セント・ポプラの町で、私は何をするわけでもなく、陰気なひとり暮らしを始めた。
ぽっかりと心にあいた穴を埋めることができるかも……と期待したこともあったけれど、それはつかの間の夢でしかなかった。現実は私に罰を与えるかのように……残酷なものだった。
月日はとぶように過ぎていく。私の生活費は、母の元から出ていた。情けないことだけれど、甘んじるしかなかった。独り暮らしを支えるほど、私はお金を稼ぐ術を持っていない。気儘に使えるお金があるなら、それでいいじゃない、と半場あきらめきっていた。
二十ニになった頃、訪ねてきた母は、喜びに目が輝いていた。何があったのか聞きたくなかった、それはどうせアイスバーグに関することだ、と容易に想像できたから。
「、凄いことなのよ」
「なに? 聞きたくないわ」
「まぁこの子は……あのね、アイスバーグがね、ガレーラカンパニーを創立したのよ」
ズキっと心の奥が痛んだ気がする。母はそんな私に気づきもしないで、それがどんなに素晴らしい出来事なのか語る。
「そう、で……おかあさんはどう」
「私? そうね、喜ばしいことだと思うわよ」
母は、いかにアイスバーグが町を再興させていったか、ガレーラカンパニーをまとめあげたか、事細かに語る。
町の人々がアイスバーグを尊敬し、ガレーラカンパニーが出来たことを喜んでいるかに話が及んだとき、私の顔は皮肉な笑みを浮かべたらしい。母の顔が煙ったのをみて、私はそれを悟った。
「……まだ帰ってこれない? 」
「……帰るって? どこに? 」
「アイスバーグのところへよ」
きっぱりと言い切る母に、ムカついた。四十一になったのに、母はあいかわらず美しい。私はこの母の美しさに一生敵わないだろう。自分の母親でなければ、大嫌いな人。母から受ける愛情はかけがいのないものだ、と頭ではわかっていても心は拒絶する。アイスバーグの隣にいる人は今も母なんだ、と思い知らされることは、過去の傷を呼び覚まし、また心に新たな傷を負う羽目になる。
「バカみたい。帰るはずないでしょ。私はここで静かに暮らすわ」
「それでいいの? 」
何が言いたいというんだろう。愛情いっぱい有り余るほどの幸せを満喫しているはずの母の瞳が暗く煙る。娘に対する哀れみ? 娘の幸せを邪魔しているのは自分だと理解しているのかいないのか……母の表情は優れない。
「おかあさんは幸せなんでしょう? 私がいなくてもアイスバーグがいるじゃない」
自嘲気味に呟いた言葉は、私の心に突き刺さる。バカとしかいえない。
「、誤解しているんじゃないかしら? 」
「何を? 」
「だから、おかあさんとアイスバーグとは何もないわよ」
「うそ……うそつき」
「、信じてちょうだい。おかあさんはのとうさましか愛していないわ。過去も未来も現在も、あの人だけ」
信じられるはずがない。
「、アイスバーグはあなたがいなくて、とても寂しいのよ。私をみて……私の中にあなたを探しているのよ」
うそ、うそつき。アイスが寂しいわけがない。逢いにきてもくれない男が、そんなことを思うわけがない。
「……トムさんの事件の日、何があったの? 」
それを言えというの……。封印してしまいたい記憶なのに、アイスバーグの体を求めて彷徨う指先の置き場に困る夜すらあるのに……。
「何もないわ」
きっぱりと言い切る私に、母はため息をつく。
「またくるわね。体に気をつけて……あなたはよくお腹を壊すから……」
「おかあさん、もう子どもじゃないのよ」
これ以上聞いても無駄だとあきらめた母を見送った後、町をあてどもなく歩いた。
迷い込んだ先に、それはひっそりと咲いていた。
花屋の軒先に揺れるつる薔薇。清々しい真っ白な薔薇が咲き誇っている。幹にかけられた札には「アイスバーグ」と書かれていた。
涙が頬を伝わっていく。枯れたはずの涙が……頬を濡らす。
私はまだアイスバーグを愛している。忘れることのできない恋。憎むこともできず、ただ、アイスバーグの面影を探す日々。そんな人などどこにもいやしないのに……。
私は涙をぬぐい「アイスバーグ」と書かれた文字に引かれるように花屋の軒先をくぐった。