ソレン、という種族を知っているだろうか?
その姿は、まるで巨大な蟻を、人間と掛け合わせたようであり、蟻とよくにた生態系をもつ彼らは、数年前、突如ブリタニアの各地に出現した。
地下に蟻のようなトンネルをほり、地続きであれば、どこにでも出現するソレンたちに、人々は対処するすべを持たず、一般市民にも、多数の被害がでた。
だが、勇気ある冒険者たちは、ソレンの巣の奥深くに潜入。そして、ソレンの女王と、交渉の場を持つことに成功した。彼らが手に入れた情報により、ソレンたちが凶暴化しているのは、地下水の汚染が原因であることが究明され、さらに多数の冒険者の活躍により、地下水の浄化は成功。ソレンたちの襲撃は、こうして終結したのであった。
だが、しかし。
ソレンたちは、自分たちの巣穴に撤退したものの、各地に彼らのほったトンネルの跡が残された。その多くは、風雨にさらされ崩れ去ってしまったものの、完全な形で残っているものも、まだまだ存在する。
そして、そういうものが残っていると、有効利用してしまおうとする連中も現れるわけである。そう、たとえば。
(それにしても、これまた、うまく使ってるもんだねぇ)
そう心の中でつぶやく、フィンの視線の先には。森のなかにできた、小さな広場と。その真ん中にあいた、なにやら大きな穴。そして、その穴を警備しているように見える、3匹のオークの姿があった。
そう、ちゃっかりと、ソレンのトンネル跡を利用しているのは、例のオークたちなのだ。
入り口を、オークたちにでも入りやすいように、きれいに整えたり、周りの石ころを片付けたり、快適にすごせるように、工夫をした跡が見える。
だが、その工夫のしかたがひっかかる。
(なんか、オークらしからぬ環境整備の良さだよね)
まぁ、そんなことは、いまはどうでもいいことだ。フィンは身を翻すと、穴とは反対方向に走った。ふっ、と木々の間に、フィンの姿が現れる。今まで、インビジリティの魔法で姿を隠していたのが、動いたことで魔力が解けたのだ。
そのまま、一気に仲間たちの所まで、走り抜ける。
「あ、どうでした?フィンさん」
ソレンの穴の近くにある大樹の根元。そこに定めた待機場所で、最初にフィンを出迎えたのは、ドラゴンを意匠化したような鎧を纏った、ひとりの青年だった。その鎧の色は、まるで炎のように赤い。
龍鱗鎧(ドラゴンスケールアーマー)。それが、その鎧の名だ。ドラゴンの鱗を使い、達人級の鍛冶師のみが作りあげることが出来るという、かなり貴重な品である。
龍鱗鎧一式を身に付けると、その外見は、まるで直立したドラゴンのように見える。相対した者は、まるで本当のドラゴンに睨まれたような、そんなプレッシャーを感じることだろう。
だが、それも着る者がきれば、の話である。その青年・・・タカシが、いくつもの戦場を駆け抜けた、歴戦の戦士であるからこそ、龍鱗鎧の性能を十二分に引き出せているのだといえよう。
「見張りは3匹。スッシーの報告は、さすが正確だねぇ」
「まったく、オークのくせに見張りを立てるなんて、似つかわしくないことをしてくれるもんだ」
タカシは、ドラゴンの頭部を象った兜の下で、口を皮肉げにゆがませた。
「そんなこと言うもんじゃないよ〜、タカシさん。オークだって考える頭はあるんだから、見張りくらい立てる知恵は働くよ」
と、大樹の根元から、ノンビリとした女性の声が響く。
「考える頭はあっても、思考より本能を優先するのが、オークってもんでしょう、リーさん」
「それもそうだね」
リーと呼ばれた女性は、長い栗色の髪を梳りながら、コロコロとした笑い声をあげた。そして、手にした空色の羽付帽を、そっと頭に乗せる。
彼女の本名はリーディティというのだが、ギルドの仲間からは、主に「リー」または「リーディ」と呼ばれている。その顔立ちや、雰囲気は、貴族の令嬢といった感じなのだが、その実、かなりの剣の使い手だ。腰に下げられた、だいぶ使い込まれた様子の肉厚の剣を見て、外見とのギャップを感じる者は少なくないだろう。
「たった3匹なんだから、さっさと片付けちゃおう」
リーの近くで、大樹に寄りかかっていたハジメの口調には、修羅場をいくつも潜り抜けた、経験豊富な戦士特有の、余裕のようなものが感じられた。
「だめだめ、それじゃあ」
リーとはべつの、女性の声がハジメを諌める。その声色は、氷のように冷たくもあり、高原に吹く風のように、涼やかでもある。
「フレイヤさんの言うとおり、慎重にいかなきゃだめだよ」
血気盛んな若い戦士に、微苦笑を浮かべつつ、フィンはフレイヤと呼んだ女性のほうに視線をむけた。
身に着けた赤い皮鎧は、胸と腹を包むのみで、肩から腕にかけては剥き出しになっている。そこから見える肌も、そして顔も、病的なまでに白い。フレイヤを一目みた人間は、まずそこに眼が行くはずだ。
別に病気なわけではない。これは、「吸血鬼化」といわれる、死霊魔術を極めた者のみが使うことができる「変異魔法」のひとつの影響なのだ。
魔術師たちが使う、見せかけだけのものとは違い、死霊魔術のそれは、変身した魔物の能力まで手に入れることができる。しかも、その効果は、死霊魔術師自身が死に果てるまで、永遠に続く。
フレイヤは、人間の暖かな肌色を捨て、死者の王でもある吸血鬼になることで、高い魔力を手に入れていた。
力を得るために、人を捨て、魔へと走る。この選択は、一般の人々たちから見れば、受け入れがたいものはある。だがギルドの仲間たちは、特に気にすることなく、彼女と接していた。
世のモラルには反していようと、彼女は邪悪ではない。そのことを、しっかりと理解しているからだ。
フィンに眼で促され、フレイヤは言葉を続けた。
「へたにオークに手を出して、襲撃されたことを知られてみなさい。さらわれた人たちが、ひどいめに会うこと請け合いよ」
きれいに一本に編んだ長い銀髪の先端を指に絡ませながら語るフレイヤの姿は、なぜかどことなく艶めいたものがある。
「ま、そういうことだね。とりあえず、スッシーのおかげで、商人さんたちの正確な場所も、分かって・・・」
そこまで口にして、フィンはようやく気がついた。そういえば、スッシーがいない。
きょろきょろと辺りを見回す。ふと、視線の端で、茂みが動いたような・・・気がした。
「そこかぁぁぁ!!」
ひょう!という風切り音とともに、フィンの手から小石が飛ぶ。ガサガサガサ!激しい音とともに、小石は茂みに飛び込んだ。
そして、待つこと数秒。
反応は特になし。
フィンは、突然なにかを思い立ったかのように、パタパタと服の埃を払うと、空を見上げてこう叫んだ。
「いやぁ、太陽がまぶしいなぁ!!」
空は思いっきり曇り空なのだが。
「・・・・なにしとるんだ、あんたは」
木の上から、まるでデシートに吹く風のごとく極寒の声で、一人の男がフィンに声をかけた。話題の男、スッシーである。
本名は、スシニンジャ、という名前なのだが、長いうえに、どうも発音がしにくいため、皆には、スッシーやら、スシやら呼ばれている。
つばの広い帽子に、暗めの色の革鎧を身に付けたその姿は、いかにも身軽そうである。さらに、ただ枝に座っているだけだというのに、まったく隙というものが感じられない。
彼の得意とするものは、隠密行動。その穏業の技は、達人クラスにまで達しており、すでに魔法的なものにまで昇華されている。その特性を生かし、今回は巣穴の中に単独で潜入し、偵察をしてきたわけなのだ。
「ふ、やるなスッシー!茂みから木の上まで、一瞬で移動するとは!」
びし!とフィンの指先が、スッシーに向けられる。
「いや、初めからここにいたんだけど?」
冷静なツッコミ。あまりに冷静すぎて、炎の精霊でさえ凍りつきそうだ。
びし!と伸びていたフィンの指先が、ふいにぽとんと地面を向く。そして、くるりと180度後ろを向くと。
「まぁ、それはそれとして・・・だ」
フィンは重々しくいった。
「「「誤魔化したな」」」
皆の異口同音の声が響いたような気もするが、 それは聞こえないフリをするのがポイントである。
「さっきのスッシーの報告だと、とりあえず、捕まった人たちは、全員無事みたいだ」
これは、かなり異常なことだった。オークの大好物は、人間の生肉である。普通、これだけの人数が捕まったら、一人や二人は食べられてしまってもおかしくはない。
「なにか、やつらに思惑があるのかな?」
リーが小首をかしげて、つぶやいた。もちろん、フィンも、何かがあるとは考えている。だが、とりあえず今は時間がおしい。
「今は無事でも、これからどうなるかはわからない。だから、そろそろ巣穴に突入しようかと思う」
「いよいよだな」
タカシは不敵に笑うと、腰の剣を鞘から引き抜き、その刃を確かめた。刃からは、オレンジ色の光が、刃を染めるかのごとく濃さで放たれている。遠目からみれば、炎を放っているようにも見えるだろう。
実際に、その剣には強い炎の魔力が込められていた。この剣に切られれば、どんな固い鎧も意味を成さない。鉄の鎧で、炎の刃が防げるわけがないのだ。
「まぁまぁ、そう慌てないで」
皆を落ち着かせるために、わざとノンビリとした口調を使いながら、フィンは言葉を続けた。
「これからの段取りを説明するよ。まずは・・・」
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