シン・ゴジラ特集
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■SFとして
ここでは、SF作品として本作について書いていこうと思います。
ゴジラ登場後、東京が壊滅的被害を受けた際は、1973年公開の「日本沈没」を思い出してしまいました。
「日本沈没」ほどの悲愴感がないのは「巨災対」のメンバーの誰もが一癖もある面子ばかりだからでしょう。
まるで「アルマゲドン」の様でもあるし、「七人のおたく」の様でもあります。
予定調和のような専門家ではなく、突飛な発想を持った人物を配置することで、本来存在しない巨大生物をあたかもとてつもない生命体であるかのように描き出しています。
実際のところは1954年版のリメイクでしかありませんが、庵野、樋口監督コンビとしては、「ガメラ2 レギオン襲来」の再現といえます。
作中ではゴジラの細胞片を解析したデータを分析するだけで、詳細なことは何もわかっておらず、憶測が飛び交っているだけです。
ゴジラといえば放射能という定番の設定も、最初は「巨災対」のメンバーの憶測から始まり、それが、実際のデータとして数値化され確認されただけに過ぎません。
全てが万事この調子で進んでいくので、説得力に欠けるものの非常にテンポがいいです。
小説ならば、学術用語満載になる所ですが、敢えて難しい科学技術用語は避けたように思います。
それでも、会話が早口すぎて何を言っているのかわからないシーンがあったことも確かですが。
そもそもゴジラが出てきた時点でSFとして成立していて、未来予知的なSF作品とは一線を画します。
後はゴジラをいかに科学的に肉付けしていくかがSF的な醍醐味といえます。
海洋巨大生物でありながら上陸とともに急速に進化し陸上生活に適応。
巨体を支えるためのエネルギー源は憶測でしかなかったが核分裂。
解析図を分析することで、細胞膜を通し細胞内の元素を必要な分子に変換してしまう。
つまり、水や空気があればどこでも生きていける生物として結論付けられます。
まるで、植物のような動物。(なんだか「ビオランテ」みたいですなぁ。)
その後の解析から細胞膜の活動を抑制する微生物の分子構造が判明。
2時間で決着をつけなければならない映画にとって、ありがちなご都合主義的な展開。
ゴジラの細胞片と牧教授(岡本喜八)の残した解析図だけで、ゴジラのエネルギー源、生命維持機能、果ては退治方法まで、一気に判明してしまうのですから。出来すぎといえば出来すぎです。
しかも、最後には放射能の無害化が3年程度で終わってしまうなんて。。。
しかし、牧教授はこうなることを予見して行動していた。
というのは「機動警察パトレイバー」の真犯人のようにも思えます。
こうやって文章にしているからツッコミたくなる気にもなるのですが、観賞中は「巨災対」のメンバーの台詞を追いかけるのに必死。
特に初見ともなればその傾向はますます強くなり、上映時間の関係で会話は早口になり、ツッコミを入れるタイミングがなくなり、観客は思考停止状態に追い込まれます。
元々ゴジラ自体が存在しないのですから、ツッコミを入れること自体、無意味といえるでしょう。
そんな中、秀逸なのはゴジラの解析図の謎を解析していく過程。
「なんでそもそも、データじゃなくて紙なんだ。」という台詞からすぐに私は
「折り紙ではないのか?」
とピンときたのですが、その後の台詞がまたそれを裏付けするかのようにこう続きます。
「なんか、折れ線みたいっすよね。」
折り紙に折れ線という折り繋がり。
他言語でこれをどう翻訳するのか別の興味まで沸いてしまいます。
そして更に念を押すかのように折鶴のワンカット。
解析図が折り紙の展開図のようになっていたのでしょう。
解析図を折ることでゴジラの生態がより鮮明になっていきます。
その後のゴジラ凍結作戦も「ヤシオリ作戦」と命名され、「巨災対」のメンバーが椰子折りしたような折り紙を持っているワンカット。
映像からは折り紙から命名されたように私には見えました。
実はこの「ヤシオリ」。
「ヤマタノオロチを眠らせるために使用したお酒ヤシオリ」が由来。
らしい。
「帝都物語」の頃なら衒学趣味に走って誰かが延々と講釈を述べる所ですが、作中では一切触れていません。
そのため「ヤシオリとは何だろう?」
と興味を持って調べた結果、実はこういう意味があった。
という仕掛けの方がインパクトがあって面白いです。
公開から一年以上経った頃に、この文章を書いているので、
「ヤシオリ」とは「ヤマタノオロチを。。。」が由来。
という情報が先に検索されてしまい、そういった感動は得られませんでした。
これまた、ハリウッド方式を真似て始まった本作でしたが、折り紙という日本的な謎解き方法で謎を解明してみせる。
まさに日本版ゴジラの真骨頂ともいえる展開でした。