柴岡の真実の姿とは…。

名前は柴岡博(偽名)

東京の多摩地区(田舎)にすむ26歳の男である。



幼稚園の頃はよく泣き、

たくさんの大人を困らせた違う意味で問題児だった。

小学生の頃も最初は苛められっこであったが、

5年生になった頃から人を笑わす楽しさに目覚め、

苛められっこから芸人に変わった。

最初の頃は、林屋ペーの真似で笑いを取っていたが、

後々、もちネタをいくつか持ち始め、

二年間は苛められっこではなくなった…。



中学生の頃は、ラグビー部に所属し、

最初の頃は腕立てが10回も出来なかった男が

学校の授業を犠牲にして、レギュラーになるまでの

体力を身につけた。

おかげで、中学三年の模擬試験の偏差値が30にまで

落っこちてしまい、受験までの3ヶ月間は

吐き気がするほどの勉強をする事となった…。

おかげさまで偏差値は50まで回復したが、

実は勉強は50から先が難しいということを知った。



その頃には生活リズムがおかしくなり、

高校受験の時、寝坊して遅刻してしまう。

挙句の果てに、受験した高校の倍率がその年に

限って高くなってしまいあきらめていた物の

なんとか偏差値55以上取れていたようで合格した。



しかし、高校に入る物の、

遅刻癖がついた事と、受験の反動で勉強がおろそかとなり、

結局三年間、赤点を取って

補習授業でなんとか留年せずに最後まで

行き当たりばったりで高校卒業まで出来た。



中学生や高校生の頃は、いわゆる弄られキャラになり、

多くの方にバカにされつつも、

とても優しく、大切に接して貰っていた。



しかし、中には本気でバカにして

喧嘩を吹っかけてきたりする人も現れて来たため、

この頃は喧嘩も多かった…。

とはいえ、弱そうな人間に喧嘩を吹っかけてくる人間は

やっぱり弱い人間ばかりだったので、

特別僕の腕っ節が良かったわけではなかったが、

そのような人間に負ける事はなかった…。



しかし、この頃が一番友達が多かった時期だと思う。



ところが人に嫌われるのが恐くなり始めた時期で

この時期から、人の顔色をうかがうようになり始めた。



高校卒業後は警備員のバイトをするものの、

あまりの精神的ストレスから潰瘍性大腸炎という

病気を患う。



その後、父の会社が借金まみれとなり、

恐怖におののきながらも

借金取りとのやり取りを余儀なくされる。

しかし、母の方が絶えられず、両親が離婚…。



夜逃げのような形で家を飛び出した為、

友達の電話番号や、今までの成長の記録であるアルバム

中学の卒業アルバムまで全てを失う…。

気がつけば友達の数は右手で足りるほどとなってしまった…。

この頃から、寂しさを紛らわすためギターと歌に目覚める。



その後、役5年間は日雇いの派遣バイトでギリギリの生活をする。

色々な人に出会い、それぞれたくさんの経験談を聞いて

多くの生き方や考え方、困難の乗り越え方など

学ばせてもらい、大変勉強になった。



そして、この度ようやく就職することができ、

26歳にしてようやく

「今年は車の免許を取るぞっ!」

っと張り切っているところである。



最近は、人に嫌われる事を恐れていては、

本当の友達は出来ないと思えるようになり、

改善していけたらいいなと考え始めている。



しかも実は音楽が本格的にやりたいなどと

少しばかり野望を抱き始めていたりする。





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