松本零士特集
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■その他の矛盾の原因
ここではヤマト以外の松本氏の作品の矛盾がなぜ起きたか。
について書いていこうと思います。
とはいうものの、ヤマトとほぼ同時期の作品ばかりのため、ヤマトの矛盾の項に書いてもよかったのですが、長くなったため分けることにしました。
こちらもウィキペディアの情報と私の独断と偏見による憶測でしかありません。
そのつもりでお読みください。
1.製作体制
ヤマトからはじまった松本零士ブーム。
この頃の発表された松本作品を年数順に列挙しておきます。
1974年「宇宙戦艦ヤマト」TV版
1977年「宇宙戦艦ヤマト」劇場版
1977年「惑星ロボ ダンガードA」
1978年「宇宙海賊キャプテン・ハーロック」
1978年「SF西遊記スタージンガー」
1978年「銀河鉄道999」TV版
1978年「さらば宇宙戦艦ヤマト」
1978年「宇宙戦艦ヤマト2」
1979年「銀河鉄道999」劇場版
1979年「宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち」TV版
1980年「ヤマトよ永遠に」
1980年「宇宙戦艦ヤマトIII」
1981年「新竹取物語 1000年女王」
1981年「さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅」
1981年「宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち」劇場版
1982年「1000年女王」
1982年「わが青春のアルカディア」
1982年「わが青春のアルカディア 無限軌道SSX」
1983年「宇宙戦艦ヤマト―完結編―」
ご覧のように一大ブームだったことがわかります。特に1978年はTV版4本、劇場版1本が発表されています。
しかもTV版は今日のように3ヶ月で終了することもなければ、1期、2期と途中で中断されることもありません。半年か1年、毎週放送されていました。
その間松本氏は漫画家として連載も抱えていました。
こんな量産体制では松本氏はアニメのスタッフまかせになってしまいます。
ハーロックのTV版1作目が漫画版と異なっていたり、999の劇場版2作品が漫画版と違ったりするのも当然でしょう。
最も深く関わったヤマトでも、松本氏の作風が色濃く反映されているのは、TV版1作目、「ヤマト2」、「永遠に」ぐらいなものです。
2.人手不足と作り手の思い
それぞれの作品の作画のスタッフを調べても、同じ名前ばかりが並んでいます。それぐらいアニメ業界は人手不足で兼任が当たり前でした。
ですから続編や新作を作っても似たような話になったり、他の作品と混同したりしても不思議ではありません。
一方でアニメにするからには、原作漫画とは違った作品にしようと思うのは、クリエイターの性(さが)。漫画とアニメが変わってしまうのも無理ないことです。
しかもTVアニメの劇場版やその続編ともなれば、それまでとは違った何かを受け手は期待してしまいます。それに応えようと作り手も新しく設定を追加。それにより細かな設定の矛盾が発生してしまいました。
3.アニメ雑誌とビデオの普及
ヤマトによって多くのアニメ雑誌が創刊されました。
これにより細かな作品の設定情報が公開されます。
またビデオも普及し始め、作品を何度でも確認することが可能になります。
その結果、細かな設定の矛盾が露呈することになってしまいました。
4.受け手の高年齢化
TV版1作目のヤマトから「完結編」までに9年経過しています。
ヤマトのTV版1作目や999の劇場版1作目は中高生をターゲットに作られましたが、これらを観た受け手も「完結編」の頃には、20歳前後になっています。
受け手の高年齢化に伴い、作品の矛盾が指摘されるようになっていきます。
5.松本ワールドの構築
松本氏は、自分の作品を相互リンクさせ、個々の作品の登場人物は全てつながっている。
という壮大なストーリーを構想していました。
水島新司氏は「大甲子園」という作品で既に同じようなことを行っていましたが、それと同じことを松本氏は目指していたようです。
「大甲子園」はグランドの中だけで物語が完結するため、細かな設定は必要ありませんが、松本氏の作品はそうはいきません。
そのため本来なら独立した個々の作品を、リンクさせるための作業が大量発生します。その結果、矛盾を発生させることになってしまいました。