デパートの中を、小さな女の子が歩いていた。
年の頃は、まだ小学校に入るか入らないか。
ひらひらしたワンピースを身につけた姿は、まるでフランス人形のようだ。
だけどその大きな瞳は、涙で曇っている。
「ふぇ……お兄ちゃん、どこ……?」
頼りなげに呟き、きょろきょろと周りを見渡す。だけど求める兄の姿はどこにも見えない。
女の子――緒方理奈は、ちょこちょこと小さな歩幅でデパートを探し回る。
オモチャ売り場、本屋、子供服売り場と、この階をぐるりと一周したが、やはり兄は見つけられなかった。
エスカレーターは一人では恐くて乗れない。
その兄、緒方英二は柱の陰に隠れ、不安げにしている妹の姿を見守っていた。
彼の頭にはこういう計画が展開していた。
理奈を一人にする→不安になる理奈→そこへ颯爽とお兄さま登場→お兄ちゃん大好き!→(゚Д゚)ウマー。
「完璧だ……」
とても中学入り立てとは思えぬ狡猾さ&冷酷さだった。
「う……」
彼の目論み通り、心細さの余り、思わず涙がこぼれそうになった理奈。そのとき、
「どうしたの?」
そろそろ颯爽と登場する予定だった英二の代わりに、理奈と同い年ぐらいの女の子が声をかける。
『なにいっ!』
計画が音を立てて崩れてゆく。
しかし、理奈には劣るが結構可愛らしい幼女の登場に、もう少し観察を続けることにした。
「お兄ちゃんがいないの……」
「お兄ちゃん?」
「うん……」
少女はちょっと首をひねって、聞いた。
「私のお兄ちゃんじゃだめかな?」
理奈はふるふると首を振る。
「私のお兄ちゃんじゃないとだめ……」
「そう」
「うん……」
「じゃあ、一緒に探そうか」
「うんっ」
ぱあっと理奈の顔が明るくなった。
二人は手を繋ぎ、もう一度フロアを回る。
「お兄ちゃんって、どんな人?」
「えっとね、メガネかけててね、背が高くてね、ちゅーがくせいでね、白髪なの」
「……変わったお兄ちゃんだね」
「でもいいの! かっこいいの!」
英二は理奈の兄イメージに涙を流しつつ、かっこいいの一言に、愛しさを募らせていた。
出るタイミングは完全に逸していた。
女の子がごそごそとポケットを探る。
「これ、食べる?」
「なに?」
「チョコ」
「うん! ありがとう!」
小さな友情の誕生に、さらなる感動の涙を流す英二だった。
チョコをかじりながら、唐突に女の子が言った。
「あのね」
「うん」
「私のお兄ちゃんもかっこいいよ」
「白髪なの?」
「ん……違うけど、背は高いよ」
「私のお兄ちゃんの方が高いもん!」
「私のお兄ちゃん、しょーがくせいだから」
「それじゃ、私のお兄ちゃんの勝ち!」
女の子は喜ぶ理奈に聞こえないように、ぼそりと呟いた。
「……そんなことないもん」
本売り場に入ったとき、女の子より頭一つ高い少年が、近づいてきた。
ショタのお姉さまがみたら大喜びしそうな美少年だった。
「はるか。……誰、その子? 友達?」
「ん、友達。で、誰?」
「え、ええ?」
戸惑う理奈に、女の子の方が先に名乗る。
「私、はるか。こっちは私のお兄ちゃん」
「わ、わたし、緒方理奈です」
はるかの兄は、理奈に向かって優しく笑いかけた。
「理奈ちゃんか。どうしたの、お母さんはいないの?」
「お兄ちゃんと一緒に来たの……」
そこでようやく、英二は本来の目的を思い出した。
いや、もうミッション失敗したようなものだが、これ以上焦らしては、かえって頼りない兄のイメージを与えかねない。
大慌てで一旦遠くまで走り、息を切らしてから理奈のもとへと駆け込んでゆく。
「理奈!」
「お兄ちゃん!」
英二の胸に飛び込んでゆく理奈。それは舞台裏さえ知らなければ、感動的な光景だった。
「お兄ちゃん……どこ行ってたの!?」
「ごめんごめん。ちょっとな……」
適度にごまかしつつ、腕の中の小さい柔らかさを満喫する。
少女特有の甘い匂いが、鼻腔をくすぐった。
「理奈ちゃん、よかったね」
「うんっ! ありがとう、はるかちゃん」
ひょい、と理奈は英二のもとから離れ、はるかに抱きついた。
硬直した英二の腕が、空しく空気を抱きかかえていた。
「あ、ああ……君たち、理奈の相手をしてくれてありがとう」
「いえ、僕はなにも……」
男同士の会話の横で、妹たちの兄談義が始まる。
「ね、私のお兄ちゃん、恰好いいでしょ?」
「そうかな……? 不健康そう。もうちょっとスポーツをした方がいい」
「そんなことないもん! お兄ちゃんはちょっとヒッキーかもしれないけど、音楽の才能とかすごいんだもん!」
「おいおい……理奈。それくらいで勘弁してくれ」
そして友情を育んだ少女達は、手を振りながら別れ、英二は理奈と並んで家路についた。
理奈の小さな手が、英二の手をぎゅっと握りしめていた。
「なんてことがあってなぁ。いや、計画自体は頓挫したが、まぁかろうじて合格点、と言ったところかな」
「英二さん……あなた、中学生の頃から、そんなこと企んでいたんですか」
「いやいや青年。あの頃の理奈は本当に可愛らしくてなぁ。
ちょこまか俺の後を付いてきては、『お兄ちゃん』『お兄ちゃん』と呼ぶんだぞ。たまらんだろう?」
「そんなこと言われても……」
所詮、妹を持たない身には分からない感慨だった。
「いやぁ、しかし惜しかった。あそこであの女の子が出てこなければ、もっと劇的な再会だったのに」
「あの……それでちょっと気になることがあるんですが……」
と言いかけて、不意に正面に現れた殺意に気づいた。正面、すなわち英二の真後ろに。
「あ、あ……」
「ん、どうした青年。……まさかとは思うが」
「多分、そのまさかです」
恐る恐る振り向いた英二の視界に、満面の笑顔と怒りのオーラを見事に調和させた、緒方理奈が映る。
「そう。まさか小学校に上がる前の幼い私を、『わざと』置き去りにしたなんてね……」
「い、いや、違うんだ……落ち着け、理奈」
「私は極めて冷静よ。それじゃ、行きましょうか、兄さん」
「行くってどこにだ!? ちょっと待て理奈! 青年! 助け……」
きゅっと締め落とされた英二さんは、理奈ちゃんに引きずられてゆく。
理奈ちゃんがなにかを口ずさんでいた。
その恐ろしく暗い歌は、かの名曲、『ドナドナ』だった。
緒方英二はどこへ運ばれてゆくのだろう……。
「それにしても、理奈ちゃんが小さい頃会った女の子って……」
どこかで聞いたような名前に、世間は狭いと実感する冬弥だった。