君の名は。特集
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■感想
文句のつけようがない映画。
というのが何年かに一度登場する。
それは、ある人から観れば退屈極まりないものであったりするけれど、多くの作品を観てきた人にはその作品には文句のつけようがない。
何のことだかよくわからないかもしれない。
そう、それはきっと多くの作品を観ていないとわからないからだ。
「ダンス・ウィズ・ウルブス」という映画がある。
ケビン・コスナーが主演をつとめ、それまで、悪人でしかなかったネイティブアメリカンを描いた作品だ。
三時間近い作品で、多くの作品を観たことのない人が観れば、きっと眠ってしまうような作品だ。
けれど、画面になぜか緊張感がある。何が起こるかわからない期待感がある。
三時間という長丁場、眠たくなると何かが起こる。結局最後まで観てしまう。
本作もその時感じた感覚と似たような感じの作品だった。
観客動員だとか、テレビでいう視聴率とか、とやかくいわれるのは、観ている人が作品に飽きてしまうからだ。
テレビなどはその好例で、視聴者が飽きてしまえばすぐにチャンネルを替えられてしまう。
そうならないようにあの手、この手と作り手は繰り出してくる。
それぐらい何時間も銀幕に観客を釘付けにしておくことは難しい。
それをケビン・コスナーは初監督作品でやってのけ、結局アカデミー賞を受賞してしまった。
それと同じぐらい、本作は文句のつけようがない。
誤解して欲しくないのは、絶賛しているのではないということだ。
アラ探しをしてもアラが見つからない作品というだけだ。
隙がないといってもいい。
それぐらい、本作はマイナス点がない。
大したアクションもなく、何かの目標や目的にがんばるでもない。
男女が入れ替わったという不思議な体験を通じて描かれる、十代の何気ない日常だ。
この何気ない日常をドラマにするのが、実は一番難しい。
魔法使いや、ヒーローや、巨大ロボットや、怪獣や、爆発を出せばいくらでも客寄せパンダにすることができる。
けれど、敢えてそれをせず、バイトに明け暮れ、先輩に恋心をよせる男子と、都会に憧れ伝統文化を継承して過ごす女子の日常が淡々と描かれている。
もちろん、否定的な見方もできる。
本作が公開される前に「シン・ゴジラ」が公開されている。
「シン・ゴジラ」の監督は「エヴァンゲリオン」の監督だ。
「シン・ゴジラ」の観客の中にはアニメファンが多くいたことだろう。
その観客は「シン・ゴジラ」が始まる前に当然、本作の予告編を観たはずだ。
その時、面白そうだと感じた観客が本作を観、ネットで人気に火がつき、あっという間にヒット作になってしまった。
と考えられなくもない。
実はこういう例は本作がはじめてではない。
奇しくも男女が入れ替わる作品として有名な「転校生」の予告編は、「機動戦士ガンダムIII―めぐりあい宇宙(そら)編―」で流されていた。
また、「スピード2」「ロスト・ワールド ジュラシック・パーク」の公開は夏だったが、その年の暮れ大ヒットする「タイタニック」の予告編がすでに流されていた。
つまり、「転校生」は「ガンダム」が呼び水となり、「タイタニック」は「スピード2」「ロスト・ワールド ジュラシック・パーク」が呼び水となり、「君の名は。」は「シン・ゴジラ」が呼び水となったといえなくもない。
さらに言えば新海誠版「時をかける少女」といえなくもない。
ここでいう「時をかける少女」とは大林監督のものではなく、細田守監督の「時をかける少女」だ。
細田守監督が「時をかける少女」でヒットメーカーの仲間入りを果たしたので、新海誠監督は大林監督のもう一つの代表作「転校生」で勝負に出たと考えられなくもない。
果たして、一発屋で終わってしまうのか、新たな日本のアニメの時流を作る映像作家となってゆくのか、今後が楽しみな監督の誕生である。
TV放映鑑賞後の感想(2023/9/21追記)
TV放映で通算3回目の視聴時に感じたことを書いておく。この作品。実はオープニングが2回ある。1回目は開始すぐに流される映像。2回目は、瀧と三葉が入れ替わっている事が判明し、「前前前世」が流れるタイミング。
TVアニメは昔からオープニング映像に優れた作画が多い。その優れた作画を本作では2回披露しているのだ。そうすることで観客のテンションを上げている。元々地味な内容であるため、なんとか観客に興味をもってもらうための苦肉の策なのだろう。
3回目という事もあって大筋が理解できてくると、本作がいかに複雑な時間軸の中で話が進んでいるかが、よくわかる。
この時間軸のトリックが解明されてから本作を観ると、二人は入れ替わりが起きる事を予め知っているように思える。それなのに作中では大騒ぎをしている。
また二人の時間軸が異なっている事に、時計機能のついているスマホでやり取りをしているにも関わらず、完全にスルーしている。という矛盾に気づいてしまう。
しかしこの矛盾を1回鑑賞しただけで理解するのは大変だろう。そのためこの矛盾を確認するため多くの観客が劇場に足を運んだのではないか。などと思ってしまった。