さら。
頬をそよ風が撫でていく。
ほどよく冷えた森の空気を肌で感じ、フィンは閉じていた眼を開いた。とたんに、まぶしいほどの陽光が眼に飛び込んでくる。
何度か瞬きを繰り返し、ようやく光に目がなれたフィンが見たのは、見覚えのある石造りの建物だった。
その建物の名前は、イェフ亭。ベスパー、ミノック間の街道沿いにある、ギルドefの拠点とされている、森の中の小さな酒場だ。どうやら、先ほどのゲートは、ここの前に繋がるものだったらしい。
少し首をめぐらすと、さきほどまで捕まっていた商人たちが、イェフ亭の横で放心したように座り込んでいるのが見える。
「なるほど、だからのびちゃんとグニは・・・」
「あそこに直行できたわけでつ」
いつのまにやら隣に立っていたノビタが、言葉を続けた。
ゲートトラベルの魔法を使うと、魔法を使った側だけでなく、転送先に選んだ場所にもゲートが出現する。そのゲートを通れば、ゲートトラベルを使った側に行く事も可能だ。
グニとノビタがあそこに行けたのも、ハジメたちが、ここに繋がるゲートを開いていたからなのだ。
「しかし、危機一髪だったね。もう一歩遅れてたら、埋もれてたところだよ」
板金鎧を土埃で汚した戦士・・・ハジメが、軽い口調でフィンに話し掛けた。だが、口調はそれでも、さすがに疲れは隠せないらしく、立てたハルバードにすがるよう立っていた。
「そのとおりだ。感謝しなさい、フィン衛門!」
「はいはい、感謝してるってば」
胸をはるスッシーに苦笑を浮かべつつ、フィンはゲートに飛び込む寸前の光景を思い返していた。あの崩壊に巻き込まれていたら、と考えると、背筋が寒くなるのを感じる。
洞窟に突入した他の面々も、疲れ切った表情ではあるものの、無事に脱出したようで、あちこちの地面に座り込んでいた。なぜかフレイヤだけは、体に汚れ一つつけずに、涼しげに立っていたりするのだが。
商人たちを助け出すことにも成功したし、仲間たちもみな無事に戻ってきている。三流詩人が語る冒険談のごとく、完璧なハッピーエンドといえよう。
「とりあえず、めでたしめでたし、かな?」
「・・・ところが、そうはいかないようじゃよ?」
グニはそう言うなり、ぴっとフィンの背後を指差した。その指先を追うように、フィンは後ろを振り向くと。
「・・・・・・」
ちょっとだけ、困ったように首を傾げた。
そこにいたのは、3匹のオーク。格好から察するに、オークロードとオークチョッパー、それにオークメイジだろうか?まるで崩れた積み木細工のごとく、重なり合って地面に倒れている。
「・・・はっ!」
と、ようやく気がついたのだろう。一番上に乗っていたオークロードが、上体を起こした。まだ意識がはっきりしないのか、ぼんやりと周囲を見回している。
唐突に、オークロードの視線が、一番近くにいた人間・・・フィンのところで止まった。オークにしてはつぶらな瞳が、二度三度と瞬く。そして、次の瞬間。
「二人とも、起きるダニ〜〜〜〜〜〜!!」
妙に甲高い声が、静かな森に響き渡った。そして、その声を合図にしたかのように、残る二匹のオークたちが、バネ仕掛けの人形のように跳ね起きる。
「人間の巣窟に飛び込んでしまうとは、なんてことダニ!」
本人にしてみれば、かなり格好良いことを言っているつもりなのだろう。なんとなく、自分のセリフに陶酔している様子さえ伺える。だが、聞いている人間には、微笑ましくしか聞こえないのは、なぜだろう?
そんな人間たちの感想を知ってか知らずか、3匹は素早く横一列に並んだ。
「人間どもぉ!我らの名前を、しっかと胸に刻み付けるダニ!」
「ダニ」のあたりで、3匹は流れるような動作で、各々のポーズを極めた。小さな拍手をしているのは、たぶんリーディ。
「我輩の名は、ダニ・・・」
「ふんじばっちゃえ」
フィンの冷静な指示が飛ぶ。
どたどた、ばたばた。
「・・・・・で、あんたたちは、黄色くて丸い食べ物を手に入れるために、隊商の人たちをさらったわけね?」
「ははははいぃぃぃ、そうダ・・・もとい、そうですダニ!!」
「だから、人間を食べるつもりはなかったでゲス〜!」
フィンの号令のもと、オーク三匹がまとめて簀巻きにされたのが、5分前のこと。そして、5分間の尋問で、オークたちはすっかり怯え切った子羊と化していた。
ちなみに、尋問の主導権を握っていたのはフレイヤ。はたして、どのような尋問が行われていたのか。それは、想像しないほうが身のためというものだ。
「オークって、短絡的だしな。いくらボスの命令でも、好物の人間を食べるな!なんて言われたら、反乱のひとつでも起こすよな・・・」
タカシは納得したかのように頷いた。
部下のオークチョッパーに殴られて気絶した3匹は、巣の奥に放置されていたらしい。意識を取り戻したあと、上が騒がしいのに気がつき、様子を見にきたところ、突然巣が崩れ始め、あわてて目の前のゲートに飛び込んだら・・・。
まぁ、こうなったというわけだ。
「黄色くて丸いもの・・・かぁ?」
ハジメが首を傾げる。黄色くて丸い食べ物など、世の中にたくさんありすぎて、まったく検討が付かない。
実際のところ、オークたちの企みを知る必要は何もない。だが、オークたちが欲するものは何なのか、好奇心をくすぐられ、フィンたちは尋問を続行していた。
「ほかに何かヒントはないのかなぁ?」
くぃっとダニルの顎を持ち上げると、フレイヤはキスしてしまいそうなほど近距離でささやいた。ダニルの顔はというと、まるでフレイヤの息の中に、毒花の香りでも嗅いだかのように、青ざめている。
「甘いんダス、とっても甘い食べ物なんダス!!」
半ば失神状態のダニルにかわり、ダスラが必死に叫ぶ。
黄色くて丸くて甘い。だいぶ絞られてきたが、まだまだ特定するには至らない。なにせ、オークたちを夢中にさせるほどの代物だ。食べ物にしても、かなりの至高の一品に違いない。
「甘いもの・・・甘いもの・・・」
そう呟いていたリーは、ふと、イェフ亭の前に積まれている袋に目をとめた。そういえば、さっきから、そこから甘い香りがするような気がする。
「ああ、あれはでつな」
リーの視線に気付いたのか、ノビタは袋に近づくと、その口を開けた。
「今度、イェフ亭で出そうと作ってきた、マフィンでつ」
ギルドメンバーで経営している酒場、イェフ亭では、ノビタは主に厨房を取り仕切っている。客に出す料理の全てを彼一人で作っているのだが、その味の良さには、かなりの定評があった。
袋の中から取り出してみせた箱詰めのマフィンも、きれいなキツネ色に焼けた表面といい、芳しい甘い香りといい、見事な一品だ。
そのときだった。
「ああぁあああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
オークたちが一斉に大声をあげ。
「黄色くて丸いものぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
縛られていたロープを引きちぎり。
箱をノビタから奪い取り、逃げ去っていったのは。
その間、およそ5秒。まさに、神業といえるスピードである。オークの食い意地恐るべし、といったところか。
「なんて速さじゃ・・・」
呆然と、グニが呟く。
「メニューがひとつ、消えたでつ・・・」
箱を手に持った姿勢のまま固まって、ノビタはオークたちが走っていったほうを、見つめていた。
「黄色くて丸い物って、マフィンだったの・・・」
リーが呆れるのもムリはない。隊商を襲撃してまで求める食べ物なのだから、どんな高級品なのかと思いきや、一般的なお菓子であるマフィンの事だったとは。
スシは、帽子を脱いで、クシャクシャと髪の毛をかき回すと、あまりやる気を感じさせない口調で、フィンに問い掛けた。
「追いかけるか?」
「・・・なんで?」
「・・・・だよな」
訊ねたほうも、訊ねられたほうも、お互いがどう答えるか分かりきっている。そんな受け答えだ。
そしてそれは、口には出していないものの、この場にいる面々の、共通した意思でもあった。
はっきりいって、彼らを追いかけても一銭になるわけでもない。それに第一、マフィンごときに夢中になるオークに、大したことなどできなさそうだ。
「なんか、あいつらとは、またどこかで会うような気がする」
ハジメの言葉に、皆一斉に首を縦に振ったものである。
「・・・捕まえて、見世物にでもすればよかったかな?」
そう呟く不届き者も、いたりするのだが。
「お〜い、みなさん〜!」
と、少し離れた木陰にいたシンシアが、背伸びをしながら、手を大きく振った。
「女の子が、目を覚ましましたよ〜〜!!」
シンシアの足元では、さきほどまでシンシアの膝枕で横になっていた少女・・・フィンが背負って逃げ回っていた、銀髪の少女が、ちょこんと座り込んでいた。
たちまち、さきほどまでオークをかまっていた面々の人垣が、二人の周りに出来上がった。
「良かった、眼を覚まさないのかと思った」
そう胸をなでおろすハジメだが、それとは反対に、少女の顔は引きつっていた。
それはそうだろう。目覚めてまだ朦朧としているときに、鎧兜で武装した知らない男たちに囲まれたら、誰だって怖い。
「こらこらこら、迫らない迫らない」
兜をかぶったハジメとタカシの頭を、ぺしぺしと平手で叩きながら、フィンは二人の肩越しに、少女を覗き込んだ。
少女と視線が合う。どうやら、少女のほうも、フィンを見ていたらしい。思わず、フィンはその瞳を覗き込んでいた。やはり、どこかで見たことがあるような気がするのだ、この少女を。
「あの・・・・」
意を決して、フィンは少女に声をかけようとした、のだが。
「・・・・・・・・!!」
突然、少女は立ち上がると、フィンの体に抱きついた。
「・・・うぇあ、い?」
予想だにしなかった事態に、フィンは思いっきりうろたえていた。周りの仲間たちも、同じ気分なのだろう。目を点にして、フィンと少女を見つめていた。
「とととっととととりあえず、落ち着いて落ち着いて〜」
自分に言っているのか少女に言っているのか分からない台詞を吐きつつ、フィンは必死に事態を収拾しようとしたのだが。
まるで赤子のように、少女が泣き出し始めてしまっては、もうお終いである。そんなお手上げ状態に、さらに追い討ちをかけるように。
「さ〜て・・・・」
後ろから、静かな、それでいて重々しい女性の声が響いた。そのとたん、ぎくり、とばかりにフィンの背筋が、これ以上ないほどまっすぐに伸びた。
「その子が、どこからどうして来て、そんでもってなんで泣いてるのか・・・」
ぎろり、と鋭い視線がフィンの背中を貫く。
「じっくり説明してもらいましょうかぁ〜?フィ・ン・さ・ん?」
フィンの背後に仁王立ちするのは、白い帽子に白いドレス、シルバーブロンドの頭髪を、きれいにカールさせた年齢不詳の美女。
ギルドefのギルドミストレス、シヴィル嬢その人だ。
「面白い所に行こう」の一言で、ギルドメンバーを死地に連れ出すのを趣味とし、「敵前逃亡は射殺!」と強敵を相手にするときも逃げることを許さない。
さらに、彼女の怒りを買った者は、三日三晩寝込んだ後、親子三代に至るまで続く呪いをかけられると言われている。
まぁ、そのあたりは、幾分誇張が混じっているような気がするが。とりあえず、それだけ恐れられているということだ。
フィンにとっても、「師匠」とも言える様な人物であり、彼女に連れられた修行で死に掛けたことは数知れない。そのおかげで、現在の戦闘能力があるとも言えるのだが。
もちろん、そんな人物に、フィンが頭が上がるわけがない。
そして、このような現場を見られた以上、下手な言い訳などできるはずがない。
まさに、前門の虎、後門の狼。そんなフィンを見て、フレイヤはぽつりと呟いた。
「・・・修羅場、だわ」
「ちがうだろぉぉぉぉぉぉぉ!!??」
フィンの悲痛な叫びは、ミノックの森へと消え去っていったのだった。