2002/2/12
タイムスリップグリコのおまけが、とてもよくできていて、私の家のモニターの上には、鉄人やらGT2000やらが乗っているのですが、見るたびに微笑んでしまいます。うわあ、今文中リンクをする為に、海洋堂のサイトを見たら、なんか、あは、あはは、微笑もうとしたのになあ。
私はチョコエッグで食玩という世界に出会い、今ではコンビニで新しい種類の食玩を見ると、ガンダム系以外なら全部買うくらいの食玩好きになってしまったのですが(ガンダムが嫌いなのではなく、キリがないから)、そんな私でも海洋堂がどれだけの力を持っていたのかは、知っています。だから、フルタさんには折れて欲しかったなあ、ワールドタンクミュージアムはどうなっちゃうんだろう、ムム、999の新作?新しいパートナー?ムムム、目が離せないなあ。あ、ちなみにタイムスリップグリコのちゃんとしたサイトは ここ。
手を肘で曲げて、そろりそろりと前に進む、混迷した現代における歩行術といえばそれで、しかもそれは比喩ではない。私達は人生の曲がり角にたどり着いて、子供の頃の自分を恨む、なぜこんな道を選んだのか、もっと素晴らしい結果をなぜ想像できなかったのか、その為に培う事をなぜ、しなかったのか。私は肘から先を曲げて、そろりそろりと道を往く。それは比喩ではない。
薬物による酩酊体験、それは一時的な感覚の鋭敏化や意識の拡大をもたらすが、ある種の人間が芸術作品に対して一時的な感情の変化しか感じられないのと同じように、薬物による変化を受け入れられない人間も少なからず居て、それらの人間は薬物による感動と芸術作品による感動を分けて考えてしまう。自らの脳で作り出した幻影である点において、それらは同等だというのに。
って私の友達が言ってました。
彼らはお抱えの精神科医に私を診察させる予定だった、その医者は私のこころをどうにかするはずだった。私は逃げた、タクシーで遠くへ、ぐるぐる回って気が付いたら私のとなりに図書館の司書が座っていた。司書は延滞に関しての罰則を並べた、私は吐いた、吐く事に慣れると胃の中のものは喉をすりぬけていく。ごっ、ごっ、と喉を鳴らしながら私は昼に食べた米と魚をタクシーの中にぶちまけた、運転手が叫んだ、私も叫んだ、本当に驚いたのだ、なぜ私はタクシーに乗っているのだろう、裸足なのに。しばらく道の両側をコンクリートの壁がふさいでいたので、私は海が近い事をにおいで知った、海は好き、私がそう言うと、助手席の文子がうれしそうに笑った。私は車を浜辺につけて服を脱いだ、なぜまだ海に入っていないのに服が濡れているのだろう、文子がうひひひと笑った、私もうひひひと笑った、車はゆっくり沈んでいった、潮のにおいがした、車はゆっくりと沈んでいった。
悲しい私を殺してください。いつも私は何も知ることができない、手に入れられない。あなたは全てを知っていて、そして手に入れてしまう。私だけを愛してください、私だけを、あなたが望むものはなんでも与えてあげる。私はあなただけを、他の何よりも欲している。全てを知らない私、ループする、私は望んでいる、他の何も明日も欲しくはない、他の誰も代わりにはならない。全てを知っている、全てを手に入れる、私はループする、私は望んでいる、あなたが何も望まなくなるのを、他の何も明日も、私の他には何も。
あなたの考えは私に降ってくるものだった、失敗は私の意味になる、そう、私は子供の頃から、何でもできると思っていた、目をとじれば全てが作り出された、輝く世界がやって来た、私達は皆そうだった、私はひどく落ち込んで、あなたにあげようと思った何かを忘れた、家にはたくさんの人がいて、私は考えをまとめるのに必死だった、それらは何も感じさせてはくれなかった、それは雨みたいに見えた、私は知っていた、それは雨みたいに見えた。
とても小さな理由でうれしかった、とても小さな理由で哀しかった、ある感情に気づいて、それがすごく大切だった事を思い出した、でももう遅かった、でももう遅かった、私はひどく疲れてしまっていた、呼吸を続けるのもおっくうだった、タバコを何本も吸った、ひどく眠かった、昨日の朝、実家へ帰った、お母さんが笑ってた、1ダースの家が名前を持っていた。それは死んでから来た、世界は私に言った、帰っておいで、帰っておいで、彼は火星から来た、そして星のきれいな空に、望みがどこにあるのかを憶えている、私はすばらしい、もうない、戻っておいで、戻っておいで。
時間の経つのは、はやいものですよ、毎日更新しようと思っていたのに、気が付いたらもう三日も過ぎていました。私には無理、無理だったんです、本当にごめんなさい、許してください、映画の雑誌なんかもう買いません、なんでインタビューなんか読みたくなっちゃうんだろう、なんでお金出して広告を買わなきゃならないんだろう、もういやだ、私はぼんやりと生きていたい。
というわけで、昨日の夜は渋谷のイメージフォーラムにて「殺し屋1」を鑑賞してまいりました。素晴らしく面白いこの映画は、来月まで渋谷で上映していますので、まだ見てない人は観るといいです (血が出て人が死ぬ映画なので、そういうのが苦手って人は、観なくてもいいと思います)。 もちろん私はいい映画のサントラは買う人ですから、ハフハフ言いながらサントラ\2800-を買いました。なのに、欲しいと思ってた曲が入ってなかったので、ガッカリ、殺してやる。でも仕方ないです、サントラってのは、パンフレットと同じく「御祝儀」だから、少しくらい高い買い物に思えても、全然損したとか思ってないし!そしたらパンフ、すごくできがいいの、シナリオが収録されてるの、全部、わあい、元気になった。 ええと、映画の内容は、漫画のとおりなので、キャラクターの名前と、あらすじがわかっていたら楽しめます。ラストについて、色々ぐじゃぐじゃ言う人もいるみたいですけど「映画にとって物語は『絶対』に必要なものではない」って教えてくれる、いいラストだと思います。皮肉ではなくて、映像だけで全てをわからせるって、すごく重要な事なのに、最近は忘れ去られてる気がするから。ちなみに私は三池崇監督の作品の中では「オーディション」に近いものを感じました。
孤独、絶対の孤独。
あ、そういえば「ムーランルージュ」もこの前観たのだった、レグイザモ演じるロートレックと共に涙したのだった、あれも話はどうでもいい感じで、映画であることが目的なのだった。
最近は当たりばっかりなのでうれしいです。それでね、誰か「地獄の(以下略)
今日の予定
昨日、うなぎを食べたので、夕御飯はひかえる(値段を)。
渋谷のこじゃれた映画館に「殺し屋1」を観に行く(一人で)。
わあい、する事がないので爪をかっこうよくしていました、こう、殺せる感じ。
見せる人が、いるわけでもないんですけどね、なんだかなあ。
誰か一緒に「地獄の黙示録・特別完全版」を観に行きませんか。
あけましておめでとうございます。
生きてるって素晴らしいね!