走る、走る、走る。ひたすら走る。
気絶した少女を背負いながら、青い装束の魔法戦士は、ひたすら走っていた。
なぜそこまで走るのか?理由は明白すぎるほど明白である。
「GRAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!」
大又で追いかけてくる、でかくて怖いお兄さんから逃げるためだ。
だが、いくら逃げても、ここは洞窟の中。すぐに外壁に突き当たってしまう。フィンは外壁を目前に立ち止まると、くるりと後ろを振り向いた。
地面を揺るがす足音とともに、プルートが駆けてくるのが見える。その距離は10mほど。しかし、フィンは慌てず騒がず、すばやくプルートの右側をすり抜け、逆方向に走り出した。
ずが〜〜〜〜ん!!
すさまじい音とともに、プルートが壁に激突する。その様子を一瞥もせずに、フィンは12回目の広間往復を開始していた。
どうもプルートは、フィンを広間の隅に追い詰めても、走る勢いを止めることができないらしく、このように毎回毎回、外壁に激突しているのだ。
だが、それでいてダメージはほとんど無いらしく、すぐに壁にめり込んだ顔を引き剥がすと、フィンのあとを追いかけ始める。
「だ〜れ〜か〜た〜す〜け〜ろぉぉぉぉぉぉ・・・・・・」
「いや、むりむり」
ドップラー効果を演出しつつ、走りぬけていくフィンに、スシは手をひらひらと横に振ってみせた。
「こっちはこっちで忙しいし」
どすんどすんどすん、とフィンの後ろを、オークプルートが走っていく。それを横目で見ながら、スシは側にいた捕虜の一人を、目前の青く輝く楕円形の光の中に蹴りこんだ。
この青い光の塊は、一般的には「ゲート」と呼ばれおり、「ゲートトラベル」という、かなり高位の移動魔法により、作り出されるものだ。
魔法石「ルーン」に焼き付けた場所へと一瞬で転移できる、という意味では、低クラスの移動魔法「リコール」と大差はない。「ゲートトラベル」の最大の利点は、この青いゲートに入ることにより、複数の人間を転移させることができる、という点だ。
だから、移動する対象が、このように多人数である場合、とても有効な移動手段となる。
「こ〜の〜は〜く〜じょ〜お〜も〜のぉぉぉぉぉ・・・・・」
さっきとは逆の方向に、全速力でフィンが走っていく。叫ぶ余裕があるのなら、もっと逃げるのに集中すべきだと思うのだが。
「ごめん、フィンさん!」
片っ端から、捕虜たちの鎖を外しながら、わざとらしいまでに悲痛な声で、ハジメが叫ぶ。
「僕たちには、とらわれた商人さんたちを助ける、という重要な使命があるんだ!!」
どすんどすんどすん、とフィンを追っていくプルート。さっきより、微妙に二人の距離は縮まっているような気がする。
「だから、ちゃんとデカさんを引き付けておいてくださいね〜!」
そう言いつつシンシアは、鎖から開放されたての男を、まるで子猫相手にするかのように、ひょいとばかりに摘み上げると、そのままゲートにぽいと投げ捨てた。
ちなみに、男は子猫よりはるかに大きい。あたりまえだが。
さすが、鍛冶師であると同時に、超一流の採掘師であるだけあって、その腕力の鍛え方は、並ではない。細い体つきからは、まったく想像できないことではあるが。
ポイポイポイ、と目に付く端から男たちをゲートに投げ込むシンシアを見て、ちょっと薄ら寒い思いを感じる、男2人であった。
「僕は囮かよぉぉぉぉぉぉぉぉ・・・・・・・!!」
「うん」「そう」「残念ながら」
13往復めの全力ダッシュの真っ最中のフィンに、言葉は違えど、意味を取り違えようがないくらい簡潔な肯定の言葉が突き刺さる。
さらに、ドスンドスンとフィンを追いかけるプルート。
その様子を見送ると、3人は黙々と救出作業に取り組み始めた。まだまだ囚われた人たちはいるのだ。急がなければならない。
だからといって、人を荷物扱いするかのごとく、放り込んだり蹴りこんだりするのは、さすがにどうかと思うのだが。
「助けて、ガード!ガード!」
「殺人鬼だ!殺人鬼だいるっ!!」
とりあえず、このどこか癇に障る捕虜たちの悲鳴に、3人がぶち切れてしまっていないことを、まずは褒めてあげるべきなのかもしれない。
それはともかく。
「あいつら、助ける気なんてぜんぜんないなっ!?」
フィンは、荒い息とともに言葉を吐き出した。さすがに、息が切れている。
まあ、たとえ助けてもらえなくとも、こうなってしまった経緯を考えると、自業自得ともいえるような気がするが。
そこらへんは深く考えないようにして、フィンはとりあえず、迫りくるプルートに意識を集中した。そして、今度はプルートの左を迂回するように、走り抜ける。
もう何度目だろうか。大音響とともに、プルートが壁に激突した。
だが、何度も激突しているうち、ちょっとずつブレーキをかけることを覚えてきたらしく、激突後の硬直時間が少しずつ少なくなっている。それに伴い、フィンとの距離は、じょじょに縮まっていた。
このまま、完全に追いつかれる前に、なんとかしなければならない。
それに、だ。プルートの遠距離攻撃をしのぐのも、そろそろ限界に近い。
遠距離攻撃、とはいっても、別にプルートが弓矢を使ってくるわけではない。さらにいえば、プルートは魔法も使えず、攻撃魔法など飛んでくることもない。
投げつけてくるのだ、弾丸を。プルートの腕力で投げつけられる弾丸だ。当たってしまったら、どれほどの打撃を受けるか分からない。さらに、避けられたとしても、投げつけられた弾丸自体が、さらにやっかいさを増加させる要因になっていた。
「・・・・むっ!?」
背後から、何かが風きって飛んでくる気配を感じ、フィンは慌てて頭を下げた。飛んできたものは、フィンの帽子すれすれをかすめていき。
ずざざざざざっ!
摩擦熱で火がでそうなくらい、激しく地面をスライディングしたあと、ようやく止まった。
「はい、邪魔っ!」
その投げてきたモノが起きてこないうちに、すばやく急所に蹴りを入れると、フィンは再び走り出した。
そのモノの正体は、オーク。プルートは、オークを弾丸代わりに投げつけて、遠くの敵を攻撃する習性をもっているのだ。
しかも、投げられたオークは、あれだけの勢いで投げられたにもかかわらず、怪我ひとつ負わない。それどころか、元気に立ち上がり、投げつけられた相手にそのまま襲い掛かるのだ。
プルートに投げられるオークの表皮硬度と性質についての研究とその考察。
ちらりと、なにやら興味を引かれるテーマがフィンの脳裏をよぎったが、もちろん、そんなことを今この場で研究できるほど、余裕はない。
「ええい、もう!逃げられないのならっ!!」
やけっぱちな叫びとともに、すざぁぁ!と急ブレーキをかけると、フィンは広間の真ん中で、プルートに対して向き合った。
「ぶっつぶす!!」
気合い一閃。フィンは右手で背中の少女を支えると、左手で腰のポーチから最後に一個だけ残った紫ポーションを取り出した。
どうやら、打撃が浅く気絶させ損なったらしく、さっきほどのオークが腰の辺りに絡みついてくる。それを、顎に膝蹴りの一撃をいれて引き剥がすと、フィンは素早くポーションを起動させた。
そして、視線を上に向ける。プルートがかぶった、豪奢な羽飾りつきの兜が視界に入る。プルートとの距離は、もうさほど遠くない。
だが、フィンが見ていたのはプルートではなかった。さらにうえの天井部分を見据えていたのだ。
そこには、ヒビが入っていた。何往復目かをしたときに、偶然視界に入った、大きなヒビ。
そして、ヒュ、と小さく鋭く息を吸った刹那。
「どりゃああああぁぁぁぁぁ!!」
フィンは、紫ポーションを、ちょうどプルートの真上の天井・・・ヒビが入っていた部分に、思いっきり蹴り上げていた。
ずぅぅぅぅぅぅん!!
閃光とともに、空中のポーションが激しく爆発する。そして、その爆発音が消えるか消えないか、そんな間際に、新しい轟音が響いた。ひび割れた天井が、爆発によって崩れたのだ。多量の土砂と岩が、床に向かって流れ落ちる。
そして、その床と天井の間には・・・。
「GRUUUUUUU!?」
プルートが苦しみの声をあげる。土砂と岩で体を殴打されては、タフさを誇るプルートであっても、さすがにたまらなかったようだ。追いかける脚を止めて、プルートが苦悶に体をくねらせる。
「よっしゃ、トドメ!」
フィンは素早く、ルーンの詠唱を開始すると同時に、両手で複雑な印を結んだ。
手を離したせいで、少女の体がズルズルと、背中から地面に滑り落ちてしまったが、気にしている暇はない。
この魔法の一撃を、プルートの頭に叩き込む。その一発で終わりにすることができれば、しめたものだ。そうでなくても、少なからずダメージを与えて、動きを鈍らすことくらいはできるだろう。
力強い詠唱とともに、高密度のマナがフィンの右手に宿る。それは、放った瞬間、すさまじい破壊の力へと、その質を変えるのだ。
そして、詠唱は完了した。最後の力ある言葉が、フィンの口からつむぎ出される。
「貫け、破邪の閃光!!(Corp Por)」
突き出された右手のマナが激しく光輝き、そして・・・・。
ぶすん。
煙となって、消えた。
「・・・・・・なぜっ!?」
自分の右手をじっと見つめながら、フィンが呟く。魔法の詠唱はカンペキだった。このクラスの魔法など、現在のフィンの魔法能力なら、成功率はほぼ100%といっても過言ではない。だから、失敗するはずがないのだが・・・。
はたと気がつき、フィンは腰にぶら下げたポーチを探った。腰には3個のポーチがぶら下がっているはずだ。一つは魔法薬。一つは雑用品入れ。そして、最後のひとつが・・・。
「秘薬入れがない・・・」
秘薬。それは、メイジ魔法を使うのに、必要不可欠なもの。これがなければ、たとえ詠唱が完璧であったとしても、マナが術者が望む形を為すことはない。マナを望む形に加工するための触媒が秘薬なのだ。
つまり、秘薬がなければ、メイジは魔法を使えない。もちろん、いまのフィンも魔法を使えない。そういうことだ。
ぎぎぎぎぎっ!と音がしそうな動きで、フィンはさっき腰に纏わりついたオークに顔を向けた。そのオークの右手には、見覚えのある青いポーチ。
しかも、そのオークは、いつのまにやら、ちゃっかりとプルートの方向にずりずりと這いずりながら逃走していた。
この距離なら、走ればすぐに追いつける。
だが、しかし。
「GRUUUU・・・・」
土と岩石のシャワーを浴び終え、先ほどよりさらに殺気と怒りを倍増させているプルートの目前に飛び出す蛮勇など、フィンは持ち合わせていなかった。
濛々と立ち上る砂煙の中から、プルートがフィンたちの方へと一歩脚を踏み出す。そんなプルートの殺意の対象となったフィンには、しっかりと感じ取れていた。
プルートの戦闘能力が、怒りで倍増しているに違いないことを。
だから、この場合とることができる手段は唯一つ。
「転身〜〜〜〜〜!!!」
素早く少女を背負いなおし、くるりと踵と返すと、フィンはここに入ってくるときに使ったトンネルへと走り出した。
あそこでオークを足止めしているフレイヤたちに、いらぬ土産を持参することになってしまうかもしれないが、この場合、とりあえず自分の命のほうが大事である。他人の迷惑など気にしていられる状態ではない。
うしろからヒシヒシと感じる、先ほどより1,6倍は増加した殺気を背中に受けつつ、フィンはトンネルの中に駆け込もうとした・・・のだが。
なぜか、トンネルの奥から、フレイヤ、タカシ、リーディティの3人が、こちらに向かって走ってくる。
思わず足をとめてしまったフィンの脇を駆け抜けると、3人は必死の形相で、広間の中に駆け込んでいった。
「なにごとっ!?」
「でかいのが・・・・・きた〜〜〜〜〜〜〜!!」
フィンの疑問に答えたのは、リーの声。だが、その声が耳に入る前に、フィンはすでに事態を把握してしまっていた。
なにせ。
4つんばいになって、目の前のトンネルから出てこようとする、もう一匹のプルートと、思いっきり眼があってしまったのだから。
「・・・・・やっほ〜」
とりあえず挨拶。もちろん、何の解決にもならないが。
背後からは、怒りに震えた砂まみれのプルートが、ちゃくちゃくと迫りつつある。
秘薬がない。逃げ場がない。なにもない。このないないずくしの状態は。
「もしや、大ピンチ!?」
もしかしなくても、そういうに違いない。
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