なんとなく胎動の予感。

おしながき

ことばについてのメモ帳

  1. ほめてもなにも出ないよ
  2. 枢密(すうみつ)
  3. 閏(うるう)年
  4. 埒(らち)もない
  5. 圭角(けいかく)
  6. 呪い(のろい)と祟り(たたり)
  7. 取り次ぐ・取り持つ・取り成す
  8. 復員
  9. 笑止
  10. 会う
  11. えぐる(抉る)
  12. まくる・めくる
  13. VSE
  14. AもBもない
  15. 清聴
  16. 未必の故意

ほめてもなにも出ないよ

端的には「下心があって自分をおだてるのかもしれないが、あいにく何も見返りを与えないぞ」の意だが、親しい間柄でほめられた際の照れ隠しに用いる。

枢密(すうみつ)

国家の重要な秘密。枢密院は国家元首の諮問機関として重大事項の審議を行う機関。枢(くるる)は、蝶番を使わずに開き戸を開閉させるために戸の端部上下および戸の設置部に設けられる軸と軸受けからなる構造。転じて物事の要となる箇所(枢要;中枢)。

閏(うるう)年

暦と季節のずれを補正する目的で挿入される日(閏日)を含む年。閏は「本流でないもの」の意。現在の暦では4年に1度(閏年の間引きがあるので、正確には400年に97度)、2月に閏日を行う。

閏日の2月29日に生まれた人の年齢が笑い話になることがある。年齢計算に関する法律(明治三十五年法律第五十号)および民法第百四十三条第二項によって、年齢は誕生日の前日が終わったときに1つ加算されるので、閏日が誕生日の人も(当然に)毎年1つずつ歳をとる。

埒(らち)もない

価値がなくつまらない。「あなたの気持ちも考えず〜ことをお聞きしてしまいました(たいした意味もなくただ気分を害するだけの話題を持ち出したことを詫びて)」「埒もない問題(簡単すぎて歯ごたえがない)」

「埒」とは、家畜を囲って留め置く柵や堤のこと。転じて物事の範囲や境界。埒外(らちがい)は「受け持つ範囲の外」。放埒(ほうらつ)は「(理性や節度というたがを失って)規律がおろそかにされだらしない」。埒があ(明)かないは「(障害が除けず)解決の糸口が見えない、物事がはかどらない」。

圭角(けいかく)

言動が攻撃的・冷笑的でとげがあるさま。圭は宝玉の意で、圭角は「玉にあって触れる者を傷つける角」。才能ある人物なのに人格が円満でないのを惜しむ意味合いで用いられることが多い。

呪い(のろい)と祟り(たたり)

何者かの意思が超自然的に作用して災厄が降りかかる、または降りかかるようにすること。呪いは術者があらかじめ特定の人や条件を指定して、その者や条件を満たした者に災厄が及ぶよう命ずることで発生するのに対し、祟りは神仏や死者、動植物の霊魂など現世にない存在の怒りや恨みによって生ずる。したがって、呪いはより強力な術をもってこれを振り払い、祟りには祭祀を行って霊魂を慰撫することが有効な対策となる。

取り次ぐ・取り持つ・取り成す

いずれも二者の間に立って情報のやり取りを手伝うの意。取り次ぐはもっとも事務的。取り持つはそれまで面識のなかった者同士を仲介して良好な関係を築かせる。取り成すはいったん悪化した関係を改善させる。

動員と復員

軍において、部隊編制を平時のものから戦時のものに移行することを動員、逆を復員という。戦時編制は平時のそれより大規模であるため、足りない員数の兵や物資は他の部隊から借りるか徴募する。戦争遂行のために国家の人的物的資源をすべて政府が統制・徴発できるとした大日本帝国の法律の名称を国家総動員法といい、また徴兵された人が終戦にともないお役御免となって郷里に帰ることを復員と称したのはこのためである。

笑止

全く笑えない。笑えない要因は様々であり、無価値でつまらない、気の毒で見ていられない、恥ずかしくていたたまれないなど、いずれの場合にも用いることができる。やや大げさな、芝居がかった言い回しである。転じて、滑稽・下劣な物事を嘲って言う。

会う

(1)特定の人物を偶然見かける。また互いに相手をそれと認める。転じて偶然の状況・事件を経験する(この場合、多く「遭う・遇う」と書く)。(2)複数の人物が対話や行動を共にする目的であらかじめ約束した場所で対面する。概してその場所で目的の用事を済ませる。移動して用事を行うことを前提にその出発点に集まることは「待ち合わせる」という。

えぐる(抉る)

こじる・くじるとも。狭い隙間や穴などに棒状のものを差し入れ、内部を引き出すような動きで力を加えること。

まくる・めくる

いずれも「捲る」。ものの端から力をかけて裏表をひっくり返す、またそれに似た動作をもって持ち上げ、はぎ取る。転じて後方から猛烈に追いたてる(結果として先行者に追いつき、抜き去れば順位が逆転する=ひっくり返る)の意。次々に勢いよく働くさまを「〜しまくる」はここから。めくるはまくるより新しく、この転じた意味はない。布団をめくる(一部を裏返す);カレンダーをめくる(はぎ取る);坊主めくり(百人一首で、山に伏せた札を順に引き、坊主が出ると手札をすべて失う遊び);尻をまくる(着物の裾をはね上げ、相手に尻を向けて座り直し威嚇する/それまで下手に出ていた者が態度を急変させて居直る)

VSE

Very Special Episodeの略。アメリカのテレビドラマの、主にコメディシリーズにおいて時折挟まれる、重い題材を扱ったエピソード。シリアス回。

AもBもない

ABに類するものが皆無であることを示す慣用表現。

※ 油断も隙もない(警戒を少しも怠ることができないさま)は、「油断も隙もならない」から転じた形であって、上記とは成り立ちが異なると考えられる。

清聴

傾聴(比較的に長い話を熱心に集中して聞く)の、主に話し手から見た尊敬表現。「ご清聴(最後までお聞きくださり)ありがとうございました」;同音の「静聴(静かに聞く)」は、「これから校長先生の講話があります。皆さんご静聴願います」のように用い、通常話し手は用いない。

未必の故意

刑事訴訟の用語で、犯罪の意図そのものは認められないが、犯罪となることを認識しながらもその行為をやめず、あえて行ったと認められる心の態度。刑法では、故意がなく過失の結果として生じた犯罪行為は、別に過失罪の定めがあるものの他は罰しない(38条)ため、故意と過失の境界を明確にするために用いられる概念である。犯罪行為となる可能性を予測はしたが、軽率な判断でそれを否定したと認められる態度を認識ある過失とし、事実認定を通じて未必の故意との区別を図る。

未必は漢文脈では「未だ必ずしも〜ず」と、単に不確定、あるのかないのかはっきりしない意であるが、未必の故意の語義に引かれ、よくないこととは知りながら積極的な対処を怠って悪い結果を招くさまに「未必の〜」という表現を用いることがある。未必の戦争。

音楽についてのメモ帳

  1. 音程と度数
  2. 拍節感

音程と度数

音程は、2つの音の音高の間隔。インターバル(interval)。西洋音楽では一般に7音音階上での距離をいい、「度」を単位として表す。

音階上の2音が同じ高さにあるとき、これらの音程は一度である。以降、上下にひとつずつ隔たるごとに、二度(ドとレなど)・三度(ファとラなど)・・となる。同じ階名で音階1周分高さの異なる2音の音程(ドとひとつ高いドなど)は八度であり、以降九度・十度・・とさらに遠くなる。八度を超える音程を複音程といい、誤解のおそれのない場合、簡単のため階名の隔たりのみに注目して、九度を二度、十二度を五度などのように八度の音程を省いて呼ぶこともある。この場合においても、八度を一度ということはあまりない。

同じ高さの2音の音程が零度でなく一度であるため、度数同士の加減算には注意が必要である。ある音とその音より三度高い音との音程は 1+3=4 から四度ではなく三度であり、五度より四度狭い音程は二度となる。

度数を数える際、臨時記号は考慮しない。ドとドのシャープは音高が半音異なるが音程は一度である。また、ミと遠い方の(高い方の)ドの音程と、ファと遠いほうのレの音程では、前者は後者より半音1つ分間隔が狭いが、音程はどちらも六度である。半音単位の音程を区別するには、度数の前に次の接頭語をつける。

完全:
一度のうち間隔がない、まったく同一の2音の音程を完全一度という。四度のうち半音5個分の間隔があるものを完全四度(例えば、ピアノの白鍵上でドと近い方のファ)、五度のうち半音7個分の間隔があるものを完全五度(以下同様に、ドと遠い方のソ)、八度のうち半音12個分の間隔のものを完全八度(ドとひとつ離れたド)という。二度、三度、六度、七度には完全音程はない。
長短:
二度のうち半音1個分の間隔の音程を短二度(シと隣のド)、半音2個分の間隔のものを長二度(ドと隣のレ)という。三度のうち半音3個分の間隔の音程を短三度(レと近い方のファ)、半音4個分の間隔のものを長三度(ドと近い方のミ)という。六度のうち半音8個分の間隔の音程を短六度(ミと遠い方のド)、半音9個分の間隔のものを長六度(ファと遠い方のレ)という。七度のうち、半音10個分の間隔のものを短七度(ソと遠い方のファ)、半音11個分の間隔のものを長七度(ドと遠い方のシ)という。一度、四度、五度、八度には長短音程はない。
増減:
完全音程から、度数を変えずに半音1個分間隔が遠くなった音程を増〜度、半音1個分近くなったものを減〜度という。ドと遠い方のソのシャープは増五度。シとファは、ソをはさむ側の音程は増四度、レをはさむ側の音程は減五度である。これらはいずれも半音6個分と等しい間隔となる。完全一度より近い音程は存在しないため減一度はない。
長音程から、臨時記号によって半音1個分間隔が遠くなった音程を増〜度、短音程から同様に半音1個分間隔が近くなった音程を減〜度という。ドと隣のレのシャープは増二度、ラと遠い方のファのフラットは減六度である。ある度数の長音程から臨時記号によって半音近くなった音程は同じ度数の短音程、短音程から同様に半音遠くなった音程は同度の長音程となる。
重増、重減:
一つの臨時記号によって生じた増音程から、臨時記号でさらに半音1個分間隔が遠くなった音程を重増〜度、同様に半音1個分近くなったものを重減〜度という。これらの音程は、重嬰記号、重変記号で表す。

ソと遠い方のミは長六度なので、このミを半音下げたミのフラットまでの音程は短六度である。同じ半音下げた音でも、これをレのシャープとみるとソからレまでの完全五度から半音遠くなった音程(増五度)となる。短六度と増五度は、いずれも半音8個分の間隔であり、物理的には同じ音程である。しかし、音階を基礎とした場合、短六度ははあくまで六度、増五度はあくまで五度であって、両者は厳密に区別される。音階のシステム、すなわち一般的な西洋音楽においては、短六度は協和音程だが増五度は不協和音程として扱われる。この2音だけを鳴らせて聴けば両者の区別はつかない(物理的音程)が、音楽の文脈上両者は異なった取り扱いを受けるもので、その流れの中で聴けばこれらは確かにやや「ハモらない」音程に聴こえる(論理的音程)。

以上の他、習慣的に、同一階名内の微妙な音高(ピッチ pitch)の差異を指して音程という場合もある。「〜が合っている(基準音と物理的にぴったり同一の音高である)」「〜が悪い(微妙な音高のずれがあり調子外れである)」などと用いる。

拍節感

ある音楽の部分において感じられる一定の周期。単純には、ある部分が何拍で自然なひとまとまりとして聴こえるか、あるいは聴こえることを意図しているかどうかを指し、拍数を単位として表すこともある。「このフレーズの拍節感は4拍だ」は「このフレーズは4拍ごとにまとまりを感じる(そのように演奏すべきだ)」とほぼ同意。

単に拍節という時は、上の自然なひとまとまりの開始点を指す。


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