しわ・あわせ
私室へ戻る道すがら無意識に首を廻すと自分でも
愕然とする程賑やかに首が鳴った。しかも殆ど人が
居ない様な時間帯だから軽い残響までおまけについ
てくる。全く持って我乍ら情けない。誰のせいだ誰
のと何とはなしに考えるとどうしても浮かんでくる
顔がある。が、その顔を連想するのは大変危険だ。
特に気の緩んだ時には。
そして私室へいざ入ろうとした瞬間、背筋を何か
妙な予感が逆撫でする様に走り抜けた。この気配は
…と記憶を探り、もう一度確認する様に指折り数え
てみる。平仄は合う。自分の記憶にも確かにある。
問題は整合性があるかどうかだが、事象は日々進化
するものだから整合性も進化してゆくものなのだろ
う、恐らくは。
と、ここまで考えてから私は私室の扉を開き、一
歩踏み込んだ。
果たして、それはちゃんと居た。
私の用意した浴衣を素肌に纏い、長椅子にだらし
なく寝転がって天井を眺めながら、穴掘りシモンは
そこに居た。
「よう」
「ああ」
足元の隙間に腰を下ろし、とりあえず一息つく。
その一部始終を観ている眼が静かに笑う。
「流石に疲れたか」
「ああ。誰かさんがきっちり仕事を残して行った
お陰でな」
「そんな酷い奴が居たのか」
「……言っていろ、馬鹿者が」
とりあえず上着を脱ぐと、少し骨ばった肉布団の
上に寝転がる。骨ばっている割に呻き声一つも上げ
ず体を支えるこの肉布団、全く持って厄介だ。
「へへ」
「何だ?」
「悪くないな、この重みは」
「お前なぁ」
これが年一回は訪ねて来る様になったここ十年と
言うもの、これの前で丁寧語を使うのは止めた。多
分、お互いにその方が寛ぎ易いからだ。彼是遊びの
幅を広げる歳でもないし。
「髪、いじるな」
「嫌か?」
「まだ汗を流してない」
「後で流せば良いやな」
「……嗅ぐな、馬鹿」
「ここ暫くロシウが足りなかったからな。注射み
たいなもんだ」
「……勝手にしろ」
問題は私自身がその行為に不快感を覚える所か快
感を覚える点だ。そう言う感覚には元々疎い方だか
ら恐らくいい加減枯れたのだろうと思っているのだ
がこれの前では話が違ってくる。同衾でもしていれ
ば恐らく二人して静かに枯れて行き穏やかになった
のかも知れないが、なまじ距離感を置いているもの
だから降り積もった感情の折の爆発が激しいものに
なりかねない。
平たく言ってしまえば、早く抱きやがれこの野郎
!と言う事になる。
シモンにしてみればこうしている間も腹の探りあ
いと言う事ではなく、私との色々な距離感を埋める
為の儀式と言う感覚なのだろう。無骨で不器用な癖
にそう言う情には細やかな漢だというのは、よく知
っているつもりだ。
そう。その細やかさはカミナ譲りなのだろう。カ
ミナは多情な様に思われて居たのやも知れないが、
彼が本当に心から想ったのは二人だけなのだろうと
私は今でも確信している。一人はシモンだとして今
一人は?答えるまでもあるまい。
そのカミナの魂を分かち持った漢に私は今でも惚
れているし、率直に言えば欲情している。これはも
う不治の病の域だな。
そこに一抹の捨て鉢な気分も正直ある。
この十年、一年につき一夜は寄り添っていたとし
ても後の三百六十四日一人寝の夜を私は過ごすのだ。
これ以外の肉布団を試す?否。その選択肢は私の中
には端から存在しない。それ以前の十年なぞ顔を合
わせたのは確か三回だ。
幾ら役割とは言え、七千二百九十一夜の孤独を味
わうのは正直きついものがある。対する十三夜に万
金の価値があると考えたにしても、だ。
稀少な逢瀬だからこそ飢えてがっついたとしても、
それは赦される事だろう?
「明日、だな」
シモンの一言でふと職務上の気持ちに戻る。
改めて穴掘りシモンの顔を見遣ると、不敵な笑みが
帰ってきた。
「ああ、明日だ」
当たり前の返事しか返せず、そしてハッと思い至
る。……この野郎。
「お前が信じて後を託した連中も居る」
「ああ、そうだな」
「そして、私はお前を信じている」
「ああ」
「だから、大丈夫だ」
告げると同時に身を起こし、ゆっくりと唇を奪う。
情に厚いのは大変有り難いが、不器用の余りに廻り
くどくなるのは戴けない。
「信じているなら大人しく遠くで見守って居やが
れ。思わせぶりに帰って来ないで」
「……言ったろ。ロシウ不足だと」
「そんなに足りなきゃ、今夜は存分に呉れて遣る
さ。どちらからもな」
「面白ェ。返り討ちにしてやるさ」
照れ隠しの脂ぎった会話。全く我乍ら始末におえ
ない恋をしているものだ。
そして、部屋に満ちてゆく衣擦れと呼吸音。仮眠
して起きる自信がないならば徹夜と言うのも一興だ
ろう。
(了・2008-7-3)
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