たとえば。人が、道端を歩いている猫に、突然人の言葉で話し掛けられたら。その人はどんな反応を見せるだろうか?
普通の人間ならば、驚き、そして困惑の局地に立たされてしまうことだろう。
少女の現在の心境は、まさに、猫に話し掛けられた人間のそれだった。
まぁ、本当に猫が話しかけてきたのなら、まだメルヘンの香りただよう展開が期待できたかもしれない。
だが、少女が立たされた現実は、そんな甘い展開を許しはしなかった。
なにせ。
「はぁ〜〜〜はっはっはっは!ダニ」
「げひゃひゃひゃひゃひゃ!ダス」
「くっくっくっくっく・・・でゲス」
喋っているのは、猫とは似てもにつかぬ、オークなのだから。
オークたちに、訳もわからずさらわれて、どれくらいの時がたっただろう。突然、入れられていた牢屋から、オークたちに連れられて、どこか巣の一室に連れ込まれたかと思えば、まさか、オークたちの高笑いを聞かされることになろうとは。
いや、高笑いは別として、もっと驚くべきなのは、彼らが人間語を話していることだ。オークの知能では、人間の言葉を理解するのは不可能と言われているのにもかかわらず、だ。
最近、困惑という感情とは親しく付き合うことが多かった少女にとっても、この事態は別種の困惑との遭遇をする機会をもたらしていた。
さすがに、ここまで驚きと困惑が強いと、オークに対する恐怖心を感じるヒマもないのが、不幸中の幸いというべきだろう。
さらにいえば。
「はぁ〜〜〜はっはっはっは!ダニ」
「げひゃひゃひゃひゃひゃ!ダス」
「くっくっくっくっく・・・でゲス」
ここまで延々と高笑いをされていれば、心に平静を取り戻す時間も、たっぷりすぎるほどあった。少女に、オークたちを観察する余裕さえ生まれたのも、ごくごく自然なことといえるかもしれない。
と、唐突に高笑いが止まった。火にかけた鍋一杯の水が、煮え立つ湯になるほどの時間、高笑いをしていたというのに、オークたちの呼吸はまったくと言っていいほど乱れていない。
たいした肺活量である。
「我輩の名は、ダニルであ〜〜〜〜る!!・・・ダニ」
びしっ!!
なにやらポーズを決めて、オークにしては立派な鎧兜を身につけた一匹が叫ぶ。たぶん、その身なりから察するに、オークロードと人間が分類する、オークの支配者階級の固体なのだろう。
さらに。
「拙者、ダスラと申すもの!・・・・ダス」
なかなか立派な体格をしたオークが、これまた何やらポーズをきめて、名乗りを上げる。その逞しい体つきは、筋力に特化したオークの戦士、オークチョッパーに違いない。
ついでに。
「ゲスリンでゲス。お見知りを気を、でゲス」
オークにしては、どことなく知的な雰囲気をもつ、最後の一匹が静かに言った。知的とは言っても、その知性の香りは、1週間前につけた香水の残り香のごとく、ごくごく僅かな漂いかたしかしなかったが。声色からして、もしかしたら雌なのかもしれない。
「3匹そろってぇぇぇぇぇぇぇ!!」
ダニルの掛け声に、3匹は一つに固まると、3身一体の構えを取り、そして!
「「「暁の3兄弟!!!」」」
見事にハモっている。感動的なまでの、そのハーモニーの完成度は、長年の努力と練習のたまものであることを、聞いた者に一瞬にして悟らせる何かがあった。
もし、どこかの劇場で披露したら、拍手喝采間違いなしだろう。
芸人ではないオークに、そんな評価は無意味極まりないことだろうが。
とりあえず、拍手などしてしまう、少女であった。
かなり不本意な反応だったのだろう。3匹は、極めたポーズで固まったまま、ひそひそ声で相談を始めたりしている。
「う・・・・ウケてしまったダニ?」
「人間は、初対面の敵には、名乗りを上げるものだと言ったのは、ゲスラ、お前ダスよ!?」
「お・・・おかしいでゲスね。この本の人間は、みんなそうしてるでゲスよ?」
そんなゲスラの脇の下に抱えられている本の表紙には、ごくごく一般的な、英雄物語のタイトルが装飾されていた。前編、恥ずかしいまでの英雄的言動に飾り付けられた、一般市民のうけを狙った作品である。いわゆる、「ヒーローもの」に分類される本なのだ。
間違っている。知識を得る場所が、致命的なまでに間違っている。
そうは思ったものの、あえてそこには突っ込まず、少女は、にゅっと手を上げた。
「あの〜〜〜、ちょっと質問してもいいですか〜?」
「なんダニか!?」
むん、とダニルが胸を張る。
どうやら、精一杯威厳を保とうとしているらしい。
だが、しかし。すっかり平静を取り戻してしまった少女には、ダニルの姿は、頑張って虚勢をはっている子供のようにしか見えない。
むしろ、オークのために、怖がってみせてあげないといけないような気分になっていたりする。
オークの頭をなでながら、励ましてやりたい気分を必死で抑えつつ、少女は言葉を続けた。
「あの、私、なんでここに連れてこられたんですか?」
「うむ、いい質問ダニ!!」
ダニルが、うんうんと頷く。
捕虜から質問を受けるという、妙に矛盾した現状に気付かないあたりが、オークの脳ミソの限界を如実に表していると感じるのは、考えすぎであろうか?
それはともかく。
「今日、おまえを連れてきたのは、他でもない!人間たちの至宝を手にするためダニ!」
「至宝!?」
人間たちの至宝。なにやら、大層な響きである。至宝、などというのだから、きっとものすごい宝物なのだろう。だが、もちろん、少女にはそんなものを見たり聞いたりしたことなど、いままで一度も持った覚えがなかった。
ダニルは、背負った斧を手に取ると、その先端を少女に突きつけた。
さきほどの、緩みまくった雰囲気はどこへやら。少女の表情が、またたくまに、緊張で固まる。
ダニルは、少女の顔を睨みつけると、ゆっくりと言った。
「さあ、正直に答えるダニ・・・」
ごくり。少女の喉がなった。
「<黄色くて丸い物>は、どこにあるダニか!?」
沈黙が、しばらくあたりを支配した。
少女は、かわいた喉から無理やり空気を押し出すと、なんとか一言こう言った。
「・・・・・・・・はい?」
「だ〜〜〜か〜〜〜ら〜〜〜!黄色くて丸い物はどこダスと、聞いているダス!!」
ダスラが、どすんどすんと地団太を踏む。
また新しい困惑の来襲に、少女の頭は悲鳴を上げた。黄色くて丸くて、オークが狙う人間の至宝。まったく訳がわからない。
だからといって。
「あの、外見だけ言われても、どんなものなのかワカラナイんですけど」
堂々とオークに質問をぶつける少女の神経は、たぶん船の舫い綱のごとく太いに違いない。
「それもそうでゲスな」
その質問をあっさりと受け入れる、オークの側にもかなり問題ありだが。
とにかく、ゲスラは、両足を広げ、がっしりと大地を踏みしめると、無意味に胸を張りつつ、言った。
「甘い食べ物でゲス!!」
「・・・人間の至宝の甘い食べ物・・・?」
少女は首をかしげた。至宝といわれるような食べ物が、果たしてあっただろうか?謎はどんどん深まるばかりである。
「どこで見つけたんですか?それを」
「ふっふっふ、よくぞ聞いたでゲス」
さらにゲスラが胸をはる。
「留守の人間の家に忍び込んだとき、台所に置いてあったのを失敬したのでゲス!!」
威張っていうことではない。せめて人間を襲って奪ったとでも言えば格好がつくのだろうが、そのあたりで虚勢をはれないのが、所詮オークだということなのだろう。
「ぬぅ、分からないダニか〜」
すっかり考え込んでしまった少女を見て。ダニルは残念そうに肩を落とした。その仕草は、どことなく可愛らしい。そういえば、この3匹。オークにしては、愛嬌のある顔立ちをしている。
「フワフワしているんダニ。それでも分からないダニか?」
上目使いで尋ねるダニルに、少女は軽く肩をすくめてみせた。
「名前がわかれば、作れるものかもしれないけど・・・」
「わかったダニ」
ダニルは、ぽりぽりと頭をかくと、なにやら、部屋の入り口に向かって、うなり声を上げた。と、入り口から、2匹のオークチョッパーがはいってくるのが見える。
「とりあえず、人間!きさまは牢屋に戻るダニ」
少女は、心の中でほっと息を付いた。どうやら、この3匹は、人間を殺すつもりがないらしい。「黄色くて丸い人間の至宝の食べ物」を狙っているのだから、そう簡単には、殺すことができないのだろう。なにせ、殺した相手が、至宝の作り手かもしれないのだから。
2匹のオークチョッパーは、少女の両手に鎖をかけると、その端をつかんだ。こいつをどうするだ?とでも言いたげに、2匹が首をかしげる。
だが、次にダニルが飛ばした指示に、オークチョッパーたちは、なにやら、不満げな響きの、うなり声を上げた。
「まだ、人間の肉を食わせろとうるさいのダスよ」
「<黄色くて丸いもの>の価値もわからぬ、野蛮オークどもでゲス。仕方ないでゲス」
ゲスラは、チョッパーたちを小ばかにするように、つぶやいた。
どうやら、牢屋に閉じ込めておけ、という指示が気に入らず、チョッパーたちがごねているらしい。
当たり前だ。健全なオークたちにとって、牢屋に捕らえられている人間たちは、ご馳走の山にしか見えないのだ。人間を殺さず、情報を得たい、暁の3兄弟と対立するのは、あたりまえのことだろう。
ダニルは、なにか強い口調でチョッパーたちに語りかけている。叱りつけていることは、その口調から推測できる。それを聞くチョッパーたちの顔は、かなり不満気だ。
「しょうがないダス。我々で牢屋に連れていくダス」
「そのほうが安全そうダニな」
少女の3方を固めるようにして、オークは歩き出した。
一方、少女は、とりあえず命に危険はなさそうだということに、胸をなでおろしていた。
一応、この3兄弟が、この巣の中の最高権力者のようではあるし、捕まっている残りの人たちが尋問(なのかどうかも疑問だが)を受けている間に、助けもくることだろう。
第一、オークの探す「至宝」は、人間が作れる程度のものらしい。
もしかしたら、黄色くて丸い物が何だか解明できるかもしれないし、どことなくお人よしな雰囲気がある、この3匹のことだ。目的を果たしてしまえば、捕虜を開放することだって、十分に考えられる。
だが、しかし。世の中そう上手くいくものではない。
ゴン、ゴン、ゴン!!
なにか硬いものが、硬いものにぶつかるような音が響いた、次の瞬間。少女が目にしたのは。
地面に倒れ気絶した、暁の3兄弟と。
にやりと笑う、オークチョッパーの顔。
そのとき、少女は、事態が絶望的な方向に動き出したことを、はっきりと悟った。
4