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2005,04,04, Monday
マネーのトラウマ
資本主義国家における消費活動とは、取りも直さず国家存続の礎そのものである。そしてその消費活動に係る納税の義務は国民にとって至極当然のものである。但し、税金の使途が不適切である場合、それは国家存続の危機そのものである。
てな事を考えた事など一切ない。今思いついたまったくのテキトーなデタラメである。しかしながら、高度消費社会における消費活動とは人生そのものの投影である、といってもこれは過言ではないだろう。例えば私。無意識のうちに、金銭面でかなり慎ましやかな日々を送っている。日々是節約、といった感じだ。「すてきな奥さん 袋とじ大特集 ドケチ節約術」かなんかに掲載されそうなくらいケチケチだ。全く以って甚だ不本意である。 何のための節約か。誰のための貯金か。もはやそんな物など必要ないというのに。食事代は三百円まで。今日び遠足のおやつ以下である。手数料がかかる時間にATMは利用しない。電車で2駅程度なら徒歩だ。とりわけ地下鉄は高価いし。先日購入した掃除機は二千円だったが8時間も充電して8分しかもたない。等々、枚挙に暇がない。全て小遣い制度時代の名残だ。 当初、数多くの野望を抱いていた。クルマを買い替えよう、バイクも買おう、タグ・ホイヤーだってギターだって買えるぞ。後アレだ、服も靴も新調しよう。ケータイも機種変だ。ipodもゲット。いつの間にか出てたジョン・サイクスのライブ盤もよさげだ、ラプソディのエメラルドソードサーガも全部まとめ買いしてヤル!横山光輝の三国志も全巻まとめ買いだ!終盤若干ショボい野望だが。これら全て、一切、何一つ、金輪際、手に入れていない。 それどころか、どうしても必要が生じたもの(ハサミ、のり、印鑑等々)ですらすべて百円ショップにおまかせだ。ベルトとネクタイをも各百円で購入した事もある。そばに文具屋があろうが、隣にアオヤマがあろうが素通りだ。徒歩だ。歩け、ひたすら歩け。めざせ百円ショップ。どこだ百円ショップ。歩け、進め。どこだ、ココは。迷子になったりもする。 まさに呪縛である。「どこか旅行に行こう、おいしい物食べに行こう」と毎日少しずつ小銭を入れていた猫の貯金箱は粉々に砕いた。一緒に間取りを考え図面を描いた夢のマイホームは文字通り夢と消えた。欲しがっていたティファニーのネックレスとコーチのバッグをプレゼントするために昼飯を抜いてひみつ貯金をしていたがあと一息という所で結局間に合わなかった。「最近ちゃんと鳴らない」というから新しい目覚まし時計を買おうと残しておいたヨドバシポイントもそのままだ。インディの割引券はさすがに期限が切れている。インディはともかく、もう貯金も節約も無意味なのだ。だが遣えない。 今や誰憚る事無く、好きな物を好きなだけ買えばいいのだ。もっとリッチな飯を喰えばいいのだ。少々の事では困窮せぬ。カネなら腐るほどある。衝動買いでもすれば精神安定剤としても効果的だろう。このまま旧弊に囚われ続けるわけにはいかぬ。脱却せねば。割礼の儀式が必要だ。心のバンジージャンプだ。ああやるさ、やってやるとも。明日こそ、ねぎビーフカリー大盛り880円を注文してヤル! |
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