1.0:慌しい日常?



 何で自分がこの場所に居ないとならないのかが解らない。
この場所は普通と呼べくなった人達がたくさん居る所。
 だけどボクはここに居る人みたいなことは出来ない。

「お母さんとお父さんに会いたい。……クラスの子と先生にも」
 自分だけが聞えるような小さく呟いたボクの本音。きっと周りの人はこの気持ちを知っているだろう。だけど誰も何も言わない。
 ボクも他の人の前ではこの言葉を絶対に言わない。言っても叶わないし、周りの人を困らせる…もしかしたら怒らせるだけ。
 もう会えないのは分かっているけど、分かっているけど、会いたいと思う気持ちは変わらない。ここに友達がいない訳ではないけど、やっぱり寂しい。


 ここはホスピタル。
 病院という名の収容所。

 今、人は病に侵されている。謎の病原体・ウィルスは人を人では無くす。
 だけど……まだ、ボクは何も出来ない。







 窓の外では空に青みが増してきて、太陽が眩しく輝いている。まだそれ程強くない光は柔らかくて温かい。
 それから部屋の外、廊下から足音がする。耳障りなほど大きな音ではなくて軽い音。少し靴底を床に擦って他人と区別が付きやすい音。
 朝ご飯の前にボクを呼びに来たキョウのものだろう。一緒にホスピタルに来たボクの兄弟。
 どっちが先に生まれたか分からないが、書類の上では一応ボクがお兄ちゃんという事になっている。

「リョウ、起きているかい?」
 声とともに部屋の扉が開く。入ってきたのは思った通りボクの弟、キョウだ。
 ボクより早く声変わりしたから、キョウの方が少し低い。ボクの声と似ているけど、異なるもの。なんだか、くすぐったい感じがする。
 ボクの様でボクではない。そんな、くすぐったさ。

 双子だろうが兄弟だろうがホスピタルは全室個室だから、キョウはわざわざ毎朝ボクを起こしに来てくれる。朝は頭がまわらなくて、ボーっと時間をつぶしていることがあるから、心配性のキョウは寝坊して怒られないように毎朝迎えに来てくれる。
 こういう所はキョウの方がお兄ちゃんっぽい。

「おはよう。起きてはいるよ」
 キョウは仕方ないという顔でボクを見る。
「まだベットの中にいるじゃないか」
 いつも迎えに来る時間にはまだ寝ていたり、起きていてもボーっとベットの上で雲を見ていることを知っているから、キョウはあまり怒らない。その代わり、やれやれと体で言われているけれど。
「でも今日は着替えてあるんだね。いつもはパジャマのままなのにさ。毎日そうだといいんだけど」
 そう、ボクはいつも起きてすぐに窓の外を見ている。それは晴れでも雨でも関係ない、変わらない行為だ。何故って聞かれたら、きちんと答えられないけど。
 キョウの視線がボクの頭に注がれる。何にか怒っている感じ。それに心当たりがあるから先に正直に話そう。
 キョウはボクにいっぱい心配してくれるから、怒る…っていう程ではないけど、よく注意をされている。ボクって、そんなに頼りないのかな?

「昨日暑かっただろ、窓開けたまま寝ちゃったらしくて、水は入ってきたみたい」
「…どーりで、髪が濡れている訳だ」
「湿っている程度じゃない?」
 呆れながらキョウは引き出しからタオルを出してボクの頭に乗せる。とにかく頭を乾かせという事らしい。
「ドライヤーは?」
 キョウはいつも優しい。こんな風にちょっと素っ気無いけど、他人を思いやれることが出来る。ボクは基本的に自己中なので到底出来ない芸当だ。
「ううん、いいや。ありがとう」
 タオルで頭を拭きながらで非礼だけどこのまま礼を言う。ホント、彼は良い兄弟だと思う。



「ねぇ、キョウはこれが僕の能力だと思うかい?」
 能力……それはホスピタルに入らなくてはいけない原因。いくら現代科学が進歩しようが、いまだ謎の病原体・ウィルスが人に巣食い、その代価と言わんばかりに発現する異常能力。
 ホスピタルに居る以上クライアントと呼ばれるボク達患者はそのウィルスに侵されている。
「でも、この間の診断ではW型の陽性だっただろう。水を使う能力ならV型クライアントだろう。でも使役タイプっていう可能性もあるならW型もあるけど、何も無いところから作り出したならそれと違うだろうね」
 V型のクライアントは自然の要素、水とか火とかを能力として使えるタイプだ。けれどボクはW型。
 それは精神系……一般にサイキックと呼ばれる部類の能力を指している。
「うー、一体ボクの能力は何だろう……」
 はっきり言って不安なのだ。
 陽性ということは能力発生が起こっていてもおかしくない状態なのに、まだボクは能力を知らない。十三年間生きているが、いまだボクの知らない何かがいるなんて、気持ち悪い…怖いのだろう。
 不安だけど、隠れているものを見たいとも思う。かくれんぼで鬼を待つ時の気持ちと似てる。近づいていく足音と遠ざかる声。当然かくれんぼだから見付かりたくなくて、でも一人で居るのが嫌で早く見つけてほしいと思う。
 そんな緊張と期待が入り混じる感じ。

「その内、解かるんじゃないか。イズルは十八歳五ヶ月まで解らなかったって言っていただろ」
 ウィルスに感染しただいたいの患者さんは十代で陽性反応に、それから間もなく能力が発生してしまう。一度発症してしまえば、そのチカラは人として受け入れられなくなってしまう。
 もちろん全ての人間がと言う訳ではない。ウィルスは一応治療法があるらしく完治しにくいが、感染率は決して高くない。
 現在ここに収容されている人が感染者の陰性、陽性ともに居るから、百に満たない人間がウィルス感染者。付け加えがあるとしたら、この人数は日本だけのものという事と現在微量だが増加傾向にある事。


「リョウ、時間。早く行かないと朝食を食べられない可能性があるぞ」
 枕元にある目覚まし時計を見ると確かにそんな時間だ。生活補助員のハルノさんに怒られてしまう。彼は普段優しいが、怒り出すと止まらない。最長三時間二十六分説教された子がいるのだ。
 キョウはボクの髪の毛が乾いたか確認してから、腕を引っ張って部屋から出る。



 そして今日も世界は回る。
 ボクの知らない所でも世界は成り立っているのだ。







「きゃあっはははは」
 突然中庭から普通ではない笑い声、楽しくないけど声は“笑い”の形をとっている印象を感じた。それとほぼ同時に中庭に植えてある樹木がいきなり炎上した。
「ナニ、これっ!」
「リョウ、逃げるぞ!」
 言う前からキョウはボクの腕をとって走り出していた。
「いきなり何事だよ」
 ボクの声には泣き声とそう変わらない響きを持つ。
「あいつ、悪性クライアントだ。しかも重治療指定のV型・炎使い」
 重治療指定のクライアントは対能力者用の特別病棟の部屋居るはずで、しかも二十四時間体制の看視付きだ。簡単に特別病棟から出られるはずはない。
 簡単に出られるわけではないはずなのに、今現在彼女はここに……ボク達の前に居るのだ。

「ふふ、みぃ〜っけた。双子ちゃんだぁ」
 外に接している頭上の窓ガラスが高熱により、周りの空気が膨張して内側に割れ落ちてくる凶器と化したガラスの破片。熱源はとなっているのは先ほどの少女が繰り出す炎。
 とっさに腕で顔をかばったが、流血することは確実だろう。
 少女のウィルスによって与えられた異常能力。ウィルスは与えるだけではなく、クライアントから奪うものがある。記憶、感情等の精神的なもの、そして生命。
 目の前の彼女からはすでに理性が奪われている。
「大丈夫か?」
 キョウに声をかけられて、とりあえず生きていることは分かった。少しずつ目を開けてみると、普段と違う光景が広がっている。あたり一面にガラスとコンクリートの破片が散らばっていて、本来外界と隔てているはずの壁には大きな穴があいている。

「怪我はあるか?」
 キョウの声はいつもの彼のものとは思えないほど震えている。誰だっていきなりこんな事になれば怖いはずだ。
「いたいた、リョ−君とキョ−君。ねぇエリと遊ぼうよ。そうだ、鬼ごっこしようよ」
 開いた穴から黒いセーラー服の魔女が出てくる。
 自ら発生させた炎に身を包み、微笑を顔に浮かべながら子供のような無邪気な顔。姿は高校生位なのに言動は幼稚園位のアンバランスな少女。

 V型クライアントは魔法使い又は魔女と呼ばれ、少人数ながら強い力は他の能力発生者すら敬遠してしまう。
 彼女が放った炎は周囲の残骸を焼いているが、近くにいるのに不思議と熱くはない。
 この炎はどんなものかどうか解らないが、壁の外側では多くの物質が炭化され、今なおリョウとキョウののふたりにも危害を加えようとしていることに間違えない。

「もー、逃げないの? せっかくエリが鬼の役してあげるって言うのにー」
 つまらないと彼女は言う。

 逃げないのではない。逃げられないのだ。震えで、緊張のせいで……地面に足が張り付いたように、脚を上げられない。
 こちらとしては遊びの範囲をとっくに超えている。冗談じゃない。
 恐怖がボク達を包み込む。掴んだキョウの手もボクの体も、お互い震えが止まらない。地面に足が張り付いたように、脚を上げられない。
 エリの目は笑っていない。言動とは別に真剣な瞳は獲物を狩る者の目をしていて、ボク達の恐怖を増大させていく。


 本当に冗談じゃない。

 外側からカツン…と物が当たる軽い音をきっかけに掴んでいたキョウの腕を引っ張って一気に駆け出す。いや、魔女に背を向けて逃げ出す。
 逃げることが彼女を喜ばすことになっても、今すぐ死ぬ気にはなれなかった。


「やっと鬼ごっこ開始ね。さっき遊んだものはすぐに動かなくなっちゃったけど、今度は…ねぇ」

 少しは楽しめそう。
 そう思い、ただ無邪気に嗤う少女が居る。

「十数えてから行くからね」
「……数える必要はないわ」

 炎の魔女の後ろから現れたのは、黒のロングコートの身を包んだ少女。ポケットに両手を入れたままの格好でゆっくりと壁に開いた穴から出てくる。
「ここからの相手はわたしなのよ、『炎の魔女』さん……」

 新しい人物の登場を逃げ出した二人は知らず、この後彼女達がどうなったなんて知るはずもなかった。




      ・next...?・


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