ヘイコーポリです。
楽しいとか、悲しいとか、そういう気持ちが、すらりすらりと削れてしまう場所で、しばらく時を過ごしましたら、すらりすらりと、それまでの人生でたくわえた、私の大切な言葉が、削れていってしまいましたので、しばらくは床など見つめ、この事態に対処せねばと、薄くそげた言葉をつま先でいじりながら、思っていたのです。知っていますか、そうすると不思議なもので、大切な言葉のそげた脳には、考えるという機能が、なくなってしまうらしく、メガネもずりおちた私は、すっかりおとろえて、今ではもうろうと、ただ少し残った脳のかけらに記された言葉を、キーボードで、打っているのですよ。
昨晩の事は思い出したくもありません、ヘイコーポリーです。
私は、映画が、観たかったなあ。あれは、原作のイメージが壊れたとか、そういうレベルの問題ではなく、映画ですらなかった。
ちゃんとした映画が、観たいなあ。現実なんて、厭な事や、怖いことが、虫みたいに追いかけてくるから嫌いです。
何かあった時に、思い出したり、悩んだりするような事は、普段から考えてはいないのだから、私にとって全然、大切な事ではないので、この場所でも私は、その大切ではない事を、ことさら大きな声など出さずに、すこしの人に伝わるように、石を並べるように、言葉を並べます。
そうすると、私は楽しいのです。
シットブル、ヘイコーポリです。
そんなわけで9日の日記を書いたのが今日一番の大仕事だったんですが、本日私は友達と中野に「ステイシー」という映画を見に行きます。この映画は可愛い女の子がバラバラになって死ぬ、という事を大切に描いた小説を原作にしていて、私はその「可愛い少女がバラバラ」の部分が好きなので、上映中はとてもいやらしい、人に見せられないような笑顔をしていると思いますので、私らしき人を見つけたら、バラバラにして殺してください。
それは多分私ではなく、他の誰かなので、私はそれを見てさらに笑顔になります。それを見て、あなたも笑顔、友達も笑顔、みんな、笑顔。
はい、ヘイコーポリですよ。
台風が来ると、わくわくして、外に出て、走りまわったりする友達が、高校の時いました。彼女は今も、外を走りまわっているのでしょうか、ぶんぶん腕を振りまわしながら。
そんな思い出話に涙ホロリのビニール袋さんなんですが、今日、特筆すべき事といえば、窓を開けたまま出勤してしまい、雨がざあざあ、床ビショビショ、という先ほどまでの状況。
自分でも、なんで窓を開けていたのか、記憶にないのですが、まあいい。
BSで「スタンドバイミー」やってましたね、私はテディがお父さんの事をキチガイ!って言われて怒って、その後、泣くところがすごく好きなので、ゴーディの「耳を焼いた父親を、尊敬していた」って所がすごく好きなので、そこだけ見よう!と思ったのですが、最後まで見てしまいました。 その後、コニーフェルドマンで検索して、ちょっと淋しかったりしました。
こんにちは、ヘイコーポリです。
ノーベル平和賞が欲しいなあ。平和、というのはつまり何事もない、平板な生活を指すのだと思います、てことは、私の生活こそ平和そのもの、好きな人がいるドキドキ!とかそういうものから、遠い遠いところにある私の生活(現実)こそ、ノーベル平和賞をもらうに値する、いちおくえん、というのを、今思いついて書いています。だいたい、インターネット内で生活されている、電気人間の皆さんにおかれましては、毎日毎日、特殊な目に遭い過ぎです、もっと平和な生活をいとなみなさい。
そんな私は今日、頭髪の量に不自由な上司が「ポンポンが痛いの」なんて言って、会社を休みやがったので、すばらしく安定した、何事もない一日を過ごしたのですが、もしかして、誰かが何事かに出会うと、私に平穏な生活が、幸せやかなしみの果てに、私の生活が、やった、みんな勝手に愛し合ったり殺しあったりしてください。
縁側でお茶を飲んでいると、生け垣の向こうに戦車。
楽しい事なんて、色々思い出せそうな気がするけど、気がするだけですよね。今日はいい天気でした、また、昼寝を。昼に寝るとなぜ気持ちがいいのかな、夜眠らないのはなぜ楽しいのかな、こんにちは、ヘイコーポリです、私はビニール袋です。これからコンビニに行きますので、夜食を買いに行きますので、ベランダがあればベランダに出て、一緒に月でも眺めましょう。
「今、自分をビニールと呼ぶ女と、同じ月を見ているのだなあ」
もちろん私は、うつむいたまま、小走りにコンビニへ行きますので、あなただけが、ひとり、月を眺めてしまうのですよ。
私は、そんなあなたが大好きです。