黒い十字と銀の月
塗られた姉に花束を〜



一章 Lady of Blood



 キーンコーンカーンコーン

 6限目終了のチャイムが教室に響く。

「ふむ、今日はここまでだな、委員長」

 初老の国語教諭、林田先生がチョークを置いた。

「きりーッ!」

 先生の視線を受けた委員長の土屋さんが、相変わらずの凛とした良く通る声で号令をかけた。

 ガタガタガタ。

 クラス全員が起立する。

「礼ッ!」

 ペコリ。

「着席ッ」

 ガタガタガタ。

「ふぅ……」

 着席したボク、風野春樹は一息ついて机の上に散らばっていた教科書や筆記用具類を片付けた。

(あとはホームルームだけか……)

 ボクはふと、窓の外に目を向けた。

 最前列の窓際に位置するボクの席からは、この学校が建つ小高い丘に群生する桜の木々が今年も満開に咲き誇っているのがよく見えた。

 ボクが通うこの学校の名『桜ヶ丘高校』は、春になると丘のほとんどが桜色に染まるこの景色に由来したものだ。

「春樹」

 と、ボクの名前を呼んでやってきたのは、赤い髪が印象的なクラスメイトの火嘉敏郎。

 火嘉と同じクラスになったのは今回が初めてだけど知り合ったのはずいぶん前からで、髪は赤いけど本人は至って普通の……いや、ちょっと不真面目なところはあるけど悪い人間じゃなかった。

 大体あの赤い髪も、確かに染めたようにしか見えないが実は本当に地毛で前にその証拠にと、根元まで赤いのと下の毛まで赤いのを見せつけられた事もあった……。

 まあ、親友と言ってもいい友人の一人だ。

「今日帰りに、一緒にゲーセンでも行かねぇか?」

 火嘉はレバーとボタンでコマンド入力する仕草を見せながらそう言った。

 あの手つきからすると、今、火嘉がハマっている格闘ゲーム『the Top of Sorcerers2003'』のキャラ、レイナ・ハイデルベルグのジャンプキック→立ち大キック→中段小キック→超必殺技Vストライクのコンボのようだ。



 ……………………………………。



(……つまり、ボクも仕草で分かるぐらいハマっているわけさ)



 火嘉とはヒマさえあればゲームセンターに足を運んでは街の強豪達を撃破するべく格闘ゲームでタッグを組んでプレイしていた。

「今日は遠慮しとくよ」

 でも残念ながら、今日はボクには早く帰らなければならない理由があった。

「なんだよ、付き合い悪いなあ」

 ちょっと不満げに、火嘉が口を尖らせた。

「今日こそはあの『伊織使い』を叩きのめさねぇと……うおっ!?」

「コラ、赤いの! 今日くらいは早く帰してあげなさいよ」

 と、火嘉の頭をペシンと叩いて声をかけて来たのはクラスメイトの女の子、水無月綾香ちゃんだった。

 綾香ちゃんはポニーテールの活発な女の子で、その辺の男子生徒よりも背が高く、その身長は180pに近い。

 でも決して大柄って言うわけでもなく、体つきは細くて脚もスラリと長くてモデルみたいにカッコイイ女の子だ。

 そのせいか彼女は男子生徒のみならず、女生徒からも人気が高い。

 対してボクの身長は160pに満たず、その辺の女生徒より背は低い、ウエストは細い、おまけに顔は母さん似の女顔で、私服だと女の子に間違われる事もしばしばだ。

 おかげで去年の文化祭の時なんか、クラスの出し物の劇で『白雪姫』をやったら、主役を拝命してしまった。



(もちろん、王子様の役じゃないよ……)



 女物の服が着れて、しかも似合ってしまう自分が堪らなく悲しかった。

 しかし、対極にいるボクと綾香ちゃんだったが、ボクと違い彼女が男の子に間違われることは全くなかった。



 ―――なぜなら。



「この、デカ乳女! 勝手に人の頭、殴るんじゃねーよ!」


 ―――そう。



 綾香ちゃんは身長だけでなく、胸も驚異的な成長を遂げていた。

 彼女の2つの女性的な膨らみは傍目でも、

(そのへんのグラビアアイドル真っ青だよ、アレは……)

 と思えるくらいのボリュームをブレザー越しでもはっきり主張していた。

 サイズは96のFといったところらしい……。

 ……らしい、と言うのは直接本人に聞いたわけではなく、『服の上からおっぱいのサイズを当てる3段』所持者の火嘉の目算によるものだからだ。

 もっとも他にも『後姿で美人かどうかを当てる3段』だの、『服の上からブラのホックを外す3段』だのを持ってると言い張る火嘉の事だから、どこまで本当か分からないわけだけど……。

「うぁ、なんて事言うかな、このバカは……」

 もっとも、綾香ちゃんはその大きな胸の事を結構気にしているようだった。



 ―――背の高い事はちっとも気にしていないのに……。



「ほら、はるくん、離れて。バカが伝染っちゃうよ」

「わっ!?」

 と、不意に綾香ちゃんは席に座っていたボクの手を掴んで無理やり立たせ、自分の方に想いっきり引っ張った。

 ボクの頭の位置は丁度綾香ちゃんの胸の辺り。

 そのままぽふっと、ボクの顔が綾香ちゃんの胸の谷間に収まってしまった……。

「こんな赤いのと一緒にいたら、不良になっちゃうよ!」

 そしてそのままギュッと両腕でガッチリと抱き込まれる。

(うはぁ……柔らか〜)

 実の所、こうやって綾香ちゃんの胸の谷間に埋もれるのは、よくあるわけではないけどたまーにある事だった。

 ボクも見た目はどうあれ、一応健全な男なわけで……。

 この柔らかな感触は心地よくて、やっぱり好きなわけなんだけど……。

(息ができないーっ!)

 綾香ちゃんの、96のF(推定)のボリュームは完全に空気の通り道を遮断してしまっていた。

 苦しい、とっても苦しい。

 柔らかくて、心地よくって、とっても気持ちいいけど……。

(死ぬ〜っ!)

 じたばたもがいても、綾香ちゃんはとんでもない力でボクの頭をぎゅぅっと抱きしめていて、どうあがいても抜け出せない。

「赤いのって言うな! ……つぅか」

 でもまあ、女の子の胸の中で死ねるんなら、男として本望なのかも……。

 きっと、男の死に様ベスト3に入る死に方に違いない。

 見た目が女の子みたいなボクだから、せめて死に方くらいは男らしく逝きたいものだよね。

 うん。



 ……………………………………。




(……………………そんなわけあるかーっ!)




 酸素が脳に届かなくなってきたのか、考えるチカラが無くなってきたみたいだ。

(……あ、ホントにダメかも)

 頭だけでなく、身体もふにゃーっとしてきた。

 ボクの腕がだらしなく下に伸びてしまう。

「春樹、死ぬぞ」

「え?」

(……………………お花畑だ)

 いつもの光景がぼんやりと見えてきた。

 あたり一面に広がる、黄色いお花畑。

 その向こうには大きい川が流れている。

 泳ぐのは苦手なボクなのに、あの川を見る度に泳いで渡る気マンマンになってしまうのは何故だろう。

(よぉし、しっかり準備体操するよ〜)

 ボクは張り切ってラジオ体操第一を口ずさみながら準備体操を始めた。

「わあああっ! は、はるくん、しっかり!」

 不意にボクを押さえつけていた力が緩んだ。

 遮断されていた空気がボクの肺に再び送り込まれ、それと同時にお花畑はボクの意識下から消え去った。

「ゲホゲホッ!」

 咄嗟にボクは綾香ちゃんの胸から逃れ、自分の席に倒れこむと大きく咳き込んだ。

 おかげで、ぼんやりしていた意識が徐々に戻ってくる。

「ぜーはーぜーはーぜーはーぜーはー」

「ご、ゴメンねぇ、はるくん」

 と、綾香ちゃんは謝りながら机に突っ伏すボクの背中を擦ってくれた。

「綾香ちゃん……ヒドイよ」

 ちょっと恨みのこもった目で、綾香ちゃんに視線を送る。

「うあぁ、ゴメンってばぁ」

「お前の胸は人が殺せるんだなあ……」

 火嘉が腕を組んで、しみじみと綾香ちゃんの胸に目を向けた。

「るっさいっ! 見るなっっ!」

 ボクの背を擦りつつ、空いている左腕で胸を隠しながら綾香ちゃんは火嘉を怒鳴りつけた。

 火嘉の言う通り、アレは凶器だ……。

 しかも自ら殺されたくなってしまう、男の悲しい性を利用した悪魔のような凶器だ。

「……ふぅ」

 肺の隅々まで酸素が行渡るよう、ボクは大きく深呼吸する。

 ようやく落ち着いてきた。

「もう大丈夫だよ、綾香ちゃん」

「そう、良かったぁ」

 ボクが身を起こすと、綾香ちゃんはホッと胸を撫で下ろした。

「それはそうと、今日はおじさんが帰ってくる日でしょ? はるくん」

 ニコッと笑って、綾香ちゃんがボクの頭に手を置いた。


 ―――そう。


 今日は海外に長期出張していた商社マンである父親が半年以上ぶりに帰ってくる日なのだ。

 流石に今日は帰りが遅くなるわけにはいかない。

「……って、なんで綾香ちゃんが知ってるの?」

 父さんが今日帰ってくる、というのは誰かに言った記憶はないんだけど……。

「おじさんからマメに電話が来てたもの」

「え?」

「春樹や冬菜は元気にしてるかー? ちゃんとごはん食べてるかー? って」

「あ、そう」

 ちなみに『冬菜』というのは、ボクの妹の名前だ。

「まあ、お隣さんだしね」

 ポンポンと、綾香ちゃんはボクの頭を撫でるように軽く叩きながら微笑んだ。

 彼女とは生まれた時から家が隣同士で、いわゆる幼馴染なわけだ。

 ……それはともかく。

「綾香ちゃん……子供扱いは止めてってばぁ」

「え? ああ」

 綾香ちゃんはこの高校に入学してからますます背が伸び、ボクとの差が大きく開いてからというもの傍に来ると何故かすぐ頭を撫でてくるようになっていた。

「ゴメンゴメン、はるくんの頭、なんか丁度いい場所にあるから」

 あははーと笑って、綾香ちゃんはボクから手をのけた。

「むぅ……」

 小学生の頃は、ボクの方が高かったのに……。

「でも、なんで綾香ちゃんちにまで電話してたんだろう……?」

 ウチにも、向こうに行った最初の月は毎日のように、その後でも週に2回は電話してきてたというのに。

 電話代もバカにならないだろうに……。

「はるくん達2人だけじゃ心配だったんじゃないかな」

「そっか」

 父さんが居ない今、家にいるのはボクと妹の冬菜だけ。

 母さんは3年前に心臓の病で他界していた。

「そうか、それじゃ仕方ないな……」

 バツが悪そうに、そう言って火嘉は地である赤毛を掻き揚げた。

「確か、ヨーロッパに出張だったっけか?」

「うん」

「遠いよなあ……」

 と、敏郎は首をかしげて呟いた。

「そうだね……」

「んじゃ今日はご馳走でも作るのか?」

「まあね……きっと日本食に飢えてるだろうし」

 母さんが他界してから、家事はボクが一手に引き受けていた。

 当時、父さんはますます仕事に没頭するようになってあまり家に帰らなくなってしまい、妹の冬菜もまだ小学生でしかも母さんに似て身体も弱く、病院通いが続いていた為、必然的にボクが母さんの代わりをやることになったわけだ。

「相変わらず、いい嫁さんになりそうな奴だなあ、お前は……」

「やめてよ……気にしてるんだから」

「ウチのお母さんよりも美味しいの作るもんね、はるくん」

 と、綾香ちゃんがまたボクの頭をポンポンと撫でるように叩きながら、あははーと笑った。

 さっき頭に手を乗せるのは止めてって言った事ばかりなのに……。

 一応こんなボクにも、男としてのプライドがあるわけで。

 でも周りはそんなボクのささやかなプライドを、遠慮なく打ち砕いていくわけで……。

「がるるるるー」

 悔しかったので上目遣いに威嚇した。

「あ、ゴメンゴメン」

 それで思い出したのか、綾香ちゃんは慌ててボクの頭から手を離した。

「でも、頭ぐらい触ったっていいじゃないか……」

 そしてジトっと恨みがましい流し目で睨まれた。

「ダメっ!」

 でも、ボクの男としての尊厳にかかわる重要な事だ。

 ここは断固拒否だった。

「……やるせないよ、やるせなさ炸裂だよ」

 綾香ちゃんは残念そうに肩を落とした。

「はるくん、高校生になってからちょっと意地悪になったよ……」

 でもすぐにまたジト目で睨まれた。

「ううっ……」

 綾香ちゃんのジト目にボクは弱かった。

 なんというか……。

 普段はそこらの男よりもカッコイイ彼女だったが、この目の時はとてもその……。


 ―――すごく可愛く見える。


「アンタのせいだっ!」

「オレかよ!」

 でも、すぐに険しい顔になって、ビシッと火嘉を指差す綾香ちゃん。

「全く……相変わらず仲のいい『きょうだい』だなあ、お前らは」

 火嘉が呆れて溜息を吐きつつ、両腕を広げて首を横に振った。

 ちなみに火嘉の言う『きょうだい』『姉弟』と当て字する。

「ふっふっふ、はるくんは料理も上手だし、洗濯も掃除もこなせるし、自慢の弟だよ」

 なぜか、綾香ちゃんに誇らしげにそう自慢されてしまった。

「っていうか、ボクの方が3ヵ月程年上なんだけどなあ……」

 ボクは9月生まれで、綾香ちゃんは12月生まれ。

 だから本当はボクの方が『お兄ちゃん』になるはずなのだ。

 ……どうでもいいけど、ボクが『乙女座』なのは、やっぱり運命ってやつなんだろうか。

「3ヵ月程度じゃ、この身長差は埋まらん。諦めろ」

 目を瞑って首を横に振りつつ、火嘉がボクを諭すように肩をポンポンと叩いた。

「ぐぅ……」



 ……ちょっと泣きそうになったけど、我慢した。



「はいはいはーい、みんな席に着いてー」

 と、手をパンパンと叩きながら担任の楠木椎子先生が教室に入ってきた。

「おっと」

「じゃ、戻るね、はるくん」

「うん」

 それを合図に、2人は自分の席に戻っていった。

「じゃあ、ホームルームを始めるわよ」

 楠木先生は教卓に着くと、教室内をそう言って見渡した。

 先生は背丈はボクと同じくらいのちょっと太目の小柄な女性で、しかもちょっとロリっぽい童顔のためパッと見はボク達と同年代に見える。

 本人もそれを良く知っているからなのか、今日は普通に白いカッターシャツにタイトスカートだけど、たまに学校指定のブレザーを着てくる事がある。

 なんでも、

「高校生に間違えられるのが、カ・イ・カ・ン」

 ……とのことだ。

 先輩達の話では、新入生が入って間もない一学期に着てくる確率が高いらしい。

 流石に始めは教頭に怒られたらしいが、校長の、

「まあ、学校指定のものだし似合ってるから、いいんじゃない?」

 という鶴の一声があり、今では公認となってしまっていた。

 そんな楠木先生だから生徒からも『先生』と呼ばれる事はほとんどなく、気軽に『しぃちゃん』と呼ばれており、先生もそれを気に入っていた。

(でも、歳は30超えてるんだよね、確か……)

「うんうん、ちゃんとみんな揃ってるわね……さて今日の伝達事項は」

 と、楠木先生は持っていたノートに目を通す。

「特にナシ、今日も平和ねぇ」

 何故かつまらなさそうに溜息を吐く楠木先生。

「たまには誰か暴力事件でも起こして停学になったりしないのかしら……」

 そして教師としてあるまじき事をのたまった。

 しーんと、静まり返る教室の中。

「……あらやだ、みんな引いちゃダメよぅ」

 クラスのほとんどが呆れた目をしているのに気づいた先生は、慌てて両手でクイクイとみんなを呼び戻す。

「冗談なんだから、あはははー」

 注意してみればようやく開いてると確認できる糸目を一層細めながら、楠木先生は乾いた笑いで誤魔化した。

 まあこんな冗談が言えるのも、巷では学校崩壊や暴力事件なんやらと話題に上っているが、この学校ではそういうのとは今のところ無縁だからだろう。

 恐らく、この土地が田んぼや畑などがあちこちで見られる片田舎で、のんびりとした風土がこの環境を育んでいるんだと思う。

「んじゃまあ、今日のところはこれで終わり。委員長」

「きりーッ!」

 ガタガタガタ。

 クラス全員が起立する。

「礼ッ!」

 ペコリ。

「んじゃ、かいさーん。気をつけて帰るのよ〜」

 楠木先生はバイバーイといわんばかりに手を振って教室から出て行った。

 相変わらず、先生らしくない先生だった……。

「私、部活に行くね、はるくん」

 カバンを持った綾香ちゃんがやってきた。

 綾香ちゃんは中学の頃からバスケットボールをやっている。

 その実力はかなりのもので、中学3年生の頃なんかその噂を聞きつけた私立の高校からスカウトが来たぐらいなのだ。

 それなのに、それを断って県下でも有数の弱小バスケ部である桜ヶ丘高校に入学したのは、



「この弱小バスケ部で天下を獲ってみせる!」



 とか、



「あの学校にスカウトされた強敵(とも)をこの手で打ち破ってみせる!」



 ……などという熱血な理由ではなく、ただ単に、



「寮生活なんか、やだよー」



 ……と、理由だったりするわけだけど。

「うん、バイバイ」

 ボクが手を振ると、綾香ちゃんもニコッと笑って手を振ってから教室から出て行った。

「今日は俺もソロプレイか」

 今度は火嘉が、相変わらずの薄っぺらなカバンを持ってやってきた。

「お前とタッグプレイでバシバシ対戦相手を倒すのが楽しいんだが……まあ、仕方ないな」

「悪いね」

 火嘉と知り合ったのも、ゲームセンターでボクが汚いハメコンボ使いの相手に苦戦していたところに助っ人参戦してきたのがきっかけだった。

 ……もっともその時は、ボクが女の子だと思ったからで、

「男だって分かってりゃ助っ人参戦なんてしなかった」


 ―――と、後でぼやかれた。


「いや、いいさ。でも今度は一緒に行こうぜ」

「オッケー」

「んじゃあな」

 火嘉はくるりと背を向けると、後ろ向きのまま手を振って教室から出て行った。

(さてっと、買い物して帰るかな)

 そしてボクも、すでに半分以上のクラスメイトが居なくなっていた教室を後にした。





 家に帰り着いたのは、日が暮れかかった夕方だった。

(ちょっと買いすぎたよ……)

 今、ボクの手荷物にはいつもの通学鞄だけでなくスーパーの買い物袋が3つも加わっていて、そのどれもがさまざまな食材や日用品で一杯になっている。

 ……かなり重かった。

「ただいま」

 やっとの思いで玄関を開けた。

「はぁ……」

 荷物を床に投げ捨てるように置くと、ボクは腰を下ろして一息ついた。

「……あれ?」

 ふと、足元に目を移すと2足の皮製の靴が玄関先にきれいに踵を揃えて並べてあるのに気づいた。

 1足はちょっとくたびれていてくすんだ茶色の革靴……見慣れた父さんの靴だ。

 もう1足は、下ろしたてなのかピカピカに輝く黒のハイヒール。

 誰のだろう?

 冬菜はハイヒールなんか持ってないはずだし、父さんのだったらビックリだし。

(もちろん、ボクも持ってないからね……)

 つまりお客さん……それも女の人が来ているとというわけだ。

「お兄ちゃん!」

 と、ウサギを模したスリッパでパタバタと駆けつけてきたのは妹の冬菜。

 帰って来たばかりなのか、まだ通っている中学のセーラー服のままだった。

 冬菜は背丈はボクと同じくらい。

 顔のパーツも、声の質も、瞳の色も、ショートカットの髪型もいちいちボクにそっくりな女の子だ。

 ……どちらかといえば、ボクが冬菜に似てしまったと言った方が正しいかもしれない。

 今まで何度も『お前が女の子だったらなあ』と言われてきたが、実はボクの女の子バージョンは実在するわけだ。

「お兄ちゃん! お兄ちゃん!」

 そう叫びながら、冬菜は玄関先に座ってスニーカーを脱ごうとしていたボクの両肩を掴んで遠慮ナシにガクガク揺らした。

「待て待て待て、どうしたんだよ一体」

 面食らったボクは、とりあえず落ち着かせようとする。

 病気がちで身体の弱い冬菜は、興奮しすぎると熱を出して倒れたりするので気をつけないといけない。

「あ、あのね! えっとね……だからね……ケホケホッ」

「ほら、いわんこっちゃない……ほら、落ち着いて」

 ボクは咳き込んだ冬菜の背を優しく撫でてやった。

「あ、あのね! お姉ちゃんができたの」

「……はぁ?」

 思わずボクは冬菜の額に手を当てた。

「熱は……ないなぁ」

「な、ないよぅ」

 と、冬菜はボクの手を振り払って頬を膨らました。

「だってお前……」

「お帰りなさい」

 ふと背中から、そんな挨拶の声が聞こえた。

「――――――!?」

 そしてその声の主である女の人を見て、ボクは言葉を失った。

 腰まである長い蜂蜜色の髪に、清流のように澄んだ薄氷色の瞳。

 透き通るように白い肌に金色の飾り縫いが映える黒のワンピースを纏う様は、まるで昔父さんがフランスで冬菜に買ってきたアンティーク人形を髣髴させる姿だった。

 また胸元に下がっている黒い逆さ十字のネックレスが鈍く光を反射していて、背徳的な雰囲気を醸し出し、それが彼女の妖しいとも言える魅力を十二分に引き出しているように思えた。



 ―――とにかく何が言いたいのかというと、



(凄い美人……)



 今のボクは、もし隣に綾香ちゃんが居たら、

「そんな口開けてボーっとしてたら、バカみたいだよはるくん」

 ……とか言われかねない状態だった。

「あ、お姉ちゃん!」

 その彼女を冬菜がお姉ちゃんと呼んだ。

「貴方がハルキ君……?」

 冬菜に微笑んで一瞥すると、彼女はボクの目の前にやってきた。

 背は女の人にしては高い方……流石に綾香ちゃん程じゃないけど170は超えてるようだった。

 顔立ちからいってボクより少し年上くらいだと思う。

「くすっ、私の顔に何かついていますか?」

 玄関先でスニーカーを脱ごうとして固まったまま見とれていたボクを見て、彼女は唇に手を当てて上品に微笑んだ。

「え!? あ、いや別に……」

 慌ててボクは視線を逸らして、誤魔化すようにスニーカーを脱いだ。

 ……凄く、恥ずかしかった。

 いや、それはともかく、とりあえず聞いておかなければならない事がある事に今更ながら気がついた。

「ええっと、お姉さんは……?」

 少なくとも、ボクの知る限り親戚縁者に海外の人は居ない筈だ。

「ええ、私は……」

「エストリィ」

 と、彼女の言葉を遮るようにやってきたのは半年ぶりに見たボクの、

「父さん!」

「ああ、久しぶりだな春樹」

 父さんは身長はボクよりちょっと高いくらいだが、柔道の有段者でがっちりとした体格の持ち主だ。

 髭も蓄えているせいか、パッと見は山男って感じだ。


 ―――でも。


 久しぶりに見た父さんは、なんだか疲れているように見えた。

「あら、アキトシ」

 目の前の彼女がその声にくるりと振り返る。

 その時に彼女の長い髪がひらりと、とても綺麗に宙を舞った。

 そんな光景を目の当たりにしたボクは、優雅という言葉は彼女の為にある言葉だと本気で思ってしまった。

 ……それにしても。

 アキトシ……秋敏というのは父さんのファーストネーム。

 それを気軽に呼べるこの人は一体誰なんだろうか……。




「まさか、父さんの再婚相手!?」

「は?」

「酷いよ父さん! 母さんの事、もう忘れちゃうの!?」

 母さんが亡くなって、まだ3年しか経っていない。

 いくらなんでも母さんを忘れて、他の女の人に走るには早すぎる……。



 ……確かに凄い美人だけど。



「いや、別に再婚とか考えていないが……」

「ち、違うよお兄ちゃん。さっきからお姉ちゃんって言ってるじゃない」

 冬菜がボクの袖を引っ張って、また頬を膨らませた。

「お姉ちゃん?」

 とりあえず、この言葉の意味を考えてみる。


 あね【姉】
(1)同じ親から生まれた年上の女。年上の女のきょうだい。
⇔妹
(2)兄の妻。あるいは夫や妻の年上の女のきょうだい。義姉。

 ―――goo 辞書より引用



 とりあえず(2)は論外なので(1)を考える。

 ボクは風野家の長男で、父さんと母さんの第1子だ。

 それは、ちょっと前に携帯の割引を申し込むのに使った戸籍謄本で確認済みだ。

 父さんと母さんは幼馴染で大学生の時に学生結婚したと聞いてるから離婚歴はないだろうし、父さんが再婚したとしても今からじゃ妹や弟ならともかく、兄や姉は無理だろう。


 ……………………………………。



 ……いや、再婚した相手にボクよりも年上の連れ子が居たら可能だ。



「やっぱり再婚するんじゃないかぁ!」

「なんでそうなる……」

「くすくすっ、家族っていいものですね、楽しいです」

 また彼女が上品に笑った。

 きっとファンタジーの世界に出てくる王侯貴族のお姫様というのは、彼女みたいなんだろうと思う。

「廊下で立ち話もなんですから、夕食を摂りながら話しませんか? もうすぐできますから」

 そう言って、彼女はいまだに玄関先で座り込んでるボクの手を取った。

「!?」

 その刹那、ボクは反射的に手を引っ込めてしまった。


 ―――別に嫌悪感を抱いたわけじゃない。


 彼女の白い手が、氷の様に冷たかったからだ。

「あ……」

 彼女の顔から明るさが消えた。

 ……それはそうだ。

 手を差し伸べた相手から拒絶されれば、誰だって悲しくなる。

「あ、いや、違うっ!」

 慌ててボクは否定する。

「そ、その、冷たかったからっ! ビックリしただけだからっ!」

「え? ……ああ、そうですね。私の手は他人より冷たい事を忘れていました」

 クスリと彼女は笑って、再びその表情に明るさが戻った。

「え、ええっと、手の冷たい人は心が暖かいっていうし、だ、だからっ、その……」

「くすっ、ハルキ君は優しいのですね」

 彼女はそう言って、もう一度ボクの手を取った。

 今度はその手を離すことはなかった。





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