契り、一瞬
ほの暗い闇の中で、俺は只熱い気配だけを感
じていた。その熱い気配の影響で自分の体まで
滾っているのが判る。その滾りに身を任せてし
まいそうになるが、別の気配を感じて慌てて我
に帰り、そして、再び熱い気配を見守り続ける。
そう。今日は俺の弟子を選ぶための試練の日
だ。
『もうそろそろそなたも弟子を取って良い頃
じゃろう?』
四聖を統べる長老からこう打診されてからは
や二年。弟子を取る踏ん切りがつかなかったの
は俺の理想とする技量と俺の普段の実力とが釣
り合っているとは到底思えなかったからだ。
正直に言えば年齢から来る躊躇いもある。
確かに今こうしている四聖の一人、朱雀を統
べる者としての俺にはそれなりの力があるのだ
ろう。しかし、それは今この場でそうであると
いう話で実際の俺はといえばたかだが十数年程
度しか生きていない餓鬼だ。卑下するつもりは
ない。自覚はある。
そう言う半端な立場の人間が果たして弟子を
取るという挙に出て良いものか、正直迷う。
「天剣」
長老に呼び止められる。多分、弟子の話だろ
うからと流すつもりだった。永遠に逃れようと
は思わないが、今の俺には正直荷が重い。
「なんでしょうか」
「そなたが弟子を取るという件だがの」
そらきた、と思い軽く受け流そうとする。
「その事でしたら今までも散々申し上げて来
た筈です。今の俺には」
「早過ぎると言う言葉も聞き飽きたわい。そ
なただけじゃ。四聖の中で弟子を取らずに未だ
己のみを律し続けておるのは」
「恐れ入ります」
「褒めてなぞおらぬわ!」
今回は珍しく一喝が飛ぶ。怒号が雷に発達し
ないうちに退散しようと回れ右をした俺の背中
越しに長老の含み笑いの声が掛かる。
「おぬしが決めぬからの、わしが段取りをつ
けたわ」
「……え?」
「何呆けた顔をしておる」
「段取り、と言いますとあの段取りでしょう
か?」
「どの段取りの事かの?」
コンノ狸爺が!と腹の奥底で罵りながら何と
か冷静に問い質す。
「俺が弟子を取る段取りがどうとか」
「四聖に弟子がおらぬでは余りにもお粗末だ
からの」
含み笑いのからかい口調から一転して厳しい
長の顔になる。
「戦いの日は迫っておる。力を持つ者は一人
でも多い方が良いのじゃ。人を護る為にの」
「それは承知しております。しかし、俺、い
やわ」
「天剣よ」
長老の声に、今度は慈愛が滲んで来る。俺が
師匠から受けたそれと同じように暖かい気持ち
が。
「弟子を取ったからと言うて、完璧な存在で
在らねばならぬと言う事はない」
「はい」
「弟子を持つと言う事で今まで見えなかった
事が見える事もあるじゃろう。それも又、統べ
る者の成長する糧ではあるまいか」
「恐れ入ります」
「そなたが朱雀を統べる者として成長する為
にも、弟子を取ってくりゃれ。それを見届けぬ
と、わしは先代の朱雀に顔向けできぬでの」
「……はい」
迷いを切った俺の返答に、長老は静かに微笑
み、弟子を選ぶ日が一月後ノ満月の夜である事
を静かに告げた。
そして試練の日当日、俺は長老の手で目隠し
をさせられた。
「見えるものは惑いの元じゃでな。気を凝ら
すのも又修行の一つじゃて」
「これでもし俺が惑う様な事になればどうな
ります?」
「惑わせた者もそなたもここに留まる事とな
ろうな。そして朱雀の椅子は暫く空く事となろ
う」
自分自身が生唾を飲み込む音を俺は初めては
っきりと聞いた。
「心して臨みます」
「うむ。では、いざ参ろうぞ」
部屋に入ると先ず俺は気を読んだ。鼻を突く
若い滾りの臭いは惑いの元だ。選ぶ基準の一つ
ではあるがそれに惑わされてはいけない。
部屋の中に居るのは三人……全て俺より年少
………雄になりきっていない、のか?
俺が部屋に入ると同時に六つの視線が俺を刺
す。その視線はやがて俺の肌を貫いて俺の中へ
入って来ようとする。が、そう易々と進入させ
るつもりはない。力任せに人の中に入って来よ
うとしてもそれだけでは阻まれる事も多いのだ。
二つの視線は諦めて、今度は気で語り掛けよ
うと試みてくる。その割には随分と自信が無さ
そうな気配だ。よもや吐精するのは初めてでは
あるまい。
そう。俺を始め朱雀の門を叩く者は試練の日
に自らの精を滾らせ、どれだけ強く精を吐き出
せるかを競い上を目指すのだ。俺達にとって精
とは即ち力の源であり、又奔流の象徴でもある。
この試練の日に漏らす精は、淫らな気持ちで漏
らす精とは一線を画すものだ。
だからこそ長老は俺を諌めたのである。力を
淫らな気持ちで汚してはならないと。
しかし、正直な所俺自身の中に吐精への背徳
感と期待が全く無い訳ではない。俺自身が試練
の日に先代を惑わせなかったとは断言し難いか
らだ。
先代が俺を知る前に俺は先代を知り、そして
密かに心の中で汚していたから。
その事も知った上での諌めだったのだろうか。
いかん。これも又惑いだ。今は目の前に居る
連中を見届けなければ。
三人並んだ志願者の内、真ん中の奴はどうや
ら年少であるらしい。俺をまっすぐ見つめ、挑
むように滾りを掻き立てている。精を吐き出す
事に対し頓着する事は全く無い様だ。雄になり
きっていない所為もあるのだろうか。それとも
快感を知り初めたが故の勢いなのだろうか。
吐精の勢いもかなりある。貪欲に吐き出して
いるにも拘らず淫らさに陥らないのは頼もしい。
汗の臭いは正直に幼さを物語っているが。
左の奴はどうにも得体が知れない。体が余り
にもこなれている気配がする。試練の前に潔斎
すると言う掟は無いので他者と交わった名残が
体内に残り、ふとした拍子で流れ出しても特に
咎められる訳ではない。実際こいつの体からも
二人の精が流れ出している。
しかし、それにしては気配が幼いのだ。真ん
中の奴と然程歳は変わらないのかも知れない。
年長であったとしても雄になりきっていない事
は確かだ。吐精の勢いは、まあ年相応か。日頃
程よく吐精して溜め込まない様にしているのだ
ろう。気位が些か高そうなのが気に掛かるが。
さて、右側の奴…俺に視線を向ける事を早々
に諦めた奴だ。じっくり気を探ってみて、俺は
驚きを隠すのに必死だった。こいつが一番年長
なのか?この頼りない気配で。
年長だと言っても、こいつと左の奴の歳が違
う訳ではない。差は精々が二月程度だろう。そ
れにしてみた所でとりあえずこいつが年長であ
る事には変わりない。とすれば、真ん中の奴は
こいつ等よりは一歳下辺りか。
しかし…幾らなんでもこの右側の奴は余りに
も気配が幼すぎる。精の臭いを一番濃く漂わせ
ている癖をして精を吐き出す術を全く知らない
とみえ、只力任せに滾りを弄っている。力任せ
に弄っているものだから吐精の頃合を事ある毎
に逃し、滾りは怒張を通り越してやや力を失い
かけつつあるのだ。これでは試練の潜り様が無
い。体も熱の頃を通り過ぎてにじみ出た冷や汗
にまとわれ、徐々に冷えてきている。この場で
体が冷えてしまっては確実に命取りだ。
一瞬の逡巡。そして、決意。
俺はこいつの吐精を導く事を決めた。淫らな
気持ちからではないとは言え、戒めに背く事に
は違いない。しかし、ここでこいつに命を落と
させる事は朱雀を継ぐ者としての俺には許容で
きない。
滾りの道筋をつけてやれば、本当のこいつが
見えるかも知れないし。
ゆっくりと気を送る。落ち着け。落ち着け。
力任せに貪ろうとするなと。
奴の呼吸が徐々に静まってくる。同時に、力
を失いかけた滾りも徐々に熱く漲ってくる。先
走りの潤いも戻り、雄になりかけの臭いが開こ
うとしていた。
そして次の段階に進む。今度は昇りつめる為
の道を拓く作業だ。まだ子供のままの滾りの様
だが、先走りの潤いがあると言う事は雄にする
事も難しくは無いだろう。
包んでいるものと包まれるものを潤いをもっ
てこすり合わせると言うイメージを送る。優し
く、激しくも優しくあわせよと。どのような感
覚があっても恐れずにあわせ続けろと。
奴の飲み込みは早かったらしい。イメージが
実行された気配と熱を持ち出した息遣いが伝わ
ってくる。戸惑いも感じられるが、その度に恐
れるなと思念を送る。
下肢が強張り突っ張る気配。体全体も仰け反
っている様だ。鼻を突く臭いは奴が達する瞬間
が近いと教えている。そして。
!
瞬間むき出しになる包まれた滾り。噴出し、
奴の体と周囲を濡らしつつ降り積もる濃厚な練
乳色の精。そして、恐らく初めて精を吐き出し
たらしい奴がにじませた涙。
その全てを感じた時、俺は試練の答えを胸に
きちんと持っていた。
そして、俺の肩を叩く長老の気配。そのおま
けには、全てを見透かしていたかの様な意地悪
い微笑の気配が付いて来た。
「くっせーんだよっ!」
小声で聞こえたのは左の奴の悪態。右の奴の
精の臭いがきつい事に対して、か。確かにこの
精の臭いは尋常では無さ過ぎる。精通であるに
してもここまで濃厚なのは流石に例があるまい。
今まで吐き出そうとしてきたものまで混じって
いたのかも知れない。
そして、こいつ等は三者三様の道を辿る事と
なる。一人は俺の弟子として。一人は四聖の下
につく守人として。そして、今一人は俺達の前
に立ちはだかる影として。
その事については、又後日話す事もあるだろ
う。
うん、と背伸びをして俺は道場に向かう。
全く隆志の奴、あの頃から全然成長してねえ
のかよ。力任せに押すだけじゃ道を拓く事は出
来ないとあの時知った筈だろうが。
今度は、体を使って教えるべきかな。多分あ
れからそっちの知識は進んでいないんだろうけど。
(了)
(2007.1.10脱稿/2007.1.12)