a flight
シャンクスとが出逢った次の日。
手入れの行き届いた巨大な庭に、薄闇が訪れた。迷路の様に木々が整列する庭園。
一枚の美しい絵画の如きレンガ造りの宮殿内には、直に始まる晩餐会の準備に慌しく行き交う人々。
黒髪を後で纏めたバルドーが、緊張した面持ちで長い廊下を歩く。
バルドーの足は、ゆっくりと確実に赤い絨毯を踏みしめる。太腿に、ロングソードが微かに触れた。
甲冑と鎧で身を固めた二人の門兵が、バルドーを確認して扉を開く。兵士の手に持った剣が、ギラリと光った。
「失礼致します。バルドー、只今到着致しました。お呼びでございますか」
窓辺のテーブルで、外を睨みつけていた王妃が振り返る。とってつけた様な微笑をバルドーに向けた。
「ああ、バルドー。よく来ましたね。わらわは嬉しく思いますぞ?今日は、そなたに良き話を・・・」
「ご機嫌・・・麗しく、何よりでございます、王妃フレイヤ様」
バルドーは勲章が並ぶ胸に手を当て、深々と礼をした。
「ところで、国王・・・・ラーズ様はどちらへ?」
問い掛けられた言葉に、酷く顔を顰めたフレイヤ。
「・・・・・国王はお忙しい身。わらわには見当もつかぬのじゃ」
王妃の持つ扇が振るえているのに気付いたバルドーは、国王の所在が愛妾の所だと知る。
「さようでございますか。では、フレイヤ様。私に話とはなんでしょう」
バッとフレイヤの顔が明るくなる。
「バルドー。今年でいくつになった?」
「は? 19でございます、王妃様・・・・私の歳が何か・・・?」
バルドーは、不審な表情を浮かべてフレイヤの顔色を伺う。
「そちも思いを寄せておったであろう?我が娘、。わらわが気付いておらぬと思っておったか?
あの子も、もう17じゃ。そろそろ婚約どころか、結婚して当然の歳・・・・」
の名と結婚のフレーズを聞き、バルドーの顔色が変わる。
「口惜しいのじゃ、わらわは。男児を産めなかったばかりに・・・国王はあの女ギツネに子を産ませた・・・。
所詮身分の低い身の女ギツネじゃが、わらわが産めなかった男児を孕んだとなれば、話も変わる」
「ラーズグリフ卿は・・・腹は違えど、様とはご兄妹・・・・。人柄も悪いとは思えませぬが・・・・」
フレイヤの扇がピシリと音を立てて折れた。瞳を瞑るバルドー。
「・・・孫が出来たのは知っておろう?それも、男児!女ギツネは、孫にも王位継承権を与えろとねだっておる!!」
美しく結われた金髪を掻き毟り、フレイヤは頭を振る。バルドーはフレイヤが落ち着くのをじっと待つ。
呼吸が荒れたフレイヤは、肩を上下させながら椅子に座った。
「のう、バルドー。そなたなら、身分も申し分無い。を后にすれば、当然此の国の王になれる。
男に生まれ、一国の主になる。此れ程夢の様な話は他にはあるまいて」
「し、しかしフレイヤ様。私の一存ではそんな重大な事・・・・」
慌てるバルドーの声を遮って、フレイヤは大きな窓に視線を戻す。
「あの女ギツネが、国王の名を我が子に付けだけでも・・・わらわは身を焼かれる思いをしたというのに・・・。
バルドー。わらわを助けると思って、と結婚してくれぬか。断ってもよい・・・死を覚悟の上で・・」
冷酷なフレイヤの声に、バルドーの背筋に冷たいものが走る。其れは、の身を案じた戦慄。
「バルドー・・・・を娶れ。命令じゃ・・・・下がってよい」
フレイヤはバルドーに目もくれず、低く呟いた。
「ですが・・・フレイヤ様」
「下がってよいといっておろう!!そちの耳は節穴か!!!!」
ギラついたフレイヤの瞳が、バルドーを睨みつける。重い身体を引きずる様に、バルドーは王室を後にした。
「確か、愛妾の孫君は・・・・ライル殿下と言ったな。お小さいのに、王妃の憎しみを一身に受け・・・憐れなものだ」
バルドーは赤い絨毯の上で思いを馳せながら、溜息を吐いた。
「・・・ルドー・・・・バルドー!」
騎乗しようとしたバルドーは、自分を呼ぶ小声に振り返る。大木の陰から、が悪戯っぽい瞳で見ている。
薄闇を舞う風の中で、白いドレスが揺れた。新緑の香との甘い香りが、バルドーに届く。
「ッッ!!・・・貴女はこんな所で何を・・・」
キョロキョロと辺りを見回して、は唇に人差し指を当て、バルドーの側に駆け寄った。
「何をって・・・・バカねぇ、バルドー。シャンクスの所に行くに決まってるでしょう?」
無邪気な表情に、絶句するバルドー。
「・・・・王妃様がお知りになったら・・・何と仰るか」
「知らないわ、あんな人」
の金髪が、夕暮れの闇に映える。バルドーはまた溜息を吐いた。
「では、私がお止めしても、無駄でしょうね・・・」
低い呟きにクスクスと微笑んだは、大きく頷く。
「・・・・王妃様は、私と貴女を結婚させたがっていますよ?」
の微笑みが消える。バルドーは黙ってを見つめた。
「貴女の嫌う、愛妾の孫が生まれましたからね。王妃様は焦っておいでになられる」
「そう・・・・」
「私はずっと貴女を・・・・をお慕いしてきた。其れはご存知でしょう」
は何も言わずにバルドーの瞳を眺める。
「だが・・・・私は、あんな風に・・・貴女を微笑ませる事は出来無い。・・・あの赤い髪のシャンクス殿の様には・・・・」
「・・・・バルドー」
バルドーの握り締めた拳が、震える。
「さぁ、お乗りなさい、。貴女はやっと愛する感情を見つけた。私は、そんな貴女を見ているだけでいい・・・」
バルドーは、にっこりと笑って騎乗した。何かを言おうとしたは、言葉を飲み込む。
「。私は・・・・私なりのやり方で、貴女を幸せに導こう・・・・」
戸惑った顔のの前に、バルドーの手が差し出される。
「宴に・・・遅れますよ?」
バルドーは静かに言って、の身体を馬上に引き上げた。
本当の兄の様に、自分の事をずっと側で支えてくれたバルドーを思い、の瞳が潤む。
「・・・・バルドー。少し・・・・・泣いてもよくて?」
「其れは、光栄です・・・・」
走り出した栗毛の馬から、の流した涙が風に乗って煌いた。
「シャンクス――――――ッ!!」
歌声が響く赤髪海賊船に向かって、が楽しげに声を上げる。其の姿に苦笑するバルドー。
「、いけませんよ。大きな声で呼んでは。一応目立たない様に停泊してるんですから。
貴女はご存知ないでしょうが・・・赤髪海賊団は、海軍も注目し始めた海賊です」
「だって・・・・」
「海賊船に乗る、其れだけで危険も伴います。充分ご注意を・・・」
下馬したバルドーは、を抱え降ろす。の軽さが、バルドーの不安を高める。
の薄紫の瞳が、バルドーの行動を追った。
「バルドーは何処へ行くの?」
優しくを見つめ、バルドーは静かに微笑む。
「が行方不明なんですよ?王宮は今頃、酷い騒ぎでしょう・・・私が治めなければ。
そうですねぇ・・・現実には叶わなかった夢でも語りましょうか。例えば、二人で夜の散歩とか・・・」
クスッ・・・と笑った無邪気なに頷き、バルドーは海賊船を見上げる。
闇の中でもハッキリと確認出来る赤い髪が、船縁で風に揺れた。
深々と頭を下げるバルドー。
「だははッ、そんなに気ィ使ってると、老け込むぞ?お守役! ああ、お前も呑んでけッ、なッ!!」
大らかなシャンクスに笑ったバルドーは、を縄梯子へと促す。
「シャンクス殿。お誘いは誠に有り難いが、仕事が残っている。様をお預けしても宜しいかな?」
「・・・お守り役・・・・お前・・・・」
真剣な男同士の間に、暫しの沈黙が訪れる。港に打ち寄せる波音がざわめいた。
ニカッと笑ったシャンクスが、船縁から飛び降りた。風をはらんだ黒いマントが、背で膨らむ。
「お前を貴族にしとくのは、勿体ねェな」
「シャンクス殿こそ・・・」
二人はガッチリと腕を合わせ笑い合う。シャンクスとバルドーに、もう言葉は不必要だった。
「では、此れにて私は」
バルドーは優雅に騎乗して、馬に鞭を入れる。
大きな嘶きと共に王宮へ向かうバルドーの背中をは無言で見つめた。
「宴はもう始まってるぜ?」
「きゃッ・・・」
「お前は、いい加減に慣れろ!!」
苦笑したシャンクスは、を肩に担いで縄梯子を昇った。
「おおおおッ!!だッ!!!!」
「ホントに今日も来た!いやっほ〜い!!」
「よく来たなぁあッ。お頭、俺にも担がせてくれ!」
「ずりィぞ!てめェより、俺が先だッ。さぁ、!!」
「ぎゃはははッ、誰がてめェのトコに来るかよッ!!」
を甲板に降ろしたシャンクスは、クルー達の歓迎の奇声にべーッと舌を出す。
「嫌なこった。誰がこんないい女を離すかよッ!!」
シャンクスはを両腕で抱き締めて、宝物を手にする少年みたく笑った。
「「「「「「「 お頭、コノヤローッ!! 」」」」」」
「だっはっはっは!! みんな、指咥えて見てやがれッ!!」
大量の料理が並ぶ甲板に腰を降ろしたシャンクスは、足の間にを座らせた。
「俺の、お宝だッ!!!!」
「シャンクス・・・」
真っ紅になったの頬に、シャンクスの無精ヒゲが当たる。
「いい夜だ!みんなッ!呑むぞ!!!!!」
「「「「「「「「 オオオオォォオ!!!! 」」」」」」」
ガァァ――――――・・・ンと杯が合わさり、赤髪海賊団の宴が本格的に始まった。
濃紺の夜空には冴える月が浮かび、髑髏に3本の線が入る海賊旗を照らし続けた。
嵐の様な宴は夜が更けるまで続き、甲板の端に酔いつぶれる者が続出する。
「・・・なぁんだ、もう潰れてんのかぁ?」
シャンクスが呆れた様に呟く。
其の腕の中で微笑んでいたは、毛布を掛けようとリネン室に入って行った。
「なぁ、お頭」
ベックマンは、ご機嫌のシャンクスのジョッキに酒を注ぎ足した。顔を上げるシャンクス。
「あぁ、解ってる・・・」
「ならいいんだが。に惚れる気持ちも、よく解る」
ベックマンの言葉に、頷くシャンクス。
「ちょっと、姫の様子を見てくる」
シャンクスは微笑んで立ち上がり、ベックマンの肩を叩いた。
リネン室では、慣れない事に右往左往している。
そっと扉を開けたシャンクスにも気づかず、毛布を持っては落したり頭を傾げたりしている様子。
悪戯っぽい瞳を輝かせたシャンクスは、木箱に積まれたシーツを手に取った。
シャンクスが広げたシーツはフワリと風をはらみ、はシーツの中に捕まえられる。
「きゃぁッ!!・・・」
頭からスッポリとシーツに覆われ、背後から抱き締められたは悲鳴を上げた。
「俺だよ、」
「・・・・・・シャンクス??もうッ!!」
シャンクスがシーツをめくると、乱れた金髪を直すが軽く睨む。
を抱き締めたシャンクスは、楽しそうに笑った。
「びっくりしました!」
「驚かしたんだから、当たり前だ。・・・・お詫びも当たり前だな」
呟いたシャンクスは、の唇に深い口付けを与えた。
シーツを握り締めていたの手は、力が抜けて落下する。
「シャンクス・・・・」
「なんだ?」
「私・・・此処に居てもいいのかしら・・・シャンクスの隣にずっと居ても・・・」
の薄紫の瞳に、ぼんやりとリネン室の明かりが映る。
「私、シャンクスの為なら・・・全てを捨てても惜しくないの。シャンクスの為に生きたい・・・」
「恐くねェのか?」
震えるの唇を指でなぞるシャンクス。
「恐く無いって言ったら嘘だけど・・・・・。貴方と離れる方が・・・怖いわ」
「お守役も悲しむぜ?アイツが・・・・お前に惚れちまってる位、一目見りゃあ・・・解る」
は、切ない色を乗せたバルドーの黒い瞳を想った。
そして、バルドーの想いに応える為にも、飛び立とうと胸に覚悟を決める。
リネン室に、の深呼吸が一つ響いた。
「シャンクス・・・・私は、貴方しか要らない。シャンクスが居れば・・・何も・・・」
シャンクスは陶器の様なの頬に両手を当てた。
「俺は海賊だ。明日生きてるのかは解らねェ。だからこそ、お前が欲しい。
お前の命を請け負う覚悟は出来てる。俺が赤髪の名に懸けて、を護る」
ニッと笑ったシャンクスは、瞳を揺らめかせるの唇を貪った。
「俺の部屋、行くぜ?」
シャンクスは、軽々とを抱え上げて微笑む。は真っ紅になって俯いた。
二人の愛は、身分を越えて完全に一つの形を成した。
(お詫び) 3話は裏になります。
また、3話の裏を省略して、4話(最終話)に進まれても、話の流れには何ら影響致しません。