事が終わった後、話していいものか迷ったけれど、一体自分に何があったのかザックスに執拗に問われ、実験のせいで記憶喪失になっていたことを話した。必要最低限のこと以外は極力話さないようにして。
話せば、ザックスが苦しむ。さっきまでのことは全部オレの胸の内に秘めておけばいい…。
でも話が終わるとザックスは頭を抱えてぶつぶつと何かをつぶやき始めた。
「…ザックス?」
ザックスは抱えていた頭を上げると、みるみる顔を歪ませた。こちらに振り向くとオレの頬に手で触れてきた。
「…オレがやったんだ。お前のこと、叩いたんだ」
「!」
そのことは話していないのに、どうして。
何も言えずにいると、ザックスはますます顔を歪める。危惧していたことが起きてしまった。でもそれは起こるべくして起こったことなのかもしれない…。
ザックスの記憶は少しずつ戻ってきているようで、固く握られたザックスの拳から血が滴っていた。その拳を大きな音を立てて床に叩き付けた。
「お前のこと今の今まで忘れたなんて自分で自分が許せねえ…」
制止の声を掛けてもザックスは止めてくれない。まるで親の仇を殴りつけるかのように何度も何度も拳を床に打ちつける。痛々しく腫れあがっていくそれが見るに堪えなかった。
床に拳を叩き付けた衝撃で布切れが僅かに舞った。ザックスはそれを手に取ると眼前に持ち上げた。ザックスの表情が見る見るうちに翳っていく。それは先ほど切り裂かれたオレのシャツだった…。
「…さっきまで無理やりお前のこと……オレが…」
「もうやめてよ!」
それ以上聞きたくなかった。深みにはまっていくザックスを止めたい一心で抱きつく。身体に上手く力が入らず、もたれ込むような形になってしまった。
「もういい…もうやだよ…せっかく記憶が戻ったのに…」
「クラウド…でも」
「実験が失敗したって聞いて…すごく怖かった。もうザックスに会えないんじゃないかって。でも無事に帰って来てくれた。オレのことも思い出してくれた。だからもう…」
「許してくれるか…?」
「ちがう!本当に謝らないといけないのは…オレなんだ。記憶喪失のザックスを置いて、ここから出て行った…」
例え何があろうと側にいなければいけなかったんだ。
それなのに自分が忘れられたことで頭がいっぱいになってて、ザックスのことなんて少しも気に掛けてなかった。
「ごめん…。本当は…ここにいる資格なんてない…ザックスの側にいる資格なんて…」
そう言いかけたところで、ザックスに抱き寄せられた。
「バカなこと言うなよ。またオレのこと一人にするつもりか?」
「え……」
「お前がオレの中からいなくなった間…ずっと空っぽだった。外で遊んでても、何やっても楽しくないんだ」
「……」
「言い訳にしか聞こえないだろうけどさ…ずっとここに帰るのが嫌で外ほっつき歩いてた。何でなのかわからなかったけど、やっとその理由がわかった。帰ってもお前がいないから、ここに帰りたくなかったんだ」
ザックスは身体を少し離すと、寂しそうな表情をしながら続けた。
「クラウドがここにいるのが当たり前になってて、誰もいない部屋に帰るのが嫌で仕方なかったんだな」
「ご…ごめん…オレ…」
やっぱり出て行くべきじゃなかったんだ。ここに残ってザックスと向き合っていれば…。
ザックスに再び強く抱きしめられる。そして放っておけば沈んでしまいそうな思考を掬い上げてくれた。
「だからいる資格がないとか二度と言うな」
どうしていつも欲しいと思っている言葉をくれるのだろう。まるで頭の中を覗き込まれているかのように…。
いつももらってばかりのオレからザックスが欲しがってくれている言葉を告げる。それは…。
「おかえりザックス…」
* * *
その後、空白を埋め合うかのように再びベッドで身体を重ねた。
繋がりながら、ザックスが何かを思い出したように語り始めた。
「実験中、お前のこと考えてた」
「っ…オレの、こと…?」
「あんまりよく覚えてないけど…急に頭が痛くなって、このまま死ぬのかなって思ったらお前のこと浮かんで来た」
「んっあ…」
「実験から何日くらい経った?」
「……二週間、くらい」
「そんなに経ってたのか…」
実験中にザックスが意識不明になったと聞いて、それから戻って来たけど記憶を失ってて…。その半月の間のことが鮮明に蘇ってくる。ザックスの首に腕を絡めて小さな子供のように泣き付いた。
「…かった……寂しかったぁ…」
それは胸の奥にずっとあった言葉で。口に出さずにはいられなかった。
「ごめんな。寂しい思いさせて」
ベッドの上で寝そべっているとザックスが話しかけて来た。
「…初めて二人で遊びに行った時のこと覚えてるか?」
「うん…覚えてるよ」
「オレさ、あの時に好きになったんだよな」
「え?」
「二人で出掛けるの初めてだったからお前ずっと緊張してただろ?どこ連れて行っても反応薄いからつまんなかったのかなーって思ってたんだよ。でも帰り際にさ…顔真っ赤にして『楽しかった。また一緒に行きたい』ってすげえうれしそうな顔で言っただろ。あれにやられた。またあんな顔させたいなって思ってさ」
懐かしそうな顔をするザックス。それはオレにとっても忘れられない出来事だった。
ザックスからお前はいつからだったんだと訊ねられ、答えた。
「…同じだよ」
「同じ?」
「ザックスと同じだよ」
「あ、あれ。そうだったのか」
きっとザックスは勘違いしていたと思う。ザックスに思いを告げられるまでそういう感情を持ってなかったって。好きだと言われた時、すぐに答えを返さなかったから。
でも本当はそうじゃない。
初めて二人で遊びに行った時…楽しいのに緊張してて上手くそれが言えなくて、もう遊びに誘ってくれることもないんだろうと諦観していた。
いつもそうだった。そうやって人の反感を買って、意地になって反抗して…結局気まずくなったまま関係が切れる。
それなのにザックスは嫌な顔一つしないで一日中オレに付き合ってくれた。それがうれしかった。
ザックスに嫌われたくない。そんな執着が生まれたのは初めてだった。だから帰り際にザックスにお礼の言葉を告げた。最後の最後でこんなこと言っても意味がないかもしれないと思ったけど、精一杯の気持ちを込めて。
あの時、素直に気持ちを告げていなかったら…こんな関係にはなってなかったかもしれない。
「…な。今度休み取ってどこか遠くに遊びに行こう。コスタあたりとか」
「どうしたの、急に」
「なんか疲れちまった」
ザックスがベッド上に身体を沈めた。実験から積もった疲れが今出てきたのかもしれない。
「…大丈夫?」
「いや…ダメかも。色々あり過ぎてさ」
「そんな、それじゃ遊んでないで休まないと…」
「だから…オレのこと癒して」
苦しそうな顔をしていたかと思ったら不意打ちで腕の中に抱き込まれた。
「ザックス…」
「こうしてないと落ち着かないんだ…」
ふと窓に目を向けるとカーテンの隙間から煌々と光る月が見えた。満月だった。半月前は欠けていた月が元通りに戻っていた。
それを見て、なぜかホッとした。
長かった夜がやっと明けた気がした…。
END