戻ります

 その日の収録はちょっと長引いて、いつの間にか時計は午前0時を回り、私は二十歳になっていた。
 だけどみんなセットの準備に大わらわで、そのことに気づいた様子もない。
 兄さんまでバンドの人達に指示を出すのに懸命で、私に目もくれやしないし。
 ……あの朴念仁に、期待するのがそもそもの間違いよね。
 お祝い代わりにくれるのが、誕生日をネタにした仕事だっていうんだから、まったく。
 あげくに邪魔者みたいに、次のパートには理奈はいらないから、と追い払われる。
 私は小さくため息をついた。

 スタジオの隅っこにぽつんと取り残された私は、まるで学芸会の木の役みたい。
 これが天下無敵のアイドル、緒方理奈の姿だなんて、笑っちゃうわよね。
 私は椅子に体重を預け、目を閉じた。重い泥のような疲労が身体にたまっているのが分かる。
 多分この収録も、あと2時間はかかるはず。ちょっと……いや、かなり憂鬱。
 そして明日……じゃないわね、あと6時間もすれば、誕生日記念でゲストに呼ばれた某番組の収録でスタジオ入り。
 お昼からは、バースデーライブのリハを始めて、そのまま夜まで歌って踊って。
 もちろん、みんなが我が事のように喜んでくれるのは嬉しいんだけど、誕生日まで仕事の種になるかと思うと気が滅入る。
 どうせ事務所も楽屋も、鬱陶しいまでのプレゼントで埋め尽くされるんだろうな……。
 ほとんど開けやしないのに、バカみたい。
 私にくれるくらいなら、恵まれない子供たちに募金でもしなさいよ。
 そんな悪態をつきながら、私はいつしか浅い眠りについていた。


 小さい頃の夢を見た。
 父さんと母さんと兄さんと私。ごく平凡な、どこにでもある家族の風景。
 ろうそくを立てたケーキを囲んで、覚えたばかりのバースデーソングを歌っている。
 理奈は歌が上手いな。そう言って、私の頭を撫でてくれた兄さん。
 両親からのプレゼントは、私が好きだったアニメのステッキ。兄さんからのプレゼントは外国のCDだった。
 どっちも嬉しかったけど、アニメはすぐに終わっちゃって、オモチャも一緒に飽きちゃった。
 だけど兄さんのCDは、外国語なんか分からないのに、何度も繰り返し聞いたっけ……。
 凄く懐かしい旋律が、頭の中に流れた。


 ずるっ、と椅子をずり落ちかけて、目が覚めた。
 危ない危ない。ここで無様にひっくり返っちゃったりしたら、NG大賞にノミネートされかねないわ。
 でもまだしばらくかかりそうね……。コーヒーでも買ってきてもらおうかしら。
 と、周りを見渡すと、機材を片付けている冬弥くんがいた。
 何度か話をしたことがあるだけだけど、友達の恋人なら私の友達と言ってもいいわよね。
「冬弥くん」
「はい……あ、理奈ちゃん。なに?」
 振り向いた冬弥くんも、ずいぶん眠そうな顔をしている。
「コーヒー、つきあってよ。まだしばらくかかるんでしょ?」
「うん、しばらく出番はないみたいだけど。でも、俺は勝手に抜けるわけには……」
「勝手じゃないわよ。私の命令」
 と、いたずらっぽく笑ってみせる。
 プロデューサーに一声かけて、公式に冬弥くんを連れだした。
 借りた理由を、待ってる間退屈だから、ってことにしたら苦笑してたけど、変な噂とか立っちゃうかな。
 ……いいか、立っちゃっても。疲れている私の脳は、そんな安易な結論に行きつく。
 2人で連れ立って、自販機のある休憩コーナーに行く。ちなみにマネージャーは置き去り。
「コーヒーでいい?」
 と聞くと、なんだか戸惑ったように、
「ええと……ココアで」
 ? ブラックで飲むくらいだから、コーヒー好きだと思ったのに。それとも通だから、自販機のはダメなのかしら。
「じゃあ、私もココアにしようかな」
 お金を出そうとする冬弥くんに、無理矢理ココアを押しつける。私が誘ったんだから、当然よね。
 並んで椅子に腰を下ろそうとしたけど、どうも冬弥くんは由綺に似て遠慮深いらしく、隣りに座らせるのもちょっと一苦労。
 きまり悪そうに頭を掻くしぐさが、なんだかおかしい。
「あのね、あんまり構えなくていいのよ。私だって、普通の女の子なんだから――職業はともかく」
「うん、分かっているんだけど」
「大体冬弥くん、由綺の恋人じゃない。芸能人には慣れているんじゃないの?」
「由綺って芸能人らしくないから」
「……それもそうね」
 2人で声を合わせて笑った。あ、なんかいいな。この感じ。

 ココアは味も香りも安っぽいけど、甘くて暖かいと言うだけで、ずいぶん心が安らぐ。
 思わず安堵のため息をこぼすと、冬弥くんが気遣わしげに私の顔を覗き込んだ。
「理奈ちゃんも大変だね。夕方からずっと入りっぱなしで」
「それは冬弥くんも同じでしょ」
「いや……俺なんか大したこともしてないし。待ってる時間はけっこうあるしね」
「でも待ってるだけっていうのも疲れない?」
「あぁ、それはあるかも」
 なにもしないっていうのが一番苦痛なときもある。特にモチベーションが落ちているときはきつい。
 いまさらハッピーバースデーに期待するほどウブでもないけど、気づかれないのって落ち込むのよね。
 冬弥くんは……気づいているのかな。と、ちらと横顔を盗み見ると、
「あ、そうだ。ちょっと待っていてくれる?」
「え?」
 いきなり冬弥くんは立ち上がって、走り去ってしまった。
 ……ちょっと、ちょっと。せっかくお話して気を紛らわしたかったのに、どうしていなくなるのよ。
 そりゃあ冬弥くんには由綺って人がいるんだろうけど……あーもう、黙っていなくなっちゃおうかしら。
 半ばヤケ気味にココアを飲み干すと、すぐに高い足音が聞こえ、冬弥くんが戻ってきた。
 私はわざと仏頂面で冬弥くんを迎える。と、ものの見事に冬弥くんは申し訳なさそうな顔になった。
「ごめん。明日、理奈ちゃんと会えるか分からないから……」
 私の前に、リボンで飾られた小さな包みを差し出した。
 びっくりして目を丸くする私に、
「誕生日おめでとう、理奈ちゃん」
 そう言って、照れくさげに笑う。
「えっと、あ……うん。ありがとう」
 不意を突かれて動揺しているのが分かる。やだな、なんだか顔が赤くなってる。プレゼントなんて、別に珍しくもないはずなのに。
 手にした包みは、見た目よりもちょっと重くて、硬い。だけど優しい感じがする。
「開けてもいいかしら?」
「うん、どうぞ」
 リボンを解き、包装紙を剥がすと、でてきたのはシンプルだけど綺麗な模様が刻まれた、木製の小さな箱。
 蓋を開けると、予想に違わず、機械仕掛けのメロディーが流れ出した。
 その旋律に、もう一度驚かせられる。
「このメロディー……」
「俺、あんまり詳しくないから、聞いててなんかいい感じの選んだんだけど……変だったかな?」
「ううん、そんなことないわ。私、このメロディー好きなのよ」
 金属の鍵が弾く硬質的な音は、兄さんがくれたCDに入っていた、『深き森に差す光』。
 静かな闇に包まれた森の中、たった一カ所だけ射し込む光の場で、妖精たちが歌う歌。
 誰が作ったとも知れない東欧の民謡なのに、ひどく洗練された綺麗な旋律。
 この小さな箱の中で、一生懸命小さな妖精たちが奏でている。
「……ありがとう。凄く嬉しい」
 微笑むと、冬弥くんは真っ赤になった。
 慌てる様子がおかしくて、――男の人には失礼かも知れないけれど――なんだか可愛くて、つい、もう少しからかってしまう。
「ついでに、もう一つおねだりしてもいいかしら?」
「なに?」
「……私、冬弥くんが欲しいかな」
「え……えええっ!?」
 予想通り、面白いほど冬弥くんは動揺する。それにしても、誰かに聞かれたらえらいスキャンダルよね、これって。
「いや、俺なんかその……ほら、由綺もいるし」
 あ。
 ちょっとちくっとしたものが胸に刺さった。私はそれを冗談めかした笑顔に隠して、
「冗談よ。うん、由綺に悪いものね」
 手を振ってごまかした。ううん、冗談だったのは本当、なんだけど。
「……あんまり驚かせないでよ」
「ごめんね。そろそろ戻りましょ」
 いいかげん時間も経ったので、私はオルゴールを大切に抱え、歩き出した。……って、
「これ持ったまま、スタジオ入りするわけにもいかないわよね」
「あ……ご、ごめん。考えてなかった」
「いいわ。撮影が終わったら、後でもう一度渡して。リボンはもういらないから」
 ウインクと一緒にオルゴールを渡すと、冬弥くんは頷き、困ったあげく、またスタッフルームに走っていった。
 ……ほんと、いい人よね。類は友を呼ぶというか、どことなく由綺を思い出させる。
 ちょっと鈍いところも、優しいところも……。


 その日、寝る前にもう一度だけオルゴールを聴いた。
 とげとげしくなっていた神経が、癒されていくのが分かる。
 メロディーに耳をすませながら、冬弥くんとの会話を思い出す。
『冗談よ、由綺に悪いものね――』
 本当に……冗談だったのかな。
 淡い暖かさが胸に生まれているのに気づいた。
 だけどこれは、持ってはいけない想い、気づいてはいけない気持ち。
 今は、私の誕生日を覚えていてくれた友人に感謝すればいい。
 私はオルゴールの蓋を閉じ、心の中の想いにも、そっと鍵をかけた。

戻ります

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