みんながある意味「人外」なのかも。

 

「いや〜、ここのみんなは人外だらけで。○○○@初心者」
「上の人へ。ウソはいけません。あんなスコアだしてる時点で立派な人外です。×××@若葉マーク」
「×××さん…ウソつくなって(^^;なんつーか、SSRであれだけくるくる回ってる時点で人外。△△△@真初心者」
「△△△さん…真初心者なんてダメですぅ〜(^▽^;3rd新曲でステルスやっとるあたり…やはし人外。初心者な☆☆☆より♪」
(…以下延々とツッコミあい続く)
こんなやり取りが、最近うちのホームで起こっている。
#なんつーか…私から見れば雲の上の人のようなダンサーたちに交じって私もこのやり取りに参加してるあたり…いやはや(^▽^;

「人外」の基準っていったい何なのかな…?これを見てると、どうも謎に思えてくる。
しかし…私は、「人外」って、多分に主観を交えた言い方ぢゃないかなぁ、と思う。
自分から見て「こんなん出来るか〜〜〜!」ってことを平気でやってる人を、「人外」って呼んでるんぢゃないかなぁ、って。
かく言う私も、かなり主観的な理由で、人を人外扱いしてるし。
たとえば…SSR平気でやってるとか、DP背面やってるとか…

…「人外」が主観的?
ってことは、誰でも、人がやんないことやってる人は、(たとえBasicしかやってないにせよ)他の誰かから見ると「人外」ってことになっちまうんぢゃないかなぁ。
#そんな私も、BasicのJam Jam Reggae背面やってるだけでうちのホームで人外って言われちまったし(爆)
踊り手たちに個性ってもんがある限り、みんなそれぞれの意味で「人外」になっちまうんぢゃないかなぁ。

そう、平凡な踊り手なんて、存在しない。
平凡に見えても、みんなどっかに個性があるんだよ。
もっと言ったら、どっからみてもへぼい踊り手なんて、存在しないんだよ…。
たとえステップの技術はつたなくとも、みんなどっかに輝いてる部分は、きっとあるんだから…
だから、自分の個性には、誇りを持っていたい。
自分の踊りは、きっと輝いている…そう胸を張っていたい。

でも、踊り手としてもっと輝いていくことに、上限はない…それもまた事実。
全くダメダメな人がいないのと同じように、すべてが完璧な人ってのもまた、いないんだから…。
輝きを増しつづけるのは、楽なことばっかぢゃない…。
もっと輝いていたい…そう思うがゆえに、いっぱい苦しんで、いっぱい悩んで、いっぱい考えて、いっぱい努力してる。
つーか、もし上限があるような底の浅いもんだったら、飽きっぽい私のことだから、きっととっくに飽きてるよ。
上限がないから、私はここまでやっていけてる。
そして、これからも、もっともっと輝いていこうと思えてる。
そして、もっともっと輝くために、自分の個性を磨くために、わたしは努力を惜しんではいないつもり。
自分の持ち味に胸を張りながらも、時には謙虚に自分を見つめ、さらに自分に磨きをかける…
そうすることで、もっともっと輝いている踊り手になっていきたいと思う。

 

 

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Written by Utano-Tsubasa

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