その日、ちょっと私は苛立っていた。
「ちょっとそこのあなた! そこのライト、もうちょっと右!」
「は、はい!」
新人バイトだろうか。その子は頼りない手つきで、ライトの位置を調整する。
「あ、君。ちょっとこっち手伝って」
「はい!」
なんだか危なっかしい足取りで、機材の間をすり抜けてゆく。
まったく勝手が分からないらしく、事細かに説明を受け、一々それに頷いている。
真面目なのはいいんだけど……ああいう要領の悪い子は、見ててちょっとイライラする。
「まったく……」
「おいおい、なにかりかりしているんだよ。もうリハが始まるぞ」
どこからともなく兄さんが現れ、私の頭をぽんと叩いた。
「それよ!」
「はぁ?」
「もうリハが始まるっていうのに、私の相方の新人が来てないの! 手順とか説明しなくちゃいけないのに……」
兄さんは首を傾げる。
「おかしいなぁ……俺、とっくにこっちのスタジオに送ったんだけど。
道にでも迷ったかな? ちょっと要領悪いところがある子だから」
要領が悪い?
ガシャン!
丁度その時、さっきの新人バイトが、さっき直したライトをひっくり返した。
幸い割れはしなかったけど、何度もディレクターに頭を下げている。
「……あんな感じに?」
「そう、あんな感じに」
兄さんは、その子に近づいていった。そして、ディレクターに謝るしぐさをすると、その娘をこっちに連れてくる。
そしてなに食わぬ顔で説明した。
「この子が新人アイドルの、森川由綺ちゃん。今日のお前の相方だ」
「は?」
「あ、あの……森川由綺です。今日はよろしくお願いします!」
ぺこりと頭を下げるその娘は、どう見てもアイドルに見えなかった。
言われてみれば、かわいい顔だし、衣装も派手だし、声もスタジオによく通っていた。
だから私の目にも止まったのだろう。でも、なんで……こき使われていたの?
「ほら、お前もそんな顔してないで、ちゃんと挨拶しろ」
「え、ええ。私は緒方理奈。知ってるわよね? ……今日は、頑張ってね」
「はいっ!」
満面の笑顔で頷く由綺。これが私と由綺の初めての出会いだった。
この子が一年後、私の立場を脅かすようになるなんて、その時は思ってもみなかった。
そして、一年後の今もそう思う。
「うわぁ。今日の理奈ちゃんの衣装、恰好いいね」
そう言って目を輝かせる由綺は、私のファンのそれと変わりない。
だけどステージに立ったとき、地味で、周囲に溶け込むようなこの子は、画面を通じて、世界中に溶け込んでゆく。
孤高を保つ私とは正反対に。
それはねたましくも、羨ましくもあるけれど、私は私、由綺は由綺。ただ、輝き方が違うだけだ。
「ありがと。それじゃ、行きましょ。由綺」
「はいっ!」
そして、私たちは光溢れるステージに飛び出す。
まるでコインの表と裏のように、寄り添い、違う方向を向きながら。