春眠暁を覚えず 1


「ふ・・・はふぅ・・・・・」
午後一番は眠くなる。
キッチンには香ばしく甘い香り。
冷蔵庫には準備万端な夕食。

焼きあがるまでまだ時間がかかりそう。

「さて・・・と・・」
飾り付けの準備も冷蔵庫に入れてある。

リビングのソファに座ってちょっと一休み・・・・

のつもりがその麗らかな春の日差しに誘われるように蘭世はいつしか眠りに落ちていった・・・・


俊がその日家に帰ってくると真っ暗。
いつもならば明るく照らされているリビング。
しまっている時間のカーテンが開け放たれ外には洗濯物。

ソファにしどけなくもたれかかる蘭世の姿があった。
「…珍しいなぁ。」
と珍獣を見るかのごとく俊はしばし鑑賞するとつんっと全開したおでこをつつく。
「・・・ん・・・・むにゃ・・・・」
「よぉ。」
「・・・え?・・?・・・・」
まだ寝ぼけた蘭世の目がぼんやりと人影を捕える。
「・・ぁ・・え・・?」
「おはようさん。」
「おはようございます・・・・って・・・・」
ようやく意識がはっきりしてくる。
「え?え?え?え?ええええええええ!!!!!!」
がばっと体勢を変えると窓の外を眺める。
「春だもんなぁ・・・」
といたずらっぽく俊が笑いをこめて言う。
「ええ〜〜・・・・!!!!」
ようやく事態を把握すると蘭世がしゅんとうなだれる。
「う〜〜〜・・・・」
「夕飯、まだだろ。」
「・・・・それは・・・大丈夫なんだけど・・」
「?」
「うん、だって俊今日誕生日でしょ?だから夕食の準備は終わっているの。でも・・・」
「?」
「ケーキ・・・・あ!!!」
慌てて蘭世がオーブンのところに走る。
「・・・あ・・よかったぁ・・・」
焼きあがったケーキは程よいきつね色に、そして気持ちよく冷めきっていた。
「あ〜あ…飾り付けが・・」
「それは、まぁ・・あれだな・・・」
俊が笑いをかみ殺しながら蘭世を見る。
「とりあえず、ちょっと出かけねぇか?」
「え?」
「帰り道にな、桜がきれいに咲いているとこ見つけたんだよ。」
「そうなの?」
「5分くらいだからな、ちょうど見ごろ位でな、週末までは持たなそうだし。」
「ん〜・・・・」
スポンジケーキを見つめて蘭世は逡巡すると
「帰ってきたらそれをどうやるか見せてくれよ、見たことねぇから。」
「そうだっけ?」
「たいがい、出来上がってるじゃねぇか、いつも。」
「それもそっか。わかった。」
「じゃ出かけるぞ。冷えてきているから上なんか羽織っとけ。」
「は〜い。」

なんのかんの言っても二人で出掛けるのは楽しいものです。
ベージュのトレンチをはおると玄関ですでに準備している俊のもとへと急いだ。
「こけるなよ。」
「うん。」
春の風はまだ少しだけ冷たい。
俊はさりげなく風上に立って蘭世と歩きはじめる。
「しかし春ってのはなんでこう眠いもんかな。」
「え?俊も?」
「午後一のスパーリングが始まるまでなぁ・・・窓辺に立っているとなんか眠気が・・・」
「そうなの?」
「始まればんなこたぁなくなるんだが、おかげでイスに座ってられない。」
「一緒だねぇ。」
微笑みあいながら歩くと少し広めの公園に行き当たった。
「ほら。」
公園の周りをぐるりと囲むように桜が咲き誇っていた。
これぞ満開という様子で風が吹くとほんの少しの花びらがはらはらと舞う。
「わ・・ぁ・・・」
そして広場のど真ん中に大きなしだれ桜ー
「すご・・・い・・・」
「ああ、こっちの道あんまり通らねぇから気がつかなかったんだが前ロードで走ったときに大きな木があったことを思い出してな。」
「綺麗・・・綺麗だね・・」
「そうだな。」
「怖いくらい・・・・綺麗・・・・」
「これで満月だったら言うことはねぇんだけどな。残念ながら半分だ。」
「あ・・・・」
空を見上げるとそれはみごとなハーフムーン。
「これはこれで綺麗だよぉ・・」
「ま、それもそうか。」
「木の下まで行ってみてもいい?」
「いいけど、毛虫に気をつけろよ。」
「え?・??いるのいるの?」
「いるだろうなぁ。」
にやにやしながら俊はそうちゃかす。
「え〜・・・でも夜だし。」
「関係あるのか?」
「・・・・無い・・・と思う・・・」
破顔一笑、俊は声を出さずに笑う。
「むぅ〜〜・・・・」
すたすたとそんな俊に背を向けて桜のもとへ歩いて行く。
笑いながら俊もゆっくりと後を追った。

傘のように広がった濃い桜色が二人を包む。
「あっちの桜とは種類が違うから色が全然違うのね。」
「薄いのと濃いのって感じだな。」
「うん、でもどちらもいいなぁ・・・」
うっとりと桜に見入る蘭世の横顔を俊は気付かれないように見つめる。
「・・・・だな・・・・」
「え?」
黒髪をそよがせながら蘭世が俊に視線を送った。
「春だなぁと言ったんだよ。」
「うん・・・・桜が咲くと春が来たって感じするよね。ここのところ俊の誕生日ころは桜が散りかけていることが多かったけど、今年は満開だね。」
「そうだったかな?」
「うん、お花見はいつももっと早いもの。」
「ま、たまにはこんな年もいいだろ?」
「そうね・・・」
蘭世はあらためて俊に向き直る。
「?」
訝しげに見つめる俊に近づいて
「お誕生日、おめでとう。」
そう言ってそっと腕に触れる。
その手に自らの手を重ねて
「ありがとう。」
そう返すと二人一瞬見つめあい、そのまま唇が重なった・・・・・・

さぁっと強い風が桜を散らし、二人を外界から遮る。

唇を離すと俊は蘭世を公園の外へと促す。
「そろそろ、腹も減ってきたから・・・帰るか?」
「うん、今日は少しだけごちそうにしたのよ。」
「そうか、楽しみだな。」
日常の風景が二人に戻る。
来るときに少し感じた風の冷たさなど二人の間にはもう感じられなかった。

「はい。」
「おう。」
ちらし寿司とアスパラの和風サラダ、よく冷えたほんの少しの果実酒。
温めたハマグリのお吸い物が添えられる。
「ひな祭りみたいなメニューだけど、あんまりにもおいしそうだったの、これ。」
「ああ、うまそうだな。」
「はい。」
「さんきゅ。」
二人の食卓にはらりと桜の花びらが数枚ー
「え?」
「ついてきたんだろ、さっきのところで。」
そっと指先で拾うと蘭世は小さな器に少しの水を入れた中に浮かせた。
「すぐに捨てるの、なんだかさびしいから。」
そういうとテーブルの片隅に飾った。
「じゃ、食うか?」
「うん、いただきます。」
「いただきます。」
たくさんのことを話すわけではない、いつものようにいつもの日常。
でも。
穏やかな時間ー
「お前結構な量作っただろ、これ。」
「そんなことないよぉ・・・・・ちょっとだけ。」
などというたわいのない会話。
それが何よりの幸せであることは互いが言わなくても知っていること。

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