今月の本 2605号 関白秀次の切腹 矢部健太郎 著 [https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I027186898]

(今回はメルマガ発行後の誤字脱字の訂正や状況の変化や説明を加えたい点について随時加筆しています。)




 





今月は歴史関連の新書です。 割合話題になったので、知っている方も多いのではないのでしょうか。

選んだ理由はそれまでの定説とはだいぶ違いますが、 私もこの説にほぼ賛成だからです。

最近歴史の定説がころころ変わっています。 おかげて私も歴史好きだったので過去に集積した自分の 定説がひっくり返されることが多くなりました。

そこで、自分なりに再検討してみようと まずは一番詳しかった秀吉関連について AIを使って調べはじめました。 今までに述べたように、 AIはまったくの間違いを平然と提示するのですが、 比較的詳しい分野なので間違いの多くに気がつくことができます。 そうして、AIの想像を潰しながら調べた結果、わかったことは、 どうも秀吉は政権を把握できていなかったようなのです。 秀吉が独裁者として振る舞っていたように小説やドラマで 描かれていますが、どうも違うようです。 たとえば、スペインや朝鮮との外交文書も秀吉にとって 都合がよいように改竄されています。 なので、秀吉は、北条を倒して東北諸将が服従してきたように、 日本を統一した自分の威によって朝鮮国が降伏してきたと思ったので、 だったら次は明を攻めようとなったわけです。 そして、道案内を朝鮮国に命ずるわけです。 当然、朝鮮国にとっては寝耳に水なので戦争となります。 ここで重要なのは、秀吉はモンゴルのように相手の国を攻め滅ぼそうとしたわけではなく 日本の大名と同じように、自分の勢力圏に組み入れようとしていたということです。 信長や秀吉がなぜ急速に領土を拡大できたのかというと、 それは攻め込んだ先の民への略奪を禁止したからです。 木曽義仲のようなことをするとあっというまに 反感をかって統治もうまくいかず失敗します。 おそらく信長は木曽義仲の二の舞は踏むまいとしたのでしょう。 ですから新しい占領地の民にすんなり受け入れられました。 信長が京都を手に入れた直後の京都奉行を担当していた 秀吉も当然その理は熟知していました。 ですから九州攻めや北条攻めでも自分で食料を持っていきましたので 略奪などしなかったのです。なので島津勢などもその後秀吉につくします。 北条攻めのときなど、あれだけの大軍を維持するだけでなく、 新しい城を建てながらなおかつ諸将は遊興に浸ることのできるだけの 余力のある兵站を構築して維持することをやってのけました。そのシステム力に、 諸将は兜を脱いだということだと思います。 当然朝鮮攻めのときも秀吉は、同じように十分な兵站物資を集めて、 略奪しないようにと命じて攻め込ませてます。 ところが、朝鮮の反撃によって制海権を奪われてしまいました。 実はこれが致命的で、北条攻めのときも海軍が制海権を抑えて 船で補給していました。船が使えないと陸路をいくしか ありません。しかし、韓国や日本の時代劇を見ればわかりますが、 平安時代を除いて貴人は輿かカゴで移動しています。道が悪くて 車を使えないのです。そのため陸路で長い兵站線を維持するのは 不可能なのです。上記兵站システムの責任者の三成は、 そのことを現地で把握し秀吉に戦線の維持は難しいと 計算式を使って論理的に報告したようです。 しかしそのとき、海軍が負けて補給船で運べないからという 本当の理由は隠して報告したようです。 なので、秀吉は海軍は戦うなみたいな命令を だして海上からの補給問題には対処しようとしていません。 そして、秀吉は補給ができないならと撤退の願いに同意します。 そして撤退の同意を得た現地の三成や奉行衆は 現地の兵隊を飢えさせないために勝手に略奪を許可します。 そして、許可された大名たちは信長秀吉風ではなく戦国風の普通の 戦い方でよいんだと物資だけでなく人員も略奪して 朝鮮半島の方に悲惨な被害が発生するのです。 (もっとも中国や朝鮮の義勇軍なども戦国式のやりかただった ようでそっちからも朝鮮の民衆は大きな被害を受けたようです。 いかに信長のやり方が常識はずれでとてつもない統制力を 必要としたかが推察できます。同時に信長秀吉も必要とあれば撫で斬りという 抹殺命令はだしますので、現代的人道主義でもないことは一応記しておきます。) その間も秀吉は諸将に農民を大切にせよという命令書を 送っています。民を敵にまわしたらその国を手に入れられない ということを、社会の最下層からのし上がった秀吉は理解していた のでしょう。しかし。武士階級出身で官僚生活の長い三成にはわからなかった のでしょう。自軍の兵站の辻褄を合わせることしか頭になかったと思います。 そして、秀吉はまさかあれほど優秀な三成がそんなかんたんなことも わからないとは思っていなかったのだと思います。 そして、小西行長や石田三成は戦争を集結させる行動を勝手に始めます。 今度は明の大将に賄賂を贈って仲間にして、明の皇帝と秀吉を同時に騙す 文書を偽造するのです。明には秀吉が降伏したという文書が送られて、 その降伏を認めて秀吉を日本国王とするという文書と使者が日本にやってきます。 行長と三成は通訳でうまくごまかそうとしたようです。 しかし、外交時に何度もだまされている秀吉も流石に怪しいとおもったのか、 三成たちのゆうことを聞かない石頭の僧侶を秀吉が通訳として伴ったことにより すべての欺瞞があきらかになり、 烈火の如く怒った(その結果敵対する地域に対する抹殺命令までだしているようです。 ただ、味方の地域にはまだ百姓を大切にせよという命令をだしています。 なので、根来衆を抹殺することで高野山が無傷で降ってきたような効果をねらったのでは ないかと思うのですが、結果的にそのようなこともなく、朝鮮の方には大きな苦難が押し 寄せただけでした。 さらに部下を信頼できなくなった秀吉は、敵を倒した証拠に耳や鼻を送るように 指示します。その結果戦いに関係ない多くの民が被害にあいました、 それでさらに朝鮮の方々には苦難が押し寄せることになったのです。) 秀吉によって二度目の朝鮮の役が発生するのです。

これが、秀次が切腹する前後にあった事象です。 このように、秀吉の命令は実行されないは、 正しい報告はこないは、 部下が秀吉にバレなければ とかってなことをしています。

この状況はまさにこの本が示す 秀次切腹前後の事象(秀吉が表にでず主導的に行動していない)とも合致するのです。 なので、ぜひ読んでこの時代の新たな見方を 得て貰えばと思います。

秀吉は信長のような上役に仕える能力は天才的でしたが、 部下を統率する能力は平凡だったということではないかと 思います。 あれだけのスピード出世したら無理もないことです。 家康のように吾妻鏡を研究する時間的余裕もなかったことでしょう。 黒田官兵衛の能力に恐れをなして距離をおいたことも原因だと 思いますがそれも劉邦のときとそっくりで 家康はそういう例も学んでいたことでしょう。 その結果、上記の問題を解決するために すべての役に目付というスパイがつくという 司馬遼太郎があきれるような 制度を江戸幕府はつくりあげるのです。 (それでも300年しか組織はもちませんでしたが。)

ついでにこの本で 私の考えと違うところを 一応述べておきます。どちらが正しいかこの本を読んで知的冒険をしてみてください。

まず、福島正則が切腹を看取った使者に入っているのですが、 私は入っていないと思います。 割合記述が正確と思われる公家の日記に載ってないのです。 そしてその一行の可能性のある人物中に福原長堯という人物がいます。 私はそれが市中の噂で秀吉の家臣で福がつく人は誰だっけという 連想の中で福島正則となって、そっちの方が有名なので それで定着したのでは、と考えています。 実際秀次切腹後の論功行賞では、 石田三成がもらうはずだった領土を 福島正則がもらっているそうです。 そのためよけい噂の信頼性が高まったことでしょう。 おそらく噂を知った三成が正則を身代わりにして 自身への批難を防いだのではないでしょうか。 そうなると、秀次事件に関わっているのは ほとんど奉行衆ということになります。 先の福原長堯氏は三成の親戚なのです。

そしてそうなると、 秀次の妻子抹殺も別の見方がでてきます。 この小さい子供でも逆らいそうな血筋を断つというのは 頼朝を想起させます。 頼朝は自分は小さい子どもでも反逆の意思を持っていて実行したのを実感 しているので、小さい子供であってもゆるさなかったのです。 豊臣一族で一番そういう思考になるのは淀君だったと思います。 小さい子どもの状態で父や兄弟を処刑したとされる人物に 嫁いだのです。頼朝と同じように小さい子どもでも 油断ができないと考えたのではないでしょうか。 そして自分が女性であったので女性であってもとなったのではないでしょうか? そして、浅井家閥の石田三成を利用して奉行を 動かしたのではないでしょうか。

あくまでもAIと私の想像込みの推論ですが、 自分としては割合納得がいくものになっていると思っています。 ただ同時に完全な正解にたどり着くことは歴史を調べていて あきらめています。なにしろ誰も記録を残さないのです。 堺の出来事を奈良で書かれた日記で確認しなければ ならないのです。しかも新聞社のように記録する責務を 負った人物ではなく、たまたまその人物が見聞きした 事柄がのるという感じの日記をたよりにしなければ なりません。おかげで宣教師は割合くわしい記録を 残しているのですが、日本にそれを補完する記録がないので 精度がわからないのです。 正確な歴史的事実までたどり着くのは不可能です。 あくまでも可能性を示すだけです。

みなさんも他人事だとおもわずに、日記をつけて国会図書館へ 寄贈してください、そうしないと現在も将来の 歴史家が正しい答えを導くのに四苦八苦することに なることでしょう。

では、また来月に。

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