ヘイコーポリ


2003/12/1

フォームメールを送ってくださる方には、感謝の気持ちでいっぱいです、返事を書かないで本当に、ごめんなさい。風邪は治りました。ログを読まれるのは照れますね、私も好きな部分です。ありがとう、ほんとうに、ありがとう。

 ところで、私には信じている宗教があって、それは「緑茶教」といいます。今日は、その教義を皆さんに教えます。まず、入信するにはみっつの疑いを持つ必要があります。ひとつは「今信じていることって本当かな?」という疑問。ふたつめは「今見ている世界って現実かな?」という疑問。みっつめは「私は本当に存在するのかな?」という疑問です。これらは、あくまで疑問であって、確信してはいけません。入信したら、日課として、毎朝(私は昼に起きるので、昼ですが)緑茶を飲みます。そして、仕事にいきづまったら、緑茶を飲む、という、緑茶依存体質が信者としての義務です。

 現実が不確かだ、というのは、不安ですが、教団に帰依する限り、それは確信にはなりません。現実との境目を、ぼやけた具合にとどめるのが、教団の目的です。

 なんとも残念なことに、緑茶教には神がいません。緑茶は依存物質であって救いにはなりませんし、神を決めるとその存在を疑わなければならないからです。同じ理由で、他の宗教のように、死後の世界や、奇跡の顕現や、ピンクの光もありません。というか、あるのかな?ないのかな?という、いわば、謎のカウボーイみたいな宗教、それが緑茶教です。

 いまのところ信者は私ひとりで、教祖はティモシー・リアリーと仮定します。布教活動も行っていないし、教会もないので、インターネットのテクノロジーを使って、教義を書き残してみました。あと、発足は昨日です。


2003/11/10

 さむいですね、風邪をひきました、ヘイコーポリの人生花模様、司会のビニール袋です。

 先月末は、ラ☆ブームというクラブイベントに行きました、踊りました、とても楽しかった。私は体力がないので、マスカラス姉妹の素晴らしいDJプレーイを見て、満足してタクシーで帰りましたが、翌日昼起きて、ああ朝までいればよかったと後悔したのは、言うまでもありませんね。そのあとコンピューターの調子がおかしくなり、ネットにつなげなくなって、さみしくつらい月頭を過ごした私は、他の人の感想を、まだ見ていないのですが、多分おおむね楽しかったはずです。

 私がクラブで遊んでいたのは、およそ十年くらい前のことなので、今書いてみてぞっとしましたが、十年前というのは、まだ小山田圭吾さんが小沢健二さんと二人で、ダブルノックアウトというユニットを組んでいたくらい昔です(二人とも頭文字がKOなので二人あわせて)。まあそれはどうでも良くて、十年前の記憶しかない私は、それよりも昔っぽい選曲が多かったので、安心して踊れたので、よかったです。

 次回も行きます、ひとりで。


2003/10/16

 十年ほどまえに、テレビが、ある理由で、苦手になったので、ずっと、テレビのない生活を送っています。実はモーニング娘。の動く姿も、パソコンでしか見たことがないです、ごめんなさい。まあそれはいい。それで、最近、好きになった刺身の過去logを読んでいたら、テレビの話題が多くて、あることに気づきました。格闘技の話などは、しょうじき、とばし読みをしているのですが、それ以外の話は、面白いのですね、テレビの話でも、面白い。なんで面白いかというと、頭に、その光景が浮かぶからです。

「金の粒食べよう。…おかずは無いけど。」「無いのかよ!」と言った後ワンテンポ置いて再度三村さんが「飽きちゃうよ!」と言ってサングラスしたウッチャンが「飽きちゃうんだ。」と笑顔で言っているような映像を勝手に頭の中で作った。その後三村さんが照れながら「いや飽きないですよね。」って言ってウッチャンが「言ってみたんだ。」って笑顔で言ってるみたいな。

 私も浮かぶんですよ、全然問題なく。しかも、いわゆる、さまぁ〜ず、になってからの三村さんは、見たことないのに。浮かぶ、不思議。もしかして、テレビの主要人物って、十年前から、あまり変わってなくないですか?そういうものなの?

 ところで、携帯の代金を、払い忘れて、止まっていることに、今日、気づきました。いつから止まっているのか、とか、考えるのが、辛い。


2003/10/9

 すみません!ベートーベンの映画は「ベートーベン不滅の愛」じゃなくて「不滅の恋ベートーベン」でした!本当にごめんなさい!ひどい邦題なんて書いて、すみません!ひどくなくはないけど、そんなにひどくないです!

 さて、そういうわけで、ヘイコーポリのビニール袋さんは、色々と反省中なのです。一番に反省するべきは、仕事をほっぽいて、遊んでいるということでしょう。今も、やらなければならない仕事を無視して、インターネットにちょう夢中。たのしい、インターネットちょう楽しい。あと読書もちょう楽しい、今パット・マーフィーの「ノービットの冒険」というSFを読んでて、これは以前に買って、少し文体になじめず(実はトールキンの翻訳も苦手です)、本棚に仕舞ってあったものなのですが、読み返したら。これが現実を忘れるのに最適。手放せません。

 本といえば養老猛せんせいの挨拶(「自分の死体だと思って見なさい」)がチラシに書いてあったので、行ってきました人体の不思議展。しょうじき、あんまり面白くありませんでした。もっとプリプリしてるかな、と思ったプラストミック死体は、堅くて、まるで蝋人形みたいだったし、人は何だか多いし、ガラスケースの下から白い照明をあてるものだから、標本が全体的に黒く見えるし。当たり前なんだけど、見世物小屋というか、秘宝館みたいになってたので(客層も)、もう少し、標本の説明があったら、いいのになあ、と思いましたよ。

 関係ないですけど、以前仕事で、第二次大戦下のイタリアについて、調べた事があって、その時読んだ本に「ムッソリーニは偏屈で小心な男だった」とか書いてあったのを、思い出しました。私にとって、それまでイタリア人というのは、陽気でおおらかな男、というイメージ(偏見)しかなく、この評伝は、当たり前の事ながら、個人単位で見れば「偏屈で小心なイタリア人」だっているのだ、という事を私に教えてくれました。

 そういやこの時のギャラが今月入ります!わあい!家賃払おう。


2003/10/9

 ベートーベン不滅の愛、という映画があって、ひどい邦題だと思うんですが、映画自体は、とても素晴らしい。私は恋愛映画が苦手なので、おそらくゲイリー・オールドマンが出ていなければ、一生見なかったかもしれない、面白い映画です。

 この映画の中で、重要な役割を持っているのが、手紙です。手紙ってほんとうにすばらしい、思っていることを伝えられるし、出せば届くし、届けば返事がくるし。そんなのは嘘っぱちだと、この映画は教えてくれます。

 私は、手紙を書くのが苦手です。何を書いても作り事っぽいし、本当のことを書くのは恥ずかしい。手紙が送られてくると、返事を書かないだけで、悪人になったような気にさせられる。手紙が届くと動揺してしまう。

 私がここに、なにやら告白めいたことを、ぼそぼそと書いているのは、まるで手紙のようじゃないかと、思いますか。そうです、私は、手紙の練習を、しているのです。

インターネットは、そもそも、便利な手紙として発生した技術を、もとにしているのだそうです。だから、私は、インターネットを使って、あなたに手紙を送ります。あなたがそれを見て、どこかに返事を書いたら、わたしが見るかもしれません。そうしたら、たぶん、私は、少しだけ、手紙が平気になるはずです。


2003/9/23

 私は、いわゆる、薬物依存症なんですが、そういう友達と「まだ大丈夫」なんて話をするのも、薬物どっぷりだから出る台詞で、先日そのような友達に「大好きだよー」とラリったまま電話をするという、かなり基本的な、迷惑のかけかたを、してしまいました。

 むかし、薬物が苦手な、信条として許せないという友達に、ラリって電話をしてしまって、ひどく怒られたことがあって以来、ラリるときは、携帯電話の電源を切る、というのが、心の決まりになっていたのですが、今回はまあ、あっちもラリって電話かける人なんだし、いいかなあ、という気持ちが。

 恋愛が得意な人は、うらやましい、私は、人に依存するのが、不得手です。


2003/9/16

 むかし、私がまだ若くて、地面が今よりもひろく、空がいまよりも高かったころ、私は、死にたくてしかたなかった。自分の顔がきらいで、自分のからだがきらいで、母親がきらいで、父親がきらいで、兄がきらいだった。

 今では憎しみも薄れて、他の感情と同じように心の上をすべっていくみたい。鏡を見ても泣きません、電話をしても吐きません。

 これが老いというものなのかしら、さいきんは、脳のいろんなところがダメになってるみたいで、まあ、空を見てぽろぽろ泣いたりするのは、昔からなのですが(ピュアじまん)、正しい感情の出し場所というか、いわゆるアレです、愛のはけ口が間違ったところに開いたみたいです。性欲じゃないです。

 冒頭の書き出しは何かの真似なのですが何の真似か思い出せません、誰か教えてください。


2003/8/27

 耳栓をしても高いチリチリとした音が消えません。季刊ヘイコーポリへようこそ、私はビニール袋です。とろとろと煮込まれた毎日のうわずみを少しずつ書いて残そうと思います。


2003/2/13

 毎日、家の中でキーボードと格闘してて、人に会ってないので、あまり話す事もないんですが、私は生きています、ありがとう。

 掲示板で「痛いのは嫌ではないですか?」と訊ねられたので、答えます。痛み、特に皮膚への小さな痛みは、与えつづけると、脳が麻痺します。その麻痺は、脳の他の部分にも影響を与え、怖いこと、悲しいこと、嫌なことを、一時的に忘れさせてくれます。性的欲求不満をスポーツで発散させよう!などと笑顔で体育教師が言うのも、この仕組みに拠っています。筋肉へ軽い痛みを与えつづけると、脳が麻痺して、性的欲求不満を一時的に忘れさせてくれるのです。仕組みは違いますが、単純なパズルゲームや、パチンコやスロットを何時間も続けるのも、脳を麻痺させる良い方法です。

 実は、脳を麻痺させないで生きている人を、私は知りません。趣味を持たず、インターネットもゲームもせず、ドラッグや自傷もせず、運動もせず、パチンコやスロットにハマらない人。そういう人が、知り合いにはいません。もちろん、知り合い自体、ごく少数なわけで、あ、今気付きました、恋愛です、上記以外に脳を麻痺させる方法で、多くの人が選んでいるのは、恋愛です。ああ、だから私の知り合いにはいないのか、そうか。

 今掲示板を見直したら「痛いのは嫌ではないですか?」とは訊ねられていませんでした、なので、答えも曖昧にしておきます。


2003/1/26

 あけましておめでとうございました。ヘイコーポリ的には正月です、まだ。

 お引越しをしました。まあなんというか、気分の問題で。ほんとうはその日、友達の引越しを手伝う予定だったのですけれども、私はすっかりとそれを忘れていたのです。それで、今日の朝、友達に「ごめん行けない」というメールを送ったら「気にしてないからいいよ」という返事をもらいました。気にされない対象、好きな約束はダブルブッキング、ビニール袋です。

 さて、書類を片付けていたら、昔もらった手紙が出てきました。それで、二度と戻らない風景や、自分の至らなさが思い出されて、あ、この話はここで終りです。書けない、これ以上は恥ずかしくて書けない。

 私は最近、お仕事で文章を書いています。まだ名前は出ませんが、とても楽しいです。ずうっと文章ばかりを書いていると、次第に頭がぼんやりとしてきて、たくさんの悲しい記憶が薄れて、少しだけ生きていけるのです。だから、たくさんの人が文章を書くようになったらいいと思います。


2002/12/6

 息をするのを忘れてた、ヘイコーポリは隔月刊です。ごめんなさい、うそです。最近は、ずうっと家にこもって文章を書いていて、書いても書いても終わらないので、いつまでも続く行為にほとほと呆れて、窓から見える月に悪態を吐いたり、新宿の夜景を眺めながら「突然爆発しないかなー」とつぶやき、その言葉の恐ろしさに少し反省をし、また再び文章を書いているのです。

 これから先も、私はこの場所を忘れはしないけど、息をするのも忘れはしないけど、それでもやっぱり離れてしまうんだなあ、と思って、少し何かが明確になった気がしました。

 これからもビニール袋の舞う様をご覧あれ。あれ?


最初に戻ります

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