「・・・っていう夢を、最近、何度もみるんだよ」
そう言いつつ、フィンは目の前に置かれた目玉焼きに、ぷつり、とナイフを入れた。切り口から、とろりとした黄身が流れ出し、白身にゆっくりと広がっていく。
硬すぎもせず、柔らかすぎもせず、絶妙の焼き加減である。
「すばらしい焼き具合だね、のびちゃん」
フィンは顔を上げると、厨房に立つ緑色の人影に、絶賛の言葉をかけた。
「光栄でつシャ〜」
その口調と訛りは、確かにノビタのものだった。ちょっと語尾に、なぜか空気が抜けるような音が混じっているが。
よく見ると、緑色なのは服ではなく、皮膚そのものが緑色をしていた。いや、体にびっしりと生えた、鱗が緑色をしているというのが正確か。
さらに言えば、顔はトカゲのような形をしているし、大きく裂けた口からは、長い舌がチロチロ見え隠れしている。
早い話が。
「・・・リザードマンに変身して料理するのは、ど〜かと思うよ?のびちゃん」
「いつものことではないでつかシャ〜」
こともなげにそう言うと、ノビタは再び熱心にフライパンを振るい始めた。
確かに、「ポリモリフ」の呪文を使って変身をして料理をするのは、いつものことと言える。だが、トカゲ人間であるリザードマンが、フリフリがついた、ちょっと可愛らしいエプロンを腰に巻き、料理に興じる姿は。
とてもシュールだ。
軽く眩暈を感じ、目頭を押さえながら、フィンはノビタから目をそらすと、とにかく朝食に集中することにした。
ちなみに、今日のメニューは、さきほどの目玉焼きに加え、こんがりと黄金色に焼けたクロワッサンと、小さな器に盛ったグリーンサラダ、とうもろこしのポタージュスープ、さらにコーヒーとミルクという、完璧といえる品揃えだ。
激しい稽古をした後の空きっ腹の身には、美味しい料理が涙がでるほどうれしいものだ。フィンはしばし、料理を味わう幸せに浸っていた。
「しかし、何者なのでしょうね、その女の子は」
「ほへ?」
左隣に座って朝食を取っていたバラクの言葉に、フィンはクロワッサンを咀嚼しながら首をかしげると、ようやく自分が夢の話をしていたことを思い出した。
「ん〜、僕がまだ小さかったころの記憶を、夢で見ていることに間違いないと思うのだけれど、その女の子のことは思い出せないんだよな・・・」
「フィンさんの初恋の相手とか!?」
バラクの隣に座っていたさま子が、興味しんしんといった感じで身を乗り出す。
「確かに、そういう思い入れのある相手なら、忘れられずに夢に出てくるということも、あるかもしれませんね」
ナイフとフォークを優雅に扱って、目玉焼きを口に運びつつも、バラクの眼は好奇心の色を纏ってフィンを見ている。
「残念ながら」
フィンは苦笑とともに肩をすくめた。
「初恋の相手が誰かだったなんて、忘れちゃったよ」
そういいながら、フィンはとりあえず夢のことは気にしないことに決めた。夢にでてきた女の子がなにものなのか、そのうち思い出すかもしれないし、自分の想像の産物である可能性だってあるのだ。
「そんなことよりも・・・、気にしなきゃならないのはこの子のほうでしょうが」
「はわ?」
フィンの右隣に座って、一心不乱にスープをすすっていた銀髪の少女は、フィンのほうを向くと、小さく首を傾げて見せた。
そう、ユーディトがここに来て早二週間。フィンたちが、いろいろと手を尽くしているにもかかわらず、彼女の身元はいまだに判明していなかった。
「ここいらの集落は、全部回ったのに」
さま子が、ふぅとため息をつく。
「身元はおろか、顔を見たことがある人すらいないってのも、変な話だよね」
「ですね、まったく困りました」
「困ったねぇ」
「困ったでつな」
「このサラダ美味しいですね〜」
約一名、さっぱり困っていない人物がいるようだが。
「もしもし、そこのお嬢さん」
「はわ?」
フィンに肩をつつかれ、ユーディトはサラダを口に運ぶ手を止めると、再び首を傾げた。
「当事者であるはずの君が、なんでぜんぜんまったくさっぱりこれっぽっちも困っていないんですかねぇ〜?」
「なははははは〜」
つめよるフィンに、まったく動じた様子もみせず、ユーディは能天気に笑うと、きっぱりと言い切った。
「だって、記憶がないだけなんですよ?ふつ〜に生活できてますし、いったい何に困ればいいのか、分からないんです〜」
ある意味正論だ。だが、何か致命的に間違っているような気がしないでもない。
ちょっと頭痛を感じて、遠い眼をしてしまうフィンであった。
「〜〜〜〜〜〜とりあえずっ!」
だん!とフィンが正面のカウンターを拳で叩く。立ち直りの早いことである。
「この現状を打破する作戦を思いついたんだけど」
「ほほう、いったいどんなことを思いついたんでつか?」
そう尋ねるノビタに、フィンは人差し指を突きつけた。
「のびちゃん、ユーディを最初に見つけたのはだれだと思う?」
「それはもちろん、うちのギルドの・・・」
途中まで言いかけて、ふと、ノビタは言葉を止めた。そして、合点がいったとでもいうように、自分の手と手を打ち合わせる。
そしてそれは、バラクとさま子も同じだったらしい。
「つまり・・・あのオークトリオに尋ねてみる、ということですね」
「そ〜いうこと!」
ニヤリと笑うバラクに、フィンは大きく頷いた。
少女を捕まえたのがオークたちなのは間違いない。だとしたら、どのあたりで捕らえたのかも知っているはずである。
幸いなことに、あの事件の首謀者3匹は、人間の言葉を話すことができる。話は聞き出しやすいに違いない。
だが、この計画に問題があるとすれば。
「でも、あのオークくんたちがどこにいるのか、さっぱり分からないよね」
それだ。
「そうなんだよぉぉぉぉぉぉ!!」
さま子の冷静な指摘に、フィンは頭を抱えた。
「あの3匹、なんか悪目立ちしそうだから、けっこう簡単に見つかるよ〜な気もするんだけど・・・」
「人間語を話すオークは珍しいですからね。聞き込みをすれば、見たことがある人くらいは見つかるかもしれませんね」
だが、その聞き込みの大変さは、ここ二週間の活動で、骨身に染みて理解している。それをまた行わなければならないのかと考えると、どうにも暗くなってしまう4人であった。 そして、その陰鬱な空気に拍車をかけるように。
「・・・こんにちは・・・」
なんとも、気だるげというか、張りがないというか、そんな雰囲気を濃密に漂わせた声が、バーに響く。明るいとは言いがたいわりに、よく通る声である。
「タケちゃん、いらっしゃ〜〜い!」
ちょうど階段を上りきったあたりに立つ、その声の主に、さま子は手を振ってみせた。
タケと呼ばれた青年は、涼やかな顔立ちといい、すらりと背が高いことといい、十分美形といっても過言ではない外見をしている。だが、その身に纏った雰囲気は、どこか影を感じさせるものだった。
いや、むしろ影を纏いすぎて、陰鬱な雰囲気一歩手前とでも言ったほうが正確なのだが。
「みんな・・・フレイヤさん、いない・・・?」
ぽつり、とつぶやくように、タケが言葉を紡ぐ。
なぜ、彼がフレイヤを探しているのか。その理由は、ギルドの面々なら、誰もが知っていた。どうしてか、彼は、フレイヤを信奉し、彼女の「下僕」を自称しているのだ。
フレイヤの性格からすれば、「下僕」志望の人間などいれば、あっさりと受け入れてしまいそうな気もするのだが、意外なことに、フレイヤのほうから、彼が下僕となることを拒否している。
まあ、まとわりつかれたら鬱陶しいから、というのが主な理由のような気がするが。
しかし、それでもあきらめず、こうしてタケは事あるごとに、フレイヤの追っかけをしているというわけだ。
「ん〜、ここにはいないでつなあ・・・・今は」
ノビタが「今は」と付け加えたのには意味がある。実際、フレイヤは、ついさっきまではここにいて、朝食を食べようとしていたのだ。
だが、しかし。今まさに朝食に手をつけようとしたその瞬間。
「なにか悪寒がするわ」
と一言いうなり、どこかに行ってしまった。
女の直感、恐るべしといったところか。
「そっか・・・せっかくバザーに誘おうと思ったのに・・・グス」
「バザー?」
涙ぐみながら呟くタケの言葉の中に、興味をそそられる単語を見つけ、さま子は眼を輝かせた。
「そう・・・今日、ムーングロウで、大きなバザーが開かれるの・・・グス」
大きなバザー。つまり、たくさんの人が集まる。人が集まれば、もちろん・・・。
フィンはそこまで考えると、仲間たちに眼を向けた。どうやら、バラクもさま子もノビタも、同じことを考えていたらしく、うんうん頷いてみせている。
「よし!」
ぱぁん!と両手を打ち合わせると、フィンは勢いよく立ち上がった。
「みんな、バザーに行こう!!」
「お〜〜〜〜〜!!」
イェフ亭に集った冒険者たちが、声を張り上げるその脇で。
「バザー・・・楽しそうです〜」
なにやら楽しげな、状況が分かっていない人間が一人。
だから、君は当事者だろう。
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