松本零士特集
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■編外余録
ここでは思いつくまま松本氏について色々書いてみようと思います。
手塚治虫氏との関係
この特集を組むにあたり色々調べてみると、手塚治虫氏と接点があり驚かされました。
少年時代に手塚氏と同じ劇場で作品を観ていたこと。
手塚作品の初期の本の収集。
「鉄腕アトム」の製作にも一役かっていたこと。
手塚氏と同じくアニメ製作に深く関わっていたこと。
西崎氏により、手塚氏も松本氏も著作権でダメージを受けたこと。
などです。
混沌とした松本ワールド
松本氏が目指した作品の相互リンク。これはやはり無理があったと思います。
相互リンクの例として「大甲子園」を挙げましたが、この「大甲子園」に出てくる他の作品群は高校3年の夏が描かれていません。
それは最初から相互リンクさせる意図があったからです。
一方の松本氏の作品群は今回の特集で色々調べましたが、元々同じ作品だったハーロックと999が、別々の作品としてTVアニメ化されたため、別の作品として認知されました。
そのため相互リンクさせる際に、矛盾がかなり発生したように思います。
999は各話の前後に関連性がありません。1話完結の話です。
そんな作品を得意とする松本氏が、壮大なシリーズ物を作るのは無理だったのではないかと思います。
ヤマトやハーロックが、続編になると矛盾だらけになってしまうのは、公式には続編という形を取りながらも、実は各々が独立した作品として脳内では作っていたのではないでしょうか。
ですからヤマトやハーロックも、続編ごとに一切関連性がないものとして公式に製作されていれば、もっとすっきりした作品群になったのではないかと思います。
松本ワールドと甲子園
甲子園では松本氏の作品の主題歌が、今でも応援歌として使われています。
松本氏が、甲子園を観ながら「大甲子園」のように相互リンクを思いついたのかも。
あるいは「大甲子園」もハーロックも同じ秋田書店ですから、編集者から何かしら誘いがあったのかもしれません。
これは、あくまで推測です。
ヤマトVS.ガンダム
ヤマト人気を全て持っていってしまったガンダム。
「さらば」の公開が1978年。ガンダムTV放送開始が1979年。
今思うと、たった1年でここまで変わってしまうものか。と驚かされます。
ガンダムの劇場版公開が1981年ですから、それを考慮に入れてもたったの3年です。
ガンダム人気が高まるにつれ、辻褄のあう詳細な設定がもてはやされ、辻褄のあわないヤマトは続編を作るたびに人気がなくなっていきます。
無理もありません。初代ガンダムの劇場3部作はTV版の総集編。設定を大幅に変えることもなければ、続編でもありません。大筋で整合性が取れているのは当然です。
というかガンダムはミノフスキー粒子をはじめとして、多くの詳細な設定が作中で語られません。
ですから、矛盾は発生しないのです。
受け手(プロアマ不問)が想像した辻褄のあう設定が公式になっていくため、作り手は大筋だけ考えればいいのです。
ガンダムの辻褄あわせは、1作目から何年も経て製作された数多くの続編からです。結果ガンダムワールドは、とても窮屈な世界へと変貌していくのですが。
一方「さらば」で特攻を描いたため、ヤマトパッシングが起こり、しかも「さらば」と同じ年の「ヤマト2」で登場人物が復活してしまったため、受け手も一気に興ざめしてしまったのではないかと思います。
なんだかヤマトが勝手に自滅してしまったようにも思えます。
そこへ後年オウム事件が発生。ますます敬遠される憂き目にあってしまいました。
私は小学生の時に観たという事もあるのですが、ガンダムよりヤマトの方が好きです。
それは泣けるからです。ガンダムは泣けません。
ヤマトは叙情的。感情に訴えかけ、登場人物のセリフは長セリフ。情感豊かに描く。
重厚長大で火力重視。話の進め方もスローで、人類のために大宇宙の巨大勢力と戦う。
音楽も感情を昂らせるため大音量でスロー。続編で使われた歌も心情を歌う歌謡曲。
70年代を象徴した作風で、ビデオ等で観ることを想定されていない作品。
一方ガンダムは叙事的。理性に訴えかけ、登場人物のセリフは短い。さらりと受け流す。
軽薄短小で機動性重視。話の進め方も早く、保身と誰かに勝ちたいために戦う。
音楽もテクノサウンドのような曲で速い曲。続編で使われた歌も詞よりも曲重視のJ-POP。
80年代を象徴した作風で、ビデオ等で観ることを想定されている作品。
そんなヤマトですが、「完結編」が公開される頃には「うる星やつら オンリーユー」でパロディネタにされるまでになり、ヤマトブームは去っていくのでありました。