話は二週間前。オークの巣を脱出してすぐのあたりに遡る。
 「さ〜〜〜〜て」
 どすん、と音をたてて椅子に腰をかけると、シヴィルは細めた目でフィンを睨んだ。
 ちなみに、彼女の名誉のためにも言っておくが、実際に、そんな重々しい音を立てて座ったわけでは決して無い。普通に擬音で表現しようとするのなら、「とすん」とでもいうような、軽い音だ。
 だが、しかし。
 きれいにカールさせた銀髪といい、身に纏った真っ白なドレスといい、一件お嬢様風の彼女が座る様子を表現するのに、重厚感あふれる擬音しか連想できないのは、なぜだろう?
 常々フィンが疑問に思っていることではあるのだが、それを口にしてしまうほど、フィンはバカ正直ではなかった。
 見透かされている可能性は、充分にあるが。
 そんなフィンの思考を知ってか知らずか。
 「その女の子はどうしたのか、じっくり説明してもらおうじゃない」
 そう言うなり、シヴィルは手にした白磁のカップから、上品に紅茶をすすった。茶葉もカップも、かなりの高級品だ。芳醇な香りが、あたりに立ち込めている。
 そんな彼女とは対照的に。
 「ま〜〜、話せば長くなるけれど・・・・」
 青い装束を泥と砂埃で汚した、まさにボロボロの格好で、フィンはグイッと紅茶を一気に呷った。そして、一息ついたとほぼ同時に、きっぱりと言い切った。
 「オークの巣で拾った」
 間違ってはいない。だが、全然長くない。
 そして、フィンの体を、爆炎が包み込んだ。
 オークの巣から帰還したあと、商人たちをヴェスパーの街に送り届けると、フィンたちはイェフ亭の3階に集まっていた。3階は酒場になっており、カウンター形式の洒落たスタイルを取っている。
 オークの巣から生還した面々は、そのカウンターの前に並べられたスツールに思い思いに腰掛けて、ノビタが炒れた紅茶を啜っていた。
 「なるほど、そういうわけね」
 オークの巣での顛末を、詳しくフィンから聞き終えると、シヴィルは腕を組んだ。
 フィンの青いマントに、さっきまでは無かった焦げ跡が、二つほどできていたりするのだが。その理由は察してもらいたい。
 ちなみに、付けたのはシヴィルとフレイヤである。言うまでも無いが。
 それはともかく。
 「とりあえず、その娘を助けた顛末はよく分かりました」
 シヴィルの声は、ごくごく穏やかだった。穏やかなのだが、だからといって油断ならないのが、シヴィルという女性の特徴だったりする。
 案の定。
 「しかぁし!!」
 バァン!とカウンターを叩きつつ、シヴィルが唐突に立ち上がる。その迫力は、まるで雄叫びを上げる白龍のごとし。気が弱い人間なら、即逃げ出してしまうだろう。
 そして、ビシッとばかりに、正面に指を指す。
 「記憶喪失って、どういうことよ!?」
 伸ばしたシヴィルの指の先にいるのは、汚れてボロボロのローブを身に纏った、件の銀髪の少女。スツールにちょこんと腰をかけて、フィンのマントの端を左手で握りながら紅茶をコクコクと飲んでいた彼女は、シヴィルが自分を睨んでいるのに気がつくと。
 「えへへ〜、困っちゃいましたね〜♪」
 笑った。しかも、やたらと明るい。
 シヴィルの一睨みは、ドラゴンさえも怯えさせる、とさえ言われている。それを真正面からまともに受けて、笑顔を浮かべられる人間などまずいない。
 彼女はよっぽど神経が図太いか、それとも激しく能天気か、どっちかなのだろう。
 その表情を見ていると、後者である可能性が濃厚ではあるように思えるのだが。
 バチバチバチ。
 シヴィルと少女のあいだの空間に、電撃が走る。
 二人の背後に、威嚇しあうウサギと猫の虚像が見えるのは、目の錯覚であろうか?
 「やっぱりこうなっちゃったか〜」
 フィンは溜息とともに、言葉を吐き出した。
 少女をイェフ亭に連れてくることになったときから、なんとなくこういう展開になるのではないかと、予想はしていたのだ。
 だからといって、対策を思いつけなければ、何の意味も無い。
 本来ならば、商人たちと一緒に、彼女も街に送り届ければ、それですべてが解決するはずだった。
 だが、しかし。
 ようやく泣き止んだ少女に、当たり前のように名前を尋ねたというのに。
 「え〜と、私の名前、なんでしたっけ?」
 こんな返答を返されては。
 「・・・・・・・・はぃ?」
 フィンが絶句するのも無理は無い。
 気がついたら、3匹のオークに囲まれていた。
 詳しく話を聞いてみたところ、少女はそう言った。それ以前の記憶がまったくない、ということも。
 商人たちに話を聞いても、だれも少女のことは知らなかった。しかも、少女はなぜかフィンから離れたがらず、衛兵に預けることもできずに、結局、イェフ亭に少女を連れて戻ることとなり、現在のような状況になったというわけだ。
 であるのだが。
 あくまで目の錯覚だ。錯覚なのであろうが。
 フィンには、二人の背後の虚像が、セイウチとイノシシにアップグレードされているような気がしてならなかった。
 たぶん、あと数分もすれば、虚像はレッドドラゴンとホワイトウィルムに取って変わられるに違いない。
 それくらい、二人のにらみ合いは激しさを増している。そういうことだ。
 まさに、一触即発の雰囲気。
 酒場にいる全員が、二人を凝視したまま、一歩も動けなくなっていた。
 と、そのときだった。
 ぱさり。
 「で〜〜〜〜きたっ!」
 酒場の隅のテーブル席。その脇で一枚のドレスを広げ、唐突にさま子が立ち上がった。
 ドレスは、まるでラベンダーの花びらを、そのまま溶かし込んだかのような、薄い紫の布で仕立てられており、あちこちにレースの飾りや、金糸銀糸の刺繍が施されていた。一目見るだけで、かなりの上質のものだというのがわかる。
 このドレスのサイズは、少女の体に合わせてあった。さま子は、偶然イェフ亭に居合わせていたのだが、少女のあまりにボロボロの格好を見かね、持ち合わせていたドレスを仕立て直していた。それが、完成したのだ。
 「おや、さすがさま子さん、仕事が速いねぇ!」
 まるで、さま子にあわせるように、フィンはスツールから立ち上がると、少女の手を取り、さま子の側に歩み寄る。
 「さあさあ、さっそく着替えにいきましょう〜♪」
 さま子は踊るような歩調で少女の背後に回ると、その背中を押すように、あっというまに上へと続く階段を上っていってしまった。
 その一連の動きを終えるまで、10秒もかかっていない。見事な連係プレーである。
 シヴィルはしばらく、少女が消えた階段を睨んでいたが。
 「・・・・ふぅ」
 溜息をつくと、再びスツールに腰掛けた。
 「まったく、どうなることかと思ったわ」
 「・・・なんでそんなに残念そうな口調なのかな?フレイヤさん」
 リーの小声の突っ込みなど、まるで聞えないフリをして、フレイヤは含み笑いを浮かべると、優雅に紅茶を啜った。
 「とにかく、フィンさん、私が言いたいのは・・・」
 「分かってるよ」
 フィンは、シヴィルの言葉を穏やかに遮った。
 「あの娘が、ほんとに記憶喪失だと思ってるの?・・・でしょ」
 「そうなんだよなぁ・・・」
 タカシが、長く伸ばした自らの金髪を、片手でかき乱した。
 「あの娘が、嘘をついているって可能性もあるんだもんな」
 もちろん、フィンもそのことは考えている。だが。
 「・・・なんだか、嘘をついてるとは、どうしても思えないんだよね」
 「それって、フィンさんの勘?」
 「そう・・・なのかな?」
 ハジメの言葉に、フィンは苦笑を漏らした。勘、というモノとは、どこか違う。フィンの経験や知識などをすべて超越した、言うなれば自分の内なる声が、彼女は嘘をついていないと告げているのだ。
 その声は、何か懐かしいような、奇妙な感覚とともに、フィンの心の中で反響していた。
 「・・・まぁ、あの小娘が嘘をついた所で、なにもメリットがないのは確かよね」
 「なにか企んでいるにしても、記憶喪失なんて、普通言わないな」
 シヴィルの発した、「小娘」という不穏当な単語をさりげなく無視しつつ、スッシーが頷く。
 「・・・分かりました」
 シヴィルは、一同の顔を見回すと、言葉を続けた。
 「とりあえず、彼女はうちのギルドで預かりましょう。このまま追い出しても、世間体が悪いですから」
 「確かに・・・。うちらが悪人扱いされるのに、間違いないね」
 タカシの言うとおり、百戦錬磨の冒険者集団と、それに無理矢理追っ払われた少女。どちらに一般市民の同情票が集まるかは、分かりきっている。
 「しばらくは、うちのギルドハウスの家政婦としてでも、働いてもらいましょうかね〜」 「・・・おかしいのぅ。なぜだか、たった今、小さいころ聞いた昔話を、唐突に思い出したんじゃが」
 なにやら不気味に笑うシヴィルをみて、グニッチモがしみじみと呟いた。
 たしか、その話は、美しい少女が、意地悪な継母に召使にされていじめられる、という物語だったと、グニッチモは記憶していたのだが。
 「まぁ、僕もそのような話に覚えがないわけではないんだけど」
 フィンは、ポンポンとグニの肩を叩くと、狼が潜む森に入ろうとしている子羊を見つめるような眼で、フルフルと首を横に振った。
 「・・・言わぬが仏だ」
 とりあえず、少女の無事を祈る、ギルドメンバーたちであった。
 と、軽い足取りで階段を駆け下りる音を耳にし、皆が一斉にその方向へと眼を向けた。そして。
 「ほぅ・・・・」
 感嘆の溜息をついた。
 そこには例の少女がいた。しかし、その様子は、先ほどまでとはまったく変わっていた。
 輝く銀髪に、ドレスのほんのりと薄い紫が、まるで生まれる前から身に纏っていた色であるかのように調和している。まるで少女自信が一つの芸術品であるかのごとく、完成された美しさを放っているのだ。
 「どおどお?似合うでしょっ!!」
 少女の背後では、少女の両肩に手を置いた姿勢で、さま子が誇らしげに笑っている。
 言葉は無い。だが、その場にいる面々の表情が、さま子の言葉を如実に肯定していた。
 「・・・ユーディト」
 「え?」
 フィンが突然口にした、響きからすると何かの名前のような単語に、ハジメが怪訝そうな声を上げる。
 「あ・・・いや。その娘の名前、わかんないでしょ?だから、分かるまでこんな名前を使うのはどうかな〜って思ってね」
 あわてて、フィンが取り繕う。だが、そう言っているフィン自身も、なぜそんな名前が脳裏にうかび、しかもそれを口にしてしまったのか分からなかった。まるで、「名前」に体を操られ、言わせられてしまったような、そんな奇妙な感覚をフィンは抱いていた。
 「・・・いいですね、その名前」
 少女が、フィンの瞳を覗き込むようにして、にっこりと微笑んだ。
 「私、今日からユーディトです。よろしくお願いしますねっ!」
 ぴょこん、と少女が頭をさげ、長い銀髪が、皆を祝福するかのように、太陽の光を反射して明るく輝いた。
 こうして、efに一人の仲間が加わることになったのだった。

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