少し時を遡る。
フィンとハジメ、そしてスッシーが広間に突入したあとも、残った3人はオークたちと戦い続けていた。
「30げっつ!」
オークを一刀両断すると同時に、タカシが叫ぶ。これで、切り伏せたオークは30匹目。彼の周りには、地面を埋め尽くさんばかりに、累々とオークたちの死体が転がっていた。
生き残りのオークたちは、タカシを遠巻きに囲むのみで、彼に挑もうとするものはいなかった。あからさまに逃げ腰なのが見て取れるのが、いかにもオークらしいといったところだろうか。
いや、だが、この場合、むしろ本当に逃げ出してしまわずに、踏みとどまっているオークたちを、ほめるべきなのかもしれない。同族が次々と倒される光景をみれば、歴戦の勇士でも恐怖を覚えるだろうから。
「これで、小休止はとれるかな?」
オークたちに、威圧するかのごとき鋭い視線を向けながら、タカシがつぶやく。さすがに、少し息が荒い。
そのタカシのとなりで。
「よかった・・・・そろそ・・・あぶなかった・・・」
そう言いながら、リーは激しく乱れた息を整えようと必死だった。形の良い曲線を描く胸に手を当て、深呼吸を繰り返す。あともう少し、オークたちの攻勢が続いていたら、さすがに体がもたなかっただろう。
汗で、リーの栗色をした髪が、数本額や頬に張り付き、上気した顔はうっすらと桃色に染まっていた。その姿には、健康的な色気が感じられる。
一瞬、リーの姿に見とれてしまったタカシは、慌てて視線をオークちにのほうに戻した。
二人とも、かなり疲労困憊していた。数十匹のオークと斬り合いをしたのだ。疲れを感じないほうがおかしい。
さらに、体のあちこちに、オークたちの攻撃によって、大小の傷がつけられている。だが、手傷と言える怪我は一つもなく、どれもかすり傷程度でしかない。あれだけのオークを相手にしていたのにもかかわらず・・・だ。
これだけで、二人の剣士の腕前が常人離れしていることが、ありありと分かるというものだ。
「そういえば、フレイヤさんはどこだ?」
思い出したかのように、タカシはあたりを見回した。だが、その口調には、心配そうな響きは一音符も含まれていない。
「そういえば・・・いないような・・・」
ようやく呼吸が落ち着いたのか、リーも頭を上げ、フレイヤの姿を探す。しかし、その視線には、あまり真剣さがこもっていない。
「ま、ダイジョウブだろうけど、フレイヤさんなら」
そう言うと、あっさりとタカシはフレイヤの姿を探すのをやめた。
つまるところ、二人ともフレイヤの心配をしていないのだ。いや、フレイヤが無事であることを確信している、というべきか。
なにせ、フレイヤは、魔術と死霊魔術を極めた人間だ。どんな状況でも打破できる能力を持ち合わせているといえる。
第一、彼女が苦戦をしたり、慌てたり、助けを求めたりというシチュエーションは、どうしても想像できない。たとえ100人からの盗賊に囲まれても、自分ひとりであっさりと道を切り開き。まるで野原を歩いているかのごとく悠々と脱出してくるような、そんな印象をもたせるのが、フレイヤという女性なのだ。
ふと、リーは、自分たちの斜め後ろに開いていた横穴に目をとめた。耳を澄ますと、なにやら甲高い音が聞こえてくる。
「ねぇ、タカシさん、あそこ・・・」
くいくい、とリーにマントを引っ張られ、タカシもその穴に注意を向けた。
微かに聞こえていた甲高い音は、距離が近くなったのか、だいぶはっきりと聞こえてくるようになっていた。その音の正体は、明らかに悲鳴。
「あそこだな・・・・間違いないっ!」
タカシは断言した。そして、その断言は間違ってはいなかった。
悲鳴はだんだんと近づいてくる。そして、その悲鳴がピークに達したとき。
横穴から、一匹のオークが飛び出した。
そして、ほんの一瞬の間をおいて。
後頭部に巨大な火球を叩きつけられ、見事な、オークの丸焼きに成り果てていた。
倒れたオークに続くように、小春日和の草原を散歩するかのごとき歩調で、横穴から出てきた女性の影が一つ。
「やっほ〜、フレイヤさん」
「あら、二人とも、お疲れ様」
手を振るリーに、フレイヤは笑顔で言葉を返した。オークのバーベキューを作った人物の笑顔とは思えない、爽やかな笑みである。
「あらあらあら、こっちには、まだけっこう残ってたのね」
遠巻きにタカシとリーをを取り囲むオークたちに目を向けると、フレイヤは嬉しそうに顔をほころばせる。思いっきり上機嫌である。
(間違いない・・・楽しんでるな・・・)
ちょっと背中に冷や汗をかきつつ、タカシはこれから巻き起こる、阿鼻叫喚の地獄絵図の模様を想像した。
そして、ちょっとだけ、オークに同情した。
リーも同じように思っていたようで、軽く肩をすくめてみせる。
「さ、はやく片付けて、フィンさんたちを追いましょう」
フレイヤは一歩、オークたちにむかって、足を踏み出した。だが、いくらなんでも鼻歌まじりなのは、どうかと思うのだが。
タカシとリーは、あきらめたように各々の獲物を構えた。どっちにしろ、二人ともノンビリしているつもりはない。戦場ではなにが起こるのか分からない。迅速に事を進めるのに、こしたことはないのだ。
「さあ、覚悟なさ・・・」
フレイヤが、呪文の詠唱をしようと、両手で印をくんだ。
ころころころ。
一個の、丸いなにかが、フレイヤの足元に転がり込んだのは、ちょうどそのときだった。
その丸いなにかは、表面は黒くてツルツルとしており、おまけに火花が散る導火線までついていたりする。
「あら?」
フレイヤは小首をかしげた。
そして。
ちゅぼ〜〜〜〜〜ん!
丸い何かは、爆発した。
少し離れた場所で、してやったりとニヤリと笑う、オークが一匹。腰にまいたベルトには、さっきフレイヤに投げられたものと同じものが多数ぶら下げられている。
オークボマー。強烈な爆発力をもつ爆弾を主な武器とするオークの一種。それが、そのオークの名前だった。
「フレイヤさん!?」
思わず、リーは悲鳴まじりの声をあげた。至近距離での爆発だ、ひょっとすると、怪我だけではすまないかもしれない。
だが、フレイヤは無事だった。
爆煙がはれた跡に現れたのは、しっかりと二本の足でたつフレイヤの姿だったのだ。
さすがに、五体満足とはいえず、肌が剥き出しになっているところは、火傷を負っているのが分かる。着ている服のあちこちにも、焦げができていた。
けほけほ、とフレイヤが軽く咳き込んだ。どうやら、少し煙を吸い込んでしまったらしい。
近寄って、声のひとつでもかけたいところだが、状況が、それを許してくれそうにはなかった。いまの爆弾の一撃で士気を取り戻してしまったらしく、オークたちがじりじりと包囲の輪を狭めてきていたのだ。
「まずいな・・・」
タカシは冷静に、現在の状況を分析していた。まさか、オークボンバーがでてくるとは、まったくの誤算だった。いままで一匹もい出てこなかったので、この巣にはいないものと思いこんでいたのだ。
だが、いまでは目に入るだけでも5匹のボンバーが、爆弾の投擲準備をしている。一斉に爆弾を投げられたら、この狭い洞窟では逃げ場がなく、爆発を甘んじて受けるほかなくなってしまう。さすがに、それは厄介だった。
「ピンチね・・・」
かわいた唇を、小さな舌で湿しながら、リーは呟いた。
オークたちとの間に、緊張の糸がピンと張り詰められていた。この糸が切れるときが、戦いの始まりとなるのだろう。
タカシの喉が鳴る。リーの剣を持つ手に、汗が滲んだ。オークたちが、威嚇をするかのように、低く唸り声をあげる。
緊張の糸は、とうに限界を超えて伸びきっている。ぎりぎり、と糸がきしむ音が聞こえるような、そんな気さえする。
そして、次の刹那。
「ちょっと、熱かったわね」
フレイヤの呟く声。それは、本当に小さな声だった。だが、しかし。その声に、タカシとリーは、体の血の気が完全に抜け切るのを感じていた。
それは、オークたちも同じだった。
別に、怒鳴り声を上げたわけでもなく、口調もあくまで静かなはずなのに。それなのに、フレイヤの一言を耳にしたオークのうちの何匹かは、すでに逃げ腰になってた。
緊張の糸は、一瞬のうちに凍り付いてしまっていた。
「あの〜、フレイヤ・・・さん?」
控えめに声をかけるタカシの目には、うなだれた姿のままのフレイヤが映っていた。だが、その姿を見た瞬間、タカシの戦士として研ぎ澄まされた感覚は、フレイヤの体から、何かが陽炎のように立ち昇るのを知覚させていた。
そして、タカシはすぐさま、その「何か」の正体を察した。
そう、それの名は・・・・・「怒気」。
「爆弾なんて、素敵なプレゼントをもらったのだから、お返しをしなくちゃ」
フレイヤが顔をあげた。その顔は、煤で黒く汚れている。そして、その顔を見た瞬間、タカシは逃げ出すことを決意した。なぜそう決意したのかはわからない。だが、直感が彼女の側にいてはいけないと告げている。
リーなどは、もうすでにジリジリとフレイヤから間合いを取っていた。さすが、女の直感は男より鋭いものらしい。
「お返しは3倍というのが、キホンよねぇ」
ぶぉう。
実態などもっていないはずの怒気が、圧倒的な存在感を持って、あたりを吹き抜ける。オークたちの顔は、すさまじいまでの恐怖で引きつっていた。オークが、これほど豊かに恐怖を顔で表現できるとは、誰が思ったろうか?
その怒りに押されるように、タカシは必死に走っていた。その先では、洞窟の壁のへこみに身を隠したリーが、タカシを一生懸命手招きしている。
そして、タカシがへこみに駆け込んだ、その瞬間。
「凍てつきし牙よ、すべてを砕け!!(Rel Xen Vas Bal)」
怒りは、凍てつく霧となって、吹き荒れた。
オークたちが、次々と氷の彫像と化して、地面に倒れていく。
オークボンバーたちも、例外ではない。対抗しようと、爆弾の投擲姿勢に入った瞬間。氷霧にまきこまれ、そのままの姿で凍りつく。
あっというまに、あちこちに氷像が乱立する空間が出来上がっていた。
「あぶないところだった・・・」
タカシの全身から、どっと冷や汗が噴出す。あと少し遅かったら、フレイヤの死霊魔法「ウィザー」に巻き込まれ、立派な戦士の彫像に成り果てていたに違いない。
ちょっぴりマントの裾が凍りついてしまっている事実は、あまり考えないことにする。深く考えると・・・腰が抜けそうになるからだ。
「うわぁ・・・よっぽど頭にきたんだ、フレイヤさん」
再び、氷霧が渦巻いたのを見て、リーが感嘆の声をあげた。さっきは、あれほどまでに密集していたオークたちが、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑っている。
「オレたちは、フレイヤさんのジャマにならないようにするべきだな」
「うん、そうだね!」
タカシとリーは、お互いに向かって、力強く頷いてみせた。その顔には、しっかりと太字で、「怖いからしばらく隠れていよう」と書かれているのだが。
二人の視線は、フレイヤの方に向けられていた。自分の身の安全を守るためにも、災厄の方向に注意するのは、間違っていない。だが、だからこそ。彼らは、もう一つの災厄に気がつくことができなかった。
背後から迫る、巨大な災厄に。
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