先日、3rd+のマニを全クリしてきた。
最後に残ったのは、結局Cutie Chaserだった。
正直言って、2ndや3rdの緑足最後の1曲をクリアしたときと比べて、あまりクリアしたって感動はなかったように思う。
そういえば、2nd最後の魔に鳥、3rd最後の第九を完走した時は、筐体の前で思わずガッツポーズしてたような記憶がある。
でも今回は、「これでクリア表のマニのとこは全部埋まったんだな」程度の思いしか出てこなかった。
なぜ、自分の中で全クリの感動がそこまで減ってしまったのか?
やっぱり、「大して苦労せずにクリアしてしまった」ってのが大きいと思う。
事実、2ndの魔に鳥や3rdのSSR第九は、何度も閉店されて、やっとクリアしたって曲である。
特に3rdのSSR第九は、これだけはクリアできる気しないって、1ヶ月くらいあきらめてたこともあった。
それに対して3rd+魔には、ほとんどの曲を初見か1回失敗したくらいでクリアしたように思う。
ま、その理由は、自分自身の足前が3rdやってる間に向上したってのもある。
また、3rd+の魔に自身の難易度が、これまでに比べて下がってるってのもある。
やっぱ、苦労しただけ感動がある、それは事実。
では、3rd+でやってても、私は何も感動できないのか?
3rd+やってても、私は喜びを得られないのか?
いや、それは違う。
確かに、新曲をクリアしていく喜びだけを追求していると、限界はあると思う。
クリアって、基本的に1曲につき1回きりのものだし。
でも、上限のないものに挑戦しつづける限り、喜びを得つづけることができると、私は信じている。
それがスコアアタックであれ、パフォーマンスであれ、あるいは、もっと違ったやり方であれ、DDRというフィールドで挑戦しつづける限り、DDRは我々に永遠に喜びを与えつづけてくれるのだと思う。
もしかしたら、3rd+魔にの低い難易度は、ともすればクリアだけに重きを置きがちな我々に対し、
「クリアだけが、DDRの楽しみ方ではない」ということを、示そうとしているのかもしれない。
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Written by Utano-Tsubasa