オークたちの作った牢屋は、実に粗末なものだった。いちおう、太い材木を選んで作ってあるのだが、そこらの牧場の囲いのほうが、よっぽど良い作りをしているに違いない。 もちろん、牢屋の入り口には鍵が掛かっていたが、牢屋自体がそんな出来ではなんの意味もない。ハジメがハルバードを一振りしただけで、入り口は簡単に粉砕できた。
だから、そのこと自体はなんの問題もなかった。問題は、牢屋を開けた後に待ち受けていたのだ。
それがなにか、というと。
「はやく!はやくこの鎖を解いてください!!」
「もっと近くにこないとわかりません!!」
「殺人鬼だ!衛兵、衛兵!!!」
ああ、うるさい。
「フィンさん、僕、なんだか頭が痛くなってきたよ」
兜をかぶっていなければ、こめかみを揉み解していそうな口調で、ハジメが言った。
なにせ、牢屋を破った瞬間、中に閉じ込められていた捕虜たちが、口々に助けを求め始めたのだ。しかも、それが総勢十数人の大合唱、さらに言えば、音が反響しやすい洞窟の中ときた日には。
「はやく!はやくこの鎖を解いてください!!」
「もっと近くにこないとわかりません!!」
「殺人鬼だ!衛兵、衛兵!!!」
弱者の助けを求める声も、単なる・・・・いや、すさまじい騒音に変わる。
「なんだか、ちょっと殺意が湧いてくるね」
フィンがぼそっとつぶやく。なんだか、微妙に本気っぽいのは気のせいであろうか?
捕虜の方々が、助けを求めるのに必死で、その声に気付いていないのが幸いである。
「みなさんも、助かるために一生懸命なんですよ〜」
燃えるような赤毛を腰まで伸ばし、赤いドレスに身を包んだ女性が、フィンのマントを引っ張った。どうやら、止めているつもりらしい。
止めるつもりなら、そんなのんびり口調ではなく、もっと切迫して言ってほしいものだが。
「ところで、シンシアさん」
「はい?」
フィンに突然、名前を呼ばれ、赤毛の女性は小首をかしげた。
「僕はさっきから、ど〜にも解決できない謎に心をかき乱されているところなんだ」
「ふむふむ。それはタイヘンですねぇ」
鎮痛な表情で考え込むフィンに、シンシアは同情の表情をうかべた。
「ほんとにも〜、こんな気分のままだと、ゴハンも喉を通らなくなっちゃうよ、たぶん」
「それはいけませんねぇ。ゴハンを食べないと、体に悪いですよ」
「そう思うんだったら、シンシアさん。ちょっと、この謎を解くために、僕に協力をしてもらってもいいかなぁ?」
「ええ、私にできることなら、協力しますとも!」
ドン、と胸を叩くと、シンシアは胸を張った。
「ほんと?」
「ほんとです!」
「それじゃあ、ひとつ質問させてもらうよ?」
フィンは、顔に柔和な笑顔を浮かべつつ、ぽんぽんとシンシアの肩を叩いた。そして、一言。
「なんで、きみ、ここにいるの?」
あくまで、口調は優しい。優しいのだが。肩に置かれた手には、微妙に力がこもっていたりする。
「え、え〜と、それはそのぅ・・・」
シンシアの視線が、あっちこっちに彷徨う。もちろん、その視線の先に、助けの手など伸びてはいなのは明白なのだが。
「僕は、隊商の商人たちが捕まった、とは聞いてたけど。同じギルドのメンバーが捕まったなんて、さっぱり聞いてなかったんですけどねぇぇぇぇ?」
「ひぃぃぃぃん!」
もうシンシア、半泣き状態である。
フィンが青筋を立てる理由も、分からないでもない。efに所属するメンバーなら、「心の声」が使える魔法具を持っている、ということは、知っての通りだ。もちろん、シンシアもそれを持っている。
ということは、だ。シンシアが、その魔法具を使ってギルドメンバーに連絡すれば、商人たちの場所や、それどころかオークたちの巣の位置も、もっと早くに把握できたかもしれないのだ。
「私だって、私だって、たいへんだったんですよ〜!」
目に思いっきり涙を溜めながら、シンシアがいうことには。
「昨日、ベスパーの鍛冶屋さんに、注文の剣を届けにいったんです」
こんな線の細い体をしているのに、実はシンシアは達人級の腕前をもつ鍛冶師であり、「シンシア」の銘の入った武具は、かなりの業物として知れ渡っている。注文された剣も、かなりの高品質品に違いない。
「それで、たまには散歩しようかな〜って思って、ミノックに続く街道沿いに歩いてたら、なんと!隊商がオークに襲われていたんです!!」
「なるほど、オークの襲撃現場に居合わせちゃったのか」
ハジメが納得したように頷いた。
「急いでみなさんに連絡しようと思ったのですけど、オークさんたちに見つかっちゃいまして・・・」
「それで捕まって、縄で簀巻きにされて、気がついたらここにいた・・・・というわけか」
簀巻きというのはどこから来たのだ?フィン。
「それが違うのです」
ちっちっち、と指を左右に振ると、シンシアは腕を組み、地面に仁王立ちしながら、まるで勝利宣言でもするかのように、高らかに言い放った。
「逃げようとしたら、木の根っ子につまずいて、転んで気絶して、いままでず〜〜っと気を失っていたのです!!!」
「・・・・・・・」
二人分の無言の圧力が、とっても重い。
「・・・ま、それはどうでもいいとして」
牢屋のすみっこで、地面に「の」の字を書き始めたシンシアのことは、とりあえず置いておくことにしたらしく、フィンはくるりと牢屋の外を向いた。
「スッシー、シンシアさんがいること、偵察に来たときに分からなかったの?」
「説明しよう!」
ぼふん、と砂煙があがると同時に、スシの姿が現れた。ちなみに、フィンはスッシーの居場所が分かっていたわけではない。ただ単に、ついて来ているだろうと思ったから、話し掛けてみただけのことである。
「なにせ、偵察に来たのはいいが、オークどもがジャマで、この部屋の入り口あたりから覗くことしかできなかったからな。牢屋の中の様子までは詳しく見えなかった、というわけだ」
「なるほどね」
スシの話す最もな理由に、納得したように頷くと、フィンは顎に手をそえ軽くうつむいた。
まあ、シンシアが捕まっていたのは予想外ではあったものの、それほど問題ではない。捕まったと思われていた商人たちも、全員いる。かなり苦労は伴ったものの、叫びまくる商人たちを宥めつつ名前を聞き出し、預かった商人たちの名簿と照らし合わせ、その事は確認ずみである。
だが、フィンは捕まっているシンシアを見つけたときに思いついた、とある一つの可能性に頭を悩ませていた。
思いついたからこそ、シンシアが捕まっていたという情報が、もっと早く入ればと切に思うのだ。
つまり。
「商人たち以外にも、捕まっている人がいるかもしれない・・・ね」
そう言葉を吐き出したハジメの声は、ひどく苦味に満ちていた。
捕まっているのが、商人たちだけだと思ったからこそ、ここまで一気に駆け抜けたのだ。もっと細かく調査をしてから、突入すべきだったのかもしれない。
捕虜になっていた商人たちに聞けば、何かしら情報は得られるかもしれないが、こんな恐慌状態に陥っている人たちから話を聞くのは、さきほどの経験から、骨が折れることは分かりきっている。
と、そのとき。
「あ、そういえば」
ようやく「の」の字書きに飽きたシンシアが、ポンと手を叩いた。
「話のつながりから察するに・・・あんまり良い話ではなさそうだねぇ」
「うん」
フィンに頷いてみせるシンシアの顔は、あくまで笑顔。だが、その笑みには明らかに陰りが混ざっていた。
「ちょっと前に、少し意識が戻ったときがあったんだけど、そのときに女の子が一人、オークたちに連れていかれるのを見たような・・・」
「ほんと!?」
3人の声が、ぴったりと重なる。
「え〜と、え〜と・・・。たしか、あっちの方につれてかれたような〜」
シンシアの指が、フィンたちの入ってきたトンネルとは、反対側にあるトンネルを指した。
「でも、かなり朦朧としてて、すぐにまた眠っちゃったから、もしかしたら幻覚かもしれないし〜」
「でも、可能性はあるんだから・・・ね」
フィンは小さくため息をついた。まったく、ややこしい仕事が増えてしまった。
フィンは、ハジメとスシに体を向けると、女の子が連れて行かれたと思われるトンネルを指差した。
「よし、じゃあ、とりあえずあそこを調べ・・・」
「・・・てみる必要は、ないみたいだな」
フィンの言葉をさえぎるように、スシは言った。
「へ?」
スシの視線を追うように、自分が指差していたトンネルの入り口に目を向けたフィンが見たのは。
一人の少女をかかえた、オークチョッパーの姿。
オークチョッパーは、動揺しているのが、あからさまに見て取れた。仲間がいると思っていた場所に、武装した人間がいたのでは、それは驚きもするだろう。
そのオークの肩には、ぐったりとした一人の少女が担がれていた。サラサラとした長い髪が、重力にひかれ、銀色の滝になって地面に向かって流れ落ちている。
「キレイな銀髪・・・」
シンシアが、場違いな感想を漏らしてしまうほど、その光景は美しかった。
だが、いつまでも鑑賞していられるような時間は、もちろんない。
「助けるぞ!」
言うなり、フィンは細剣を片手に駆け出した。もちろん、ほぼ同時に、ハジメとスシもそれに続いている。
だが、しかし。
ズゥゥゥゥゥゥゥン!
地響きが、広間に響き渡った。
オークチョッパーの後ろ、トンネルの奥から、その音は届いていた。
ずぅぅぅぅぅぅぅん!!
さらに、地響きが響く。こんどは、さっきの音より近い。
そうフィンが感じた、次の瞬間。
巨大な腕が、トンネルを包む闇から突き出された。
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