席した。大歓迎で、今後の交流、共同研究を進めましょうと言われた。フビライの元が、日本を征服していれば、今ごろ日本人はモンゴル語を話していただろうと言ったら、いやそんなことはないですよと、大学教授よりおべっかを返された。モンゴル教育大学では、日本語を習う学生が民主化以後増えているようだ。英語と日本語が人気だとのこと。昔はロシア語が一番だったが、今は不人気。英語と日本語の両方勉強する人も多いらしい。モンゴル人は陽気で、酒も強い。モンゴルウオッカをどんどん飲んでも大丈夫だ。日本人と違い、アルコール分解酵素が、皆遺伝的に強いのではないか。とにかく、五回以上乾杯をさせられ、しかもビールはだめと言われた。モンゴルではウオッカで乾杯するのが決まりらしい。ウオッカの飲み過ぎで、翌日は二日酔いになってしまった。モンゴル人は飲むとすぐに、歌ったり踊ったりするようで、科学者協会のお偉方のおばさんが(社会主義時代から、女性の進出、エリートが多いようだ)、甲高い声で歌いだしたら、あちこちからモンゴル伝統の歌を合唱し始めた。日本側は何を歌えばよいのかわからなかったので、わたしの発案で国歌を歌って誤摩化した。社長以外の全員で歌う。わたし一人、胸に手を当て、目をつぶって歌った。(社長は50代で、団塊世代、全共闘世代かもしれない。国家は歌わんと言っていた)

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[937] モンゴル旅行記、その五、完結編 投稿者:M78 投稿日:2004/06/06(Sun) 16:48

モンゴル人の本音
モンゴル国立大学の教授が酔っぱらってきて、本音を聞き出すことができた。「ロシア人は馬鹿だ。ロシア人というだけで威張っているが、馬鹿なので、今後絶対発展しない。モンゴル民族は世界一だ。もう一度世界を制覇する。もともと13世紀には、モンゴルがロシア人を征服、支配していたことを、忘れてはいけない。」
「中国人が本当に恐れているのは、日本か、アメリカか?いや、万里の長城の昔から、中国人が一番恐れるのは、わがモンゴル民族だ。万里の長城が何のために、築かれたか知っているか?中国人がどんなにフン族を恐れていたか知っているか?」
日蒙で、中国を挟み撃ちにしようと言っても、モンゴル民族世界一ばかり、わめいている。教授も飲み過ぎのようだ。
そういえば、モンゴル人から、中国人は蒙古斑がない、日本人はあるのかと聞かれ、日本人は皆あるといったら、仲間だと言っていた。でも、中国人にも蒙古斑がありそうな気がするが....

飛行機の出発が夜中なので、10時半に日が沈み、草原の夕焼けを見て、11時に空港に向かった。すると突然東から、ものすごく明るく、まぶしいほどの大きな丸いものが出てきた。満月だった。月がこんなに明るく、大きなものとは思わなかった。空気がきれいで、星もいっぱい見えたが、満月の他を圧倒する存在感、明るさはいったい何だ。昔の遊牧民は、夜には星や月を見て、科学的に、あるいは呪術的に、いろいろ考えを巡らしていたのだろうなあと思った。

モンゴル語は、なんだがけんかしているように聞こえる。かなり勢いがある、激しい言葉だ。語順は日本語、韓国語と同じく、主語、目的語、動詞の順だということだ。YESがザー、NOがオゴゥで、皆携帯電話で、ザー、ザー言っている。日本に帰っても、電話でザーザー言っているのは、モンゴル人だすぐとわかると思う。ちょっとロシア語っぽいような気もするし、関東の群馬、栃木あたり?の方言のような感じもする。

夜中にウランバートルを発って、朝方に日本に着いた。日本は暑い。日本出発の日は、梅雨でひどい雨が降っていたのだが、戻ってきたら、梅雨が終わって夏になったみたいに、晴れて暑い。やはり、体にまとわりつく湿気が、モンゴルの乾いた空気との違いを、教えてくれる。午後から出社したが、まともな仕事にならず、定刻退社。モンゴルでの日々は、夢か幻のように、非現実的な感じがしている。

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[964] 半社会主義国家、日本 投稿者:M78 投稿日:2004/06/17(Thu) 14:50

<何故、保守派の論客が無力で左翼思想が蔓延るかというと、それは全て保守派の頭脳の不器用さである。100%そうである。原因は左翼でもサヨクでも「薄められたマルクス主義」でもない。『諸君!』、『正論』等の論客の馬鹿さ加減、阿呆さ加減、間抜けさ加減が全ての元凶である。ハッキリ言って心情左翼の方が人間についてよく理解していると言っても過言ではない。更に言えば保守派論客は人間についての考察は幼稚園児並みである。詳細は聞きたい人がいれば書く。幾らでも書ける。知識が無くても簡単に論破出来る。不愉快ならば永久追放でもなんでもしてくれ!>

森さんは、上記の文章が問題だったのですね。わたしは、彼の保守言論人への焦燥感で、書いたものだと思いました。

わたしの愚見ですが、左よりの思想が主流なのは、戦前の右傾化から左に振れるように、米GHQが左翼を敗戦直後に優遇した。その後対ソ冷戦で、今度は東側の中ソが、左翼を支援。特にマスコミ、教育界、言論人が、左翼に牛耳られることで、一般大衆をサヨク理論で教化し続けている。つまり、サヨクが常識となっている。これを打破するには、教育界、マスコミを構造改革し、長期間やりなおさねばならないでしょう。一朝一夕にどうにかする特効薬はないのではないかと思います。
アメリカ在住中は、日本は半分社会主義国のように見えました。左に振れきって、ようやく戻り始めたのが、現在だと思います。

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[963] 語れない秘話 投稿者:M78 投稿日:2004/06/17(Thu) 08:35

これ秘密なんですけど、モンゴル、ウランバートルで一番高級な某ホテル、小泉さんも泊まったホテルの最上階にはバーがあり、そこではモンゴル人女性がト○プ○スで踊るショーがあります。
やばければ、削除をお願いします。

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[971] >M78様へ 投稿者:キルドンム 投稿日:2004/06/18(Fri) 19:23

 モンゴル報告、有り難うございます。色々参考になりました。
 ひとつかお伺いしたいことがありますが、よろしいでしょうか?
 中国のモンゴル族出身のインテリたちと話をしていると、時々彼等の言う「祖国」が中国のことなのか、それともモンゴル国のことなのか、判断に苦しんだ経験がありますが、昔から「南(内)」では「北(外)」に対する憧憬のようなものがあるようです(書名は失念しましたが、NHKブックスの中にもそんなことを書いた本がありました。ただ、これは「人民共和国」時代のことですので、一種の「幻想」かと)。
 モンゴル国では、「南」の「同胞」たちのことをどのような目で見ているのでしょうか?
 やはり、韓国人たちの在日や中国の朝鮮族に対する感情に近いものがあるのでしょうか?それとも…。

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[970] モンゴル人は商売が下手 投稿者:M78 投稿日:2004/06/18(Fri) 18:14

モンゴル人は、商売が下手な感じがします。武士の商売みたいで、高い値づけをしていて、値切っても安くしないし。ストリ−トチルドレンが、何かを売りつけようとするのでも、高圧的、かつ、断るとむっとしてどこかに行ってしまう。意味不明の双眼鏡の押し売りのおっさん、観光スポットで大草原の絵を売っているおやじも、愛想良くないし。中国人、漢民族と比べると、商売べたは明らかですね。
わたしも商売人ではないので、逆に信用できそうな感じはしましたが….
とにかく、中共、ロ、北朝、韓国を包囲するように、楔を入れるように、これらの国の周辺国を手なずけることが大事ですよ。台湾、東南アジア、インド、モンゴルなどに、中国にやっていたODAをまわすとよいでしょう。
アメリカでも、おもちゃや安い電化製品は中国製、日本の製品のパチもんや中程度技術製品は韓国製ばかりですが、衣料品などはインド、バングラディッシュ、パキスタンが多いし、革製品はトルコ製が多い。日本も何でも中国製ではなく、もっと広く世界に目を向けるべきでしょう。そのほうがリスク分散になります(吉野家もリスク分散したら)。

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[972] キルドンムさんへ 投稿者:M78 投稿日:2004/06/18(Fri) 23:53

>モンゴル国では、「南」の「同胞」たちのことをどのような目で見ているのでしょうか?

はい。そのことについて、旅行中にモンゴル人の通訳に聞いてみました。
山椒庵の過去ログに、モンゴル旅行記がありますが、そこでモンゴル人は、中国人と猫が一番嫌いだと言った通訳の男性に、中華人民共和国の内モンゴルについて、同胞だから、将来合併したらどうだなどと話をすると、内モンゴルの人間は、漢民族とかなり混血しているから、本当のモンゴル人ではない。モンゴル人の伝統も失われているのではないか、と言っていました。
ソ連から解放されて、民主化後、国の一体感、愛国心を強化するために、モンゴルの伝統、歴史を重視するというコンセンサスが、広く行なわれているようです。また、中国がチベットで、民族浄化、民族抹殺を行なっている。チベット人の女性は、必ず漢民族と結婚させるという話を聞いた事があるので、モンゴル族についてもそうなのかもしれないと思っています(単なる憶測ですが)。

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[982] 幻の仏教王国、モンゴル 投稿者:M78 投稿日:2004/06/21(Mon) 18:42

モンゴルに行く楽しみの大きな部分が、モンゴル仏教を見たいというものであった。
モンゴルは、チベットからチベット仏教を取り入れ、仏教寺院を作っていたが、ソ連の下で共産化されたときに、仏教は禁止され、僧侶は殺された。山奥の大きな岩にたくさんの僧侶が逃げ込んだという話を、実際にその大岩のところで聞いた。悲惨な話である。社会と共存している宗教を弾圧するのは、宗教に代わるイデオロギー、マルクス教を布教しようとしたからだろう。
モンゴル仏教はラマ教で、首都ウランバートルには、その中心的なガンダン寺があるので、見学した。そこには五体投地をしている、かなり太目の女性のお坊さん?がいた。木でできた台が置いてあるので、頭に思い描いていた本当に地面に体を投げ出すというイメージよりは楽そうで、私でもできそうな感じだった。本尊は座っていて、そのお堂の周りに金属の円筒がたくさん設置してある。何かモンゴル文字(おそらくお経)を書いたのを、回して歩く。回すと、お経をよんだのと同じ功徳が得られるとのこと。お堂を一周してから、読経をしている寺院に入ると、非常に若い兄ちゃん、にきび面の若者が、一生懸命お経を唱えている。服、袈裟?は、黒ではなく、青、黄色など、いろんな色の服を着ている。一番偉い人は、おそらく真ん中にいた、金色の豪華な服を着た太った中年男性だろう。小さな仏像がずらっと並べてあり、それを拝んで、モンゴル紙幣を置いていた。お布施だろうか。お経は、普段聞いているお経と違うので、まったく聞き取れなかった。モンゴル語なのか、チベット語なのか、よくわからない。また、大きな立像の観音像(大仏)があったが、十何世紀に建てられたオリジナルは、ソ連により解体され、持ち出されたとのこと。モンゴル人の浄財で、新たに大きな観音像を建立したとの事である。モンゴルの人々の心の中には、共産党政府の下でも、仏教を敬う気持ちが、ずっと残っていたのだなあと思い、感激した。

仏教王国。モンゴルは、ソ連に共産化される前は、モンゴル仏教の最高位の僧侶が、モンゴル国王でもあるという仏教王国であった。その別荘兼、寺院があり、見学した。ところがその日は、モンゴル人無料の特別な日で、観光客は高い入場料を取られたのだが、普段は入れないモンゴル人が、大挙して入場しているので、まともに見学できなかったし、スリが出そうだったので、早々に退却した。しかし、各国の使節が持ってきた貢物?、お土産で、いろんな珍しいものが置いてあった。当時、動物好きな王は、ヨーロッパやアジア各国の動物の剥製を所望し、たくさんコレクションしていたようだ。特にインドから来た象(生きている象)を大事にして、国王と同じ生地でつくった服を着せたりしていたようだ。そんな夢のような仏教王国は、共産主義を奉ずるソ連に占領され、開放という名の共産化を受けたのだった。その悲惨な歴史に、胸を打たれた。日本が島国であり、ソ連と陸続きではなかったことに、感謝した。

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[992] 輪廻転生 投稿者:M78 投稿日:2004/06/22(Tue) 21:30

マイケランジェロさんへ。

>私は素人だけどモンゴルにも「ダライ・ラマ」のような人いるの?

今のダライラマも、何度かモンゴルを訪れており、信者が押し寄せて大変なことになったようです。旅行記で書いたように、そのときにラマ教徒、リチャード・ギアもモンゴルに来たとのこと。モンゴル人の中には、次代のダライラマは、モンゴル人から出るという噂がまことしやかに囁かれ、信者は次のダライラマの来誕を待ち望んでいるようです。

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[994] いろいろ。 投稿者:マイケランジェロ 投稿日:2004/06/23(Wed) 00:43

>M78さま。
『モンゴル旅行記、その四』再読してみました。確かにダライ・ラマに関する記述がありました。そのニュアンスから『輪廻転生』を予測できましたね。バカ投稿になってしまいました。ごめんなさい。
医師免許持っていたんですね。これは「生化学の研究者」ということからうすうす気づいていました。
ところで今,「勝手応援板」に目を通したら,混乱していた。一昨日は白熱していると思っていたんですけど。5月中ちょっと欠席していたので事情が良く分かりませんでしたが,荒間さま,蘭さま,年上の長谷川さま,そして森先生の発言から何となくですが状況が分かってきたような気がしますが,再度過去録を読んでみます。

>森先生。良い意味での「問題児」です。お分かりだと思いますがちょっと念のため。
さてウイルス駆除に動きましたね。一見すると重層的な混乱に見えるんですが,根本的な原因は1つなのかな。一昨日までの私の見解は「あまちゃん」でした。反省です。

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[1006] 山椒庵も批判禁止でしょうか? 投稿者:M78 投稿日:2004/06/25(Fri) 16:53

昨日、自分の住んでいる田舎の市にはなかったので、車で隣の市まで出かけ、その市で一番大きい書店の棚に、一冊だけ「男子一生の問題」がひっそりと置かれており、すぐに購入しました。今、四分の一ほど読んだ所です。
今の所、特に批判したいことはないのですが、支援版で批評は禁止との事でですね。山椒庵でも禁止でしょうか?西尾先生にとっては、くだらない、無礼な批判であっても、その人なりに考えた結果ですから、常連の方々が、誤解を解かれれば、また議論が発展するのではとも思います。2チャンネル風の批判であれば、罵りあいになるだけでしょうが。インターネット上で、匿名だからこそ、雲の上のような人をも批判できる。その万能感に浸りすぎてもいけないが、そこがネットのいい所だと思っています。したがって、権威のある人間にとっては、非常にいやな所でしょう。

わたしは、ここに来るようになってから、西尾先生の本を読むようになりました。でも、中には反論したくなるものもあります。ここでは書けないのであれば、サヨクの板に書けばいいのでしょうか?わたしは、サヨクからも攻撃されますし、保守?右翼の人からも攻撃されるし、どこからも鼻つまみ者ですので、ふらふらさまよっております。

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[1008] 全く問題ありません。 投稿者:北の狼@管理人 投稿日:2004/06/25(Fri) 18:22

<<M78 さん>>
<<吉之助さん>>

(たぶん)はじめまして。当サイト管理人です。
当サイトは、『i日録』サイトとは別サイトであることを、まずは再確認させてください。

そして、当サイトにおいては、西尾先生であろうが、誰であろうが、(「留意事項」に配慮していただければ)批判はまったく自由ですので、どうかご心配なく。


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[1009] 批判は構わないけど 投稿者:荒間宗太郎 投稿日:2004/06/25(Fri) 18:26

要は起承転結という文章に仕立てていなければ読み人にとっては辛いよ、
と言う事だろう。足掛け三年見てきたけどその手の批判で「おっ凄い」
という文章にはまだ出会っていない。批判する者には批判される側の倍
以上の力量が必要なんだよ、感想文の方が良いと思うなぁ、それならわ
りとゆったりとまったりと書けるしね。ノホホンとした感想文も読みた
いんじゃないかなぁ。好き嫌いで書いているほどなら先生の前にワシが
注意しているって(笑)、ワシは投稿された文章の内容では無くって投稿
姿勢で判断するからね。

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[1011] 一読後の感想 投稿者:M78 投稿日:2004/06/26(Sat) 09:26

特に批判はありません。「男子、一生の問題」は西尾先生の生き様をある程度さらけ出して、若者(先生より若い人)に対して人生論を説いているのですから、批判となると、先生の生き様自体を批判することになります。そういう気にはなりません。
ただ、だれもが西尾先生のような生き方はできない。もし、世の中のすべての人が、西尾先生が理想とする生き方をしたら、偽善者はいなくなるが、逆に混乱してしまうのではないかと思います。偽善と戦う人は、少数派だから意味があるのではないかと思います。
一読後、自分にはこのような生き方はできない。特に、言葉だけではだめだと、行動を重視する点が、無理だと思いました。ニーチェを読んだことはありませんが、ニーチェは行動を重視したのでしょうか?それとも陽明学の知行一致でしたっけ?行動を起こそうとする考え方の影響があるのでしょうか?

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[1013] >M78さん 投稿者:北の狼 投稿日:2004/06/26(Sat) 11:01

>特に、言葉だけではだめだと、行動を重視する点

私は『男子、一生の問題』を読んでませんが、「行動重視」ということですと「九段下会議」のマニフェスト(『国家解体阻止宣言』)に通ずるものがあると思います。『i日録』(「九段下会議の考え方 (一)」)で西尾幹二氏は、以下のように述べています。

”このマニフェストは従来の同種のものと異なり、賛意と署名を求めていない。類似の意見も求めていない。投稿することの好きな人の投稿も期待していない。自ら参加し、活動し、行動することだけを期待している。
何に参加し、どんな活動をするのか――それはまだ何もきまっていない。それは参加する人たちがきめる。そういう宣言文である。
とりつく島もない内容と思われるであろう。時代がそこまできているということは前から言っている通りである。ただの意見の交換の時代は終った、という認識である。この認識は本日録においてもいくたびも掲示して訴えてきた。”

具体的には、自民党政府の各省庁の審議会に巣食う「リベラル左翼」=「白アリ」に対抗する「白アリ退治委員会」として「九段下会議」を位置づけていますね。

「行動重視」は、小林よしのり氏らがかつてよく持ち出した「思想か、政治か」という問いに対する解答のようにも思えます。小林氏は、もちろん「思想重視」を打ち出しているわけですが。
そして、「九段下会議」は、どんな活動をするか決まっていないが、左翼に対抗して、自ら参加し、活動し、行動することだけを期待している、ということですので、言わば「行動派右翼」というカテゴリーに括ることができると思います。

しかし、行動するのも結構ですが、その前に「自民党政府の各省庁の審議会の全ての委員が『リベラル左翼』にほぼ100%握られている」という状況について、なぜそういうことになったのか、そのことは何を意味するのか、という理由や意味をまず考えてみる必要があると思います。
各省庁の審議会を握っているのは、実は「リベラル左翼」というより政治色やイデオロギー色の薄い「リベラル・レフト」といった方が正確なのですが、その「リベラル・レフト」に対抗しうるのは、「九段下会議」のような「行動派右翼」(政治集団、イデオロギー集団)ではなく「リベラル・ライト」ではないかと私は思います。

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[1014] 「リベラル・レフト」というやっかいな存在 投稿者:マイケランジェロ 投稿日:2004/06/26(Sat) 23:16

各省庁には"institutional memory"(制度的・慣習的に上積み上げられてきた情報・記憶)というものがあります。実際言葉でしか知りませんが,おそらく文書として残っているようなものではなく,既に組織上体系化しているものだと思います。程度の差こそあれ,これは各省庁に限ったものではなく,企業・教育機関・家庭においても同種のものが存在したのでしょう。

そうであるのならば,後者が崩壊している原因と前者が瓦解している原因は近いと推測できます。(私見です。)後者の方が私には身近なので,「なぜ後者は崩解したのか。」を考えると,ちょっと乱暴な結論ですが「環境の変化に順応できなかったため」と言うことが出来ると思います。

さて「なぜ各省庁がリベラル・レフトに牛耳られているのか。」この現象も一因として「環境の変化に順応できなかったため」ということが挙げられると思います。(旧大蔵省,旧通産省がいい例でしょう。現財務省・金融庁・経済産業省も同様です。)行政府ですから,これだけの要因とは考えにくいですが。(EX.「世代論」,「利権」の規模の大きさetc・・)

私見ですが組織は"institutional memory"という判断基準が通用しなくなるようなドラステイックな「環境の変化」が訪れると,そこに所属する人間は「自ら思考すること」を止める傾向があるのではないでしょうか?そこに「確信犯的思想」の持ち主がイニシアチブを発揮すれば,思考停止の人間は盲目的にその思想に追従し,組織を再構築していく。自ら強いリベラル左翼思想を伴わない,いわゆる「リベラル・レフト」の誕生です。

「リベラル・レフト」の解放は「確信犯的思想」の持ち主の正体を明らかにして,彼の真の思惑を白日の下にさらすことです。つまり100%がリベラル左翼なのではなく,北の狼さまがご指摘のように「リベラル・レフト」を扇動している数十人か数百人のうちの何人かのトップを探し,追い落とすことが有効なのではありませんか。たとえば「文部科学省」の寺脇氏や「外務省」における当時の鈴木宗男氏の取り巻きであった官僚たちなど。こういった人物が誰であるかわかりさえすれば,私たちは行動(様々な形で)できる。また,本丸が政治家であれば,私たちは投票行為という行動ができる。

もちろん,皆さま「言葉」より「行動」ということに関して疑問に思った面があると思います。これは私の理解ですが当然,「行動」を起こすにはそれに至る確信が必要だと思いますが,西尾先生の場合,「人生観」「人間観」「経験」から直観としてその「確信」に至るのだと思います。

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[1015] 日本のセンターが、既に左より 投稿者:M78 投稿日:2004/06/27(Sun) 00:24

陽明学は、知行合一でしたね。

マイケランジェロさんへ。わたしは、世代論者なので、世代論で説明しています。簡単に言えば、戦後教育世代が日本のトップに立ったから、今のような状態になった。学校の先生や、マスコミは若手の権限が強く、早くから戦後教育世代が、影響を及ぼした。そして、その分野でも、トップが戦後教育世代となり、まったく歯止めが利かなくなった。官僚、政治家でも、世代交代が起こり、トップが戦後教育世代となった。戦後教育世代とは、敗戦時にまだ子供であったか、敗戦直後に生まれて、主に戦後の教育、特に敗戦直後の極端な「民主主義」教育を受けた世代のことです。団塊の世代と、その前後の世代がそれにあたると思います。年令だけでなく、学歴も考慮しなくてはなりません。わたしの父は、敗戦を中学入学直後にむかえ、戦後は食っていくのに精一杯で、学校に行ってないので、戦後教育の影響はほとんどなかった。インテリ、知識人ほど、強く影響を受けているはずです。
公務員は前例主義ですが、体制内サヨクが徐々に、こっそりとサヨク的前例を積み重ね、法律をつくって来た。今やサヨクシステムに、がんじがらめになっている。わたしには、レッドパージ以外に、解決策は浮かびません。
またわたしは、今体制内にいるのは、左よりリベラルというような生易しいものではなく。完璧な左翼、極左も多いと思います。特に、男女△を推進している学者など、アナーキストと呼んでもいいと思います。日本人のインテリが、常識だと思っているものは、世界的に見れば、かなり左寄りになっていると思います。日本の知識人が、左に振れていて、そのくせに自分は真ん中だと思い込んでいるのではないでしょうか。

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